にっぽん丸は島原湾を出ると天草灘、長崎半島を回り、
順調に航海を続けていました。
軍艦島を周遊するという船内放送、
キャビンの窓からでも見ることはできましたが、
カメラを持ってデッキに出ました。
3年前の5月1日に上陸しましたが、
条例により、見学施設以外は島内全域が立入禁止、
危険なので立ち入りのできない区域が多いです。
こうして見てみますとそれも分かるというものです。
「軍艦島」に上陸が解禁されたのは2009年、
それより前に報道関係者限定で特別に上陸が許可され、
荒廃が進む島内各所の様子をテレビで見てから
いつか軍艦島に行き、自分の目で見てみたいと思いました。
軍艦島の住人だったガイドさんのお話を伺えたのは、
貴重な時間でしたが、見学できるのはほんの一部に過ぎません。
1870年に石炭採掘が始まった島では、1974年まで操業。
明治期の生産施設の遺構や、そこで暮らした人々の建物の
約半数が残されているという無人島を周遊します。
まだ太陽が海を照らし、空を染めています。
サンセットを楽しめる時間帯でした。
そのタイミングで軍艦島を周遊できるように
速度を調整していたにっぽん丸。
外観が日本海軍の軍艦「土佐」に似ていることから
「軍艦島」と呼ばれるようになった正式名称は「端島(はしま)」
出炭量の増加につれ人口も増加、1916年には日本初の
鉄筋コンクリート造りの高層住宅が建設され、
最盛期には約5300人もの人々が住み、
世界一の人口密度にまで達した軍艦島。
3年前も軍艦島を周遊することになっていたのですが、
波も荒く、小さな船ですから周遊することができませんでした。
周辺の波は荒れやすく、気象状況により欠航することも多い
軍艦島上陸クルーズが催行されて良かったとは思っていたのですが、
思いがけず3年後に周遊が実現でき感謝の気持ちで一杯です。
しかも、海も穏やかでした。
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、
石炭産業の構成遺産の一つとして
世界遺産の島になりました。
軍艦島を周遊した後は、本州を目指します。
長崎県長崎市
2016.5.1