都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

日本工業倶楽部

2019-11-06 | 千代田区 
日本工業倶楽部
所在地:千代田区丸の内1-4
建設年:1920(大正9)
構造・階数:RC(一部S)・5
ファサード設計:松井貴太郎(横河工務所)
備考 :保存再生
Photo 1998.10.31


 建て替え後の日本工業倶楽部会館部分 Photo 2003.3.26

 隣接のビルと併せて一体的に再開発された。当初は存続自体が危ぶまれたが、重要な部分を保存し、一部はレプリカ的に保存しながら超高層ビルとなった。背後の高層ビルは全面ガラス張りで、大きな違和感はない。もちろん本物を残すという意味では、惜しまれる部分も多々あるのだろうが、超高層ビル化の圧力が強い場所で、街並み景観をそれなりに存続させたことには、一定の評価がされてよいのではないかと思われる。
 ただし、超高層ビルを林立させること自体が富裕の象徴かどうかには、いろいろと疑問があるが・・・。

日本工業倶楽部会館・三菱UFJ信託銀行本店ビル
(完成当初は三菱信託銀行本店ビル)
建設年:2003(平成15)
構造 :S(一部SRC)
階数 :30・B4・R2
Photo 2004.11.24


 Photo 2003.3.26

 中央の屋上には殖産興業の象徴としての塑像が飾られていたが、これはリフレッシュされて真っ白で美しいものになった。

Wikipedia > 日本工業倶楽部

廃景録日本工業倶楽部
近代建築ホームページ日本工業倶楽部
日本工業倶楽部会館/丸の内1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#近代建築  #高層ビル  #松井貴太郎(横河工務所)  #登録有形文化財

2012.2.25
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東京銀行集会所/東京銀行協会ビルヂング

2019-11-04 | 千代田区 
東京銀行集会所(銀行倶楽部)
所在地:千代田区丸の内 1-3
建設年:1916(大正5)
構造 :煉瓦造(鉄筋で補強)
階数 :2+塔屋
設計 :松井貴太郎(横河工務所)
備考 :ファサードを残して解体。超高層ビル化
Photo 1988.2.28


 東京銀行協会ビルヂング  Photo 1993.11.21

 恐らくパネル状にした煉瓦で外側を覆っている。旧来のような構造体として働きは失われている。塔屋部分は辛うじて4面あるが、南側の屋根は棟部分まではなく半端なものになっている。また車寄せが取り払われ、一方で東端には自動車進入口が設けられた。屋根も昔のような自然な銅板葺きではなく、あらかじめ工場で緑青をふかせた緑青銅板を用いているようだ。厚く処理を施しているのか、色合いがベタッとして、テーマパークの建物のような妙な色をしている。

東京銀行協会ビルヂング
建設年:1993(平成5)
階数 :19+B4
備考 :2016.12〜17.6(平成28.12〜29.6)に解体
Photo 2009.1.14

 1993年に竣工した東京銀行協会ビルヂングだったが、隣接する銀行会館、みずほ銀行の前の本店ビルと合わせて一体的に建て替えることになり、2016年末から解体された。23年しか使われなかったことになる。

 跡地では29F・B4F・R2F、高さ150mの高層ビルが2018年から建設中で、2020年9月に完成する予定だという。

東京銀行協会ビルヂング - Wikipedia

東京銀行協会/丸の内1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#銀行・保険  #近代建築  #高層ビル  #松井貴太郎(横河工務所) 

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日本債券信用銀行

2019-10-22 | 千代田区 
日本債券信用銀行
所在地:千代田区九段北 1-13
Photo 1988.10.30

 九段下の交差点に面して建っていた戦後のオフィスビル。ロビー階はガラス張りの高い吹き抜けになっていて、上層階は水平庇が巡る横連窓。戦後の日本で多く造られたモダニズムオフィスビルの典型のような建物。日本債券信用銀行が1998年に破綻し、金融再生法により一時国有化されて整理されたあおりなのか、あっさり取り壊されてしまった。また、日債銀自体はあおぞら銀行となった。


 Photo 2019.7.16

 跡地には最近流行のツルッとした表面の高層ビル(北の丸スクエア)が2006年に完成した。

Wikipedia > 日本債券信用銀行北の丸スクエア

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #オフィス 
#銀行・保険  #高層ビル  #モダニズム 
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日本大学理工学部1号館

2019-10-10 | 千代田区 
日本大学理工学部1号館
所在地  :千代田区神田駿河台1-8
建設年  :1929(昭和4)
構造・階数:RC・6F
備考   :2001(平成13)解体、建て替え
Photo 1988.11.1

