読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

芸術の再構築に挑む気概と本質探究の書、「芸術原論」(赤瀬川原平著)

2008-08-31 14:09:12 | 本;エッセイ・評論
<目次>()は初出年
I 芸術の素
考えことはじめ(1983-84)
波打つ偶然(1985-86)
本物そっくりのエネルギー(1985)
美の謎は乱数の謎(1985)
接触考(1984)

II 在来の美
絵を描きたい気持ちの分析~マチスの論文とピカソのエッセイ(1980-81)
マネのできぬ黒(1986)
頭脳家ゴッホ(1985)
ヘタウマ元祖のピカソ(1986)
ムンクの筆触(1984)
セザンヌ筆触考(1986)

III 脱芸術的考察
価値をつくる(1984)
自壊した絵画の内側(1986)
脱芸術の科学(1986)

IV 路の感覚(1986-87)
アークヒルズのエントツ
『吾輩は猫である』の猫の子孫
植物的無意識の採集
「ご当地」路上観察
「正解波」とのすれ違い
威風堂々の銭湯文化

V 芸術原論
デュシャンからトマソンへ(1987)
芸術原論(1988)


本書は、1988年7月に岩波書店より刊行され、1991年岩波同時代ライブラリー版となり、2006年5月に岩波現代文庫として第一刷が発行されたものです。書かれた内容は、目次に示したように1980年代の10年間のものをまとめた形になっています。赤瀬川さんがおよそ43歳~52歳に書いた論考集ということになります。

画家・赤瀬川原平さんが芥川賞作家・尾辻克彦さんであることは知っていましたが、これまで、その双方の作品のいずれも観たり、読んだりしたことはありません。本書を読んでまず感じたことは、著者は、考える人、考えつくす人、観る人、観尽くす人だ、ということでした。赤瀬川さんがこの論考を書いたのは、比べるべくもありませんが、現在49歳の私よりも若い頃からです。人間としての深見の違いをまざまざと知らされました。

ところで、シンクロニシティという言葉がありますね。ウィキペディアに次の解説があります。

「シンクロニシティ(英語:Synchronicity)とは、事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、従来知られていた『因果性』とは異なる原理として、カール・ユングによって提唱された独: Synchronizitätという概念の英訳である。日本語訳では共時性(きょうじせい)とも言う」。

「何か二つの事象が、『意味・イメージ』において『類似性・近接性』を備える時、このような二つの事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見做す」。

このブログでも、無作為で借りてきたDVDや買った本の内容に関係性があった個人的な体験をお伝えしたことがあります。本書もそういう一冊となりました。前回取り上げたローレンス・トーブ著の「3つの原理」との関係においてです。図書館で無作為に借りてきたこの二冊の共時性。

「3つの原理」が「人間→超人類」の進化を描いた近未来書であったのに対し、本書は「芸術→超芸術」の進化を綴った一冊だからです。本を借りるときには、その内容さえよくわからずに選んだのです。また、本書にはその「偶然」について著者自信が経験したことが記されてもいます。

日本語の「藝術」という言葉は、明治時代に西周(啓蒙家1829- 1897)によって「リベラル・アート」の訳語として造語されたそうですが、この言葉については、本書の中でいろんな切り口で語られています。それらの中で、私には著者による次の記述が腑に落ちるものでした。

「宇宙には重力をはじめとするさまざまな力関係が存在していて、それが水素をはじめとするさまざまな物質を創り出して、天体を創り、生物を創り、さらに知性を保有する人間を創った。つまり蛋白質をはじめとするさまざまな物質の組み合わせで精神というものを創り出した。つまり物質の組み合わせによって物質でないものを創り出したわけで、そのことを具体的に証明しているのが芸術である」

*リベラル・アーツ (liberal arts)あるいは自由七科(Seven Liberal Arts)とは、「今日では学士課程における人文学、社会科学、自然科学を包括する専門分野(disciplines)のことを意味する。欧米においては神学、法学や医学などの専門職大学院に進学するための予備教育としての性格も帯びている。原義は、『人を自由にする学問』のことであり、それを学ぶことで非奴隷たる自由人としての教養が身につくものである)。


また、本書には「アンデパンダン展」について書かれた箇所が少なくありませんが、このことについての説明がありませんので、ここで付記しておきます。

「アンデパンダンとは?仏語で“independant"、英語で“independent"。自主・独立を意味する言葉。芸術に対する権力や資本からの独立、制度的意識からの解放をめざしている」。

「第1回(日本アンデパンダン)展の目録には『発表の目由・表現の自由の最も端的な形態』であると同時にそれは『真の客観的な評価を求める道』であると書かれている。ある権威による価値ではなく、美術家同士、美術家と鑑賞者の相互評価の中から新たな価値を求めていくことをめざしている」。

本書には、印象派以降の画家たちについての鋭い分析と解説あり、千円札事件を通して総括することになった芸術の変遷と変容がつぶさに綴られ、画家・赤瀬川さんの真骨頂がいかんなく発揮されています。今度は、これまでの作品群に触れてみなければと思った次第です。何はともあれ、名著です。


赤瀬川原平(あかせがわげんぺい);1937年神奈川県生まれ.武蔵野美術学校中退.美術家,小説家,路上観察学会会員.60年,ネオダダイズム・オルガナイザーを結成し,前衛芸術活動を開始.64年,千円札模写作品を発表して起訴される.79年,尾辻克彦の筆名で小説『肌ざわり』を発表.84年『父が消えた』で芥川賞受賞.主著には『櫻画報大全』『東京ミキサー計画』『老人力』『千利休 無言の前衛』『優柔不断術』などがある.


<備忘録>
「自意識の引力と斥力」(P14~17)、「偶然の科学」(P28)、「異次元から漏れる偶然論講義」(P22)、「宮武外骨」(P35)、「戦争の練習としてのスポーツ」(P46)、「言葉の発生」(P49)、「印象派の画家たちの手法」(P55)、「印象派と絵画」(P72-3、119)、「マネスラモネコロドガ」(P107)、「厚塗りから薄塗りへ」(P121)、「画面の塗り残し」(P123)、「現代芸術の不能」(P129)、「精神と芸術」(P135)、「超芸術」(P140)、「つくることの原理」(P142-3)、「オブジェの認知」(P149-50)、「宇宙の缶詰」(P157-8)、「芸術の変遷/千円札事件」(P167-9)、「フォンタナの記号/記号の売買」(P171-2)、「超芸術/トマソンの誕生」(P175)、「植物ワイパー」(P214)、「むかしの職人の意志と仕事」(P244)、「路上観察学と冒険」(P246)、「デュシャンのモナリザ」(P271)、「トマソンの真価」(P275)、「デュシャンと日本/見立て」(P276-8)、「芸術家の真価」(P287)、「マイナスの文化としての日本」(P321)


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