読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

ベトナム戦争が作ったアメリカン・ヒールを描く、「アメリカン・ギャングスター」(アメリカ/2007年)

2008-09-08 07:37:02 | 映画;洋画
監督:リドリー・スコット
脚本:スティーヴン・ザイリアン
音楽:マルク・ストライテンフェルト
撮影:ハリス・サヴィデス
編集:ピエトロ・スカリア
出演:デンゼル・ワシントン、ラッセル・クロウ、キウェテル・イジョフォー、ジョシュ・ブローリン、キューバ・グッディング・Jr、アーマンド・アサンテ、テッド・レヴィン、ライマリ・ナダル、カーラ・グギノ

~1970年代の初頭のニューヨークで、ハーレムを牛耳っているギャングのボスの運転手をしていたフランク・ルーカス(デンゼル・ワシントン)は、ボスの亡き後、東南アジアの麻薬を密輸する計画を決行する。時に横暴ともいえる強引なやり方で財力をつけたフランクは、マフィアにも一目置かれる麻薬王として街に君臨する。(シネマトゥデイ)~

実在の人物を扱った映画は数知れませんが、その人物が存命中にスクリーンで描かれるという作品は多くないのではないでしょうか?しかも、麻薬王とそれを摘発した刑事という極めて緊張感のある二人を描いているのが本作です。まず、ここで描かれるモデルたちを見ておきましょう。


フランク・ルーカス(Frank Lucas, 1930年9月9日-)は、「ノースカロライナ州ラグランジ出身のアメリカ合衆国の人物。彼は、1960年代後半と1970年代前半のハーレムのヘロイン密売人で組織犯罪のボス。彼は麻薬取引において中間業者を取り除き、直接供給源の東南アジアからヘロインを購入していたことで特に知られている」。

「一般には死亡したアメリカ兵の棺を使ってベトナムからヘロインを密輸していたことで有名で、2007年の伝記映画『アメリカン・ギャングスター(American Gangster)』でもそのように描写されているが、数名の元麻薬捜査官やルーカス自身は、それは作り話と言っている」。

ラッセル・クロウ演じるリッチー・ロバーツについては英文で失礼します。

Richard M. "Richie" Roberts (born June 23, 1941) is a former New Jersey police detective and defense attorney. He is most widely recognized for the arrest, prosecution and later defense of Harlem drug lord Frank Lucas.(以上ウィキペディア)


さて、監督のリドリー・スコット。「デュエリスト/決闘者」(1977)、「エイリアン」(1979)、「ブレードランナー」(1982)、「レジェンド/光と闇の伝説」(1985)、「誰かに見られてる」(1987)、「ブラック・レイン」(1989)、「テルマ&ルイーズ」(1991)、「白い嵐」(1996)、「G.I.ジェーン」(1997)、「グラディエーター」(2000)、「ハンニバル」(2001)、「マッチスティック・メン」(2003)、「キングダム・オブ・ヘブン」(2005)、「プロヴァンスの贈りもの」(2006)という作品を撮ってきた巨匠と言ってもいい監督ですが、これまでこのブログで取り上げてはいませんでした。

サー・リドリー・スコット(Sir Ridley Scott、1937年11月30日-)は、「イギリスサウスシールズ出身の映画監督、映画プロデューサー。主にアメリカで活動している。弟のトニー・スコットも映画監督、息子のジェイク・スコットもミュージックビデオやCMのディレクターとして活躍、長女ジョーダン・スコットも『それでも生きる子供たちへ』で監督デビュー」。

「ウエスト・ハートブール美術大学でグラフィックデザインや絵画、舞台美術を学び、その後、ロンドン王立美術大学に進学し、映画を専攻する。卒業後、BBCにセット・デザイナーとして入社。やがてドキュメンタリーやテレビドラマの演出をするようになるが、テレビディレクターに限界を感じ、退社した後、CFの制作会社を設立。数多くのCFを制作し、各国の国際映画祭で数々の賞を受賞。手がけたCFの本数は1900本以上にのぼる。その後、映画界に進出」。

「デビュー作『デュエリスト/決闘者』(1977)でカンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞。1979年の監督作『エイリアン』の世界的大ヒット以降は、活動の拠点を米国に移す。フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を映画化した『ブレードランナー』(1982)では、映像化は困難とされていた原作を卓越した手腕で描き、数多くのファンを獲得する」。

「1億ドルを軽く超える制作費と破格の宣伝費を費やした大作『グラディエーター』(2000)で、第73回アカデミー賞作品賞並びに第58回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞を受賞。興行的にも世界的大ヒットを記録し、名実ともに不動の地位を確立した。2003年にはナイトの称号を授与されている。2008年、トニー・スコットとともにマイケル・クライトン原作「アンドロメダ病原体」のミニTVシリーズの製作を担当」。

<リドリー・スコット-Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88

主演のデンゼル・ワシントンについては、二人がタッグを組んだ「デジャヴ」で昨年8/9の記事「ワームホールによって記憶される既視感、『デジャヴ』(アメリカ/2006年)」で、ラッセル・クロウについては、「アウトサイダーとなった実在の人物を描く、『インサイダー』(アメリカ/1999年)」取り上げましたので割愛します。


ここでは、この「アメリカン・ギャングスター」のエンドロールのスタッフ名に流れる唯一の日本人、映像編集者の横山智佐子さんを取り上げたいと思います。横山さんは、ロサンゼルスに設立された日本人をメインターゲットとしたフィルムスクール「International School of Motion Pictures」の校長でもあります。

同校は、「インストラクターに、ハリウッドで活躍する現役の日本人を迎え、初級クラスの授業はすべて日本語で実施。本場ハリウッドの映画制作の基本から実践的な技術までを、徹底的に指導。その上で個人のユニークな才能を思う存分発揮してもらおうという画期的な映画学校」だそうです。映画における編集という仕事がどんなものなのか具体的にいま一つわかりませんが、有名な作品に彼女の編集によるものが少なくないことを、今回初めて知ったのです。30歳若ければ、ロスに行ったかも。

横山智佐子(1963年三重県生まれ);
~名古屋女子短期大学卒業後、株式会社ダイエー入社。3年間勤務の後87年に渡米。91年ユニバーシティー・カリフォルニア・サンタバーバラ校映画科卒業。92年レオナルド・ベルトルッチ監督の「リトルブッダ」で編集室インターンとして、アカデミー賞受賞エディター、ピエトロ・スカリアと働き始める」。

その後同エディターの下、ガス・バンサント監督の「グッドウィル・ハンティング」、リドリー・スコット監督の「グラディエーター」「ハンニバル」「ブラック・ホーク・ダウン」等でファースト・アシスタント・エディターを務める。04年には自らもチーフ・エディターとして独立。「アンティル・ザ・ナイト」「オンリー・ザ・ブレイブ」などのインディペンデント映画を編集。05年には紀里谷和明監督「キャシャーン」の、USA公開バージョンの編集や「さゆり」にも携わっている。

ハリウッドでは数少ない、第一線で活躍する日本人の一人。制作に参加した作品の中にはアカデミー賞を獲得、ノミネートされたものも数多い。その活躍は日本の雑誌Starlog、Flix、DVDぴあ、日経Woman、CGWorldなどで何度も紹介された。03年にはぴあフィルム祭に招かれ講演。TV朝日系スマステーション2でもその仕事ぶりが紹介された。~


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