大分府内城は、大分川と住吉川の河口部に築かれ、
本丸、二の丸、三の丸と城下からなります。
府内城の築城は、福原直高が秀吉から命を受け、
1597年に着手、城づくりは竹中重利に
引き継がれ、1602年に完成しました。

府内城の玄関口にあたり、大手門と呼ばれますが、
正確には「多聞櫓門」という名称です。
1945年の空襲により焼失、
1966年に整備建築されたものです。

熊本(石工)や大坂(大工)、京都伏見(瓦師)から
職人を招き、当時の最新技術で築かれた府内城。

府内城には、3箇所に廊下橋が設けられていました。
大手門をはじめ、西ノ丸から北ノ丸、
本丸から東ノ丸への廊下橋です。

江戸時代の軍学者が、理想の橋の形としたもので、
軍学所には「内、必ず引橋」とあり、
床をはずして敵の進入を防ぐことができました。

かつて、茶の湯や能、月見など諸芸能の営まれた
山里丸(北の丸の一部)と西の丸を結ぶ
渡り廊下で、1996年に復元されました。

1602年に四重櫓の天守閣が築かれましたが、
1743年の大火により焼失、
以降再建されることなく現在に至ります。
別名:荷揚城、白雉城
種別:平城
築城者:福原直高、村中重利
築城年:1597年
主な城主:福原氏、早川氏、竹中氏、日根野氏、松平氏
大分県大分市荷揚町4-1
2023.12.14
