読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

ミラクル・ワーカーとしてのアニー・サリバンを描く、「奇跡の人」(米/1962年)

2008-03-08 09:46:50 | Weblog
監督:アーサー・ペン監督
原作、脚本:ウィリアム・ギブソン
音楽:ローレンス・ローゼンタール
撮影:アーネスト・カバロス
出演:アン・バンクロフアン(サリバン役:ト:1962年アカデミー主演女優賞)、パティ・デューク(ヘレン・ケラー役::1962年アカデミー助演女優賞)、

先日、このヘレン・ケラー(左)と寄り添うアン・サリバン(米ニューイングランド歴史系図協会提供)の写真が話題になりました。120年前に撮影した写真。ケラーの子供時代の写真はほとんど残っておらず、同協会は「最も重要な写真の1枚」としているということでした。

このアン・サリヴァンとはどんな女性であったのか?私はこの記事を書くまで、彼女にも盲目の経験があったことを知りませんでした。また「奇跡の人」とはこれまでヘレン・ケラーのことだとばかり思っていました。本作でのアカデミー受賞も、だから主演女優賞がアン・バンクロフアン、助演女優賞がパティ・デュークなんですね。


「アン・サリヴァンことジョアンナ(アン)・マンズフィールド・サリヴァン・メイシー(Anne Sullivan、またはAnnie Sullivan Macy、Johanna Mansfield Sullivan Macy、1866年4月14日 - 1936年10月20日)は「通称アニーという名で、ヘレン・ケラーの家庭教師だったことで知られている。ヘレン・ケラーは彼女のおかげで、目、耳、声の三重の身体障害を克服した。『奇跡の人』というのはヘレン・ケラーのことではなく、このアン・サリヴァンのことである」。

「1866年4月14日 - ヒル(マサチューセッツ)の扶養で、アイルランド移民の農民トマス・サリヴァンとアリス・クロージーの娘として生まれた。3歳の時、目の病気トラコーマとなる。9歳のとき母親が亡くなり、結核によって身体が不自由になった弟のジミーとチュークスバリー救貧院へ移り住んだ。弟はすぐに亡くなり、アン自身も目の病気の悪化によって盲目となる。1876年に緊張型精神分裂病で精神病棟に入る。チャリティー州委員会議長(フランク・サンボーン)に学校に行きたいと訴えた」。

「1880年10月 - 14歳のときに、マサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校に入り訓練と数度の手術の結果、ある程度視力を回復し(だが、光に弱く、常にサングラスをかけていたという。)、1886年には、アンは卒業生総代としてスピーチを行った。また、在学中には視覚、聴覚障害を克服したローラ・ブリッジマンと出会い、友達になっている」。

「この出会いと自身の盲目の経験が、後のヘレン・ケラーの教育に生かされた事は想像に難くない。聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グレアム・ベル(電話の発明者として知られる)が、パーキンス盲学校を紹介し、アンがケラー家の家庭教師をすることになった。1887年3月3日-ヘレン・ケラーの家庭教師として教えはじめた。その後パーキン協会、ケンブリッジの女子学生対象の大学への進学を援助し、1900年、遂にヘレンはラドクリフ大学(ハーバード大学の女子学部)へ入学することができた。」

「またヘレンの旅行に際してや、様々な講演旅行に彼女の伴奏をすることにより、ケラーを支援し続けた。1905年5月2日-ジョン・アルバート・メイシー(ヘレンの自叙伝のエディター)と結婚。1936年10月20日-ニューヨークのフォレストヒルズで生涯を閉じる。70歳」。(ウィキペディア)


主演のアン・バンクロフト(1931-2005)については、昨年6/6の記事「『卒業』の、あの、おみ足の女優、アン・バンクロフト」で取り上げています。

本作でヘラン・ケラー役を務め、1979年にはリメイク版の『奇跡の人』にはサリバン先生役で出演したのが、パティ・デューク。

パティ・デューク(Patty Duke、本名:Anna Marie Duke、1946年12月14日-)は、「アメリカ合衆国の女優。息子は俳優のショーン・アスティン。ニューヨーク州出身。1959年からブロードウェイで、ヘレン・ケラーとサリバン先生を描いた舞台"The Miracle Worker"に立つ。この舞台はヒットし、彼女は2年の間ヘレン・ケラーを演じた。この舞台は1962年に映画化され、パティはアカデミー助演女優賞を受賞。そのとき彼女はまだ16歳であった。その後はテレビ出演が多く、1976年にはエミー賞を受賞してもいる」。(ウィキペディア)

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