 御茶の水の日大理工学部のシンボル的存在だった。角に面したゴシックアーチの入口から入る校舎はなかなか格好良かったが、あまり話題になることもなくあっさり解体されてしまい、少々驚かされた。


 Photo 2017.2.28

 新校舎では旧建物のファサードは全く残されず、全面ガラス張りの近代的なものに替わった。


 Photo 2014.2.21

 旧校舎の玄関部分のみが、玄関内のエレベーターホールに展示されている。イメージが全然違うから展示するだけにしたのかもしれないけれど、せっかくなら玄関として使えば良かったのに・・・。

廃景録日本大学理工学部一号館
日本大学理工学部1号館/神田駿河台1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #大学  #近代建築 
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旧主婦の友社・お茶の水スクエア

2019-10-08 | 千代田区 
日本大学大学院法務研究科(旧主婦の友社・お茶の水スクエアA館)
所在地:千代田区神田駿河台 1-6
建設年:旧建物 1925(大正14)、現建物 1987(昭和62)
構造・階数:RC・3F
備考 :解体復元、高層棟増築(設計:磯崎新)
Photo 2005.3.25

 もともと主婦の友社として大正末期に建てられた建物を、ファサードを残して一度解体し、高層棟を新築。旧建物は内部構造も含めて改装され、お茶の水スクエアという、主婦の友社とその他テナントが入居する建物に生まれ変わった。またカザルスホールという室内楽専用の音楽ホールも同時に造られた。
 しかし最近(2002年)になって、日本大学の所有するところとなり、大学院法務研究科の建物となり、道を挟んで明治大学と相対することとなった。

 テラコッタ等の部品は旧建物のものを再利用しているが、壁体は完全に新築であり、保存というより外観の復元である。また中央の新しい高層棟のポストモダンデザインが旧来の建物と競うようにデザイン主張をしている。高層棟壁面が後退しているため、多少は目立たないのだが、改めて眺めてみると、かなりギャップのある組み合わせ。丸の内のビル群では、超高層棟はデザイン的には極力目立たないものにするという立場・無難な解決策が採られている。どちらが良いのか、正しいのか解らないが、20年以上経っても良くも悪くも刺激的な姿であり続けている。

 その後、日本大学がキャンパス再整備の一環として、カザルスホールを2010年3月末で閉鎖した。建て替えるのかどうかは不明だが、築20年ほどで次々に状況が変化するのには考えさせられてしまう。また、クラシックファンに評判が良かった室内楽専用ホールが失われたのは非常に残念。

Wikipedia > お茶の水スクエア

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #古い建物 千代田区  #新しい建物 千代田区 
#オフィス  #大学  #磯崎新  #ポストモダン  #近代建築 
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明治大学記念館

2019-10-06 | 千代田区 
明治大学記念館
所在地:千代田区神田駿河台 1-1
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:RC+SRC・4F
備考 :1998(平成10)に建て替えられ、超高層ビル化。
Photo 1988.11.1


 講堂内入口部分 Photo 1995.7.22


 講堂入口上部のステンドグラス Photo 1995.7.22

 文明開化に沸く人々が太陽を仰いで万歳する姿を描いたものだそうだ。講堂の外から見ると、このステンドグラスの上に二人の童子が梵鐘を持つブロンズのレリーフ「暁(あけ)の鐘」があったそうなのだが、内側から見ているのでレリーフの方は写っていない。

 このステンドグラスは、新築された超高層校舎の最上階(23F)の岸本辰雄ホールにレリーフと共に移設されている。


 Photo 1998.6.27

 超高層ビル化した建物の頂部にはドームが載っており、旧校舎のイメージの継承が図られている。また左側の翼部のイメージも残されている。しかし旧来の外壁は全く残されておらず、全面的に建て替えが行われた。

Wikipedia > 明治大学

明治大学記念館/神田駿河台1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区  #高層ビル 
#大学  #近代建築 
2007.2.25
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新宿東映

2019-05-08 | 新宿区  
新宿東映
所在地:新宿区新宿 3-1
備考 :2005〜06に解体
Photo 2004.4.1

 新宿御苑の近く、甲州街道沿いに建っていた。戦前のいわゆる近代建築ではなく、恐らく戦後の建物なのだが、2004年頃から周辺建物も巻き込んだ形で再開発事業が始められ、閉館、解体された。コンクリートむき出しの劇場建築には独特の存在感が漂うが、老朽化するとその存在感が逆に、ただ汚いだけになってしまっていた。

 近辺はもともとは内藤新宿の西端で、隣の二丁目は遊郭・赤線があった場所。新宿追分の近くには京王線の終点があり、戦前にはターミナルデパートがこの近辺にあったという。東映のあたりも昔は賑やかで新宿の中心地だった。京王線の終点が戦争中に西口になり、三光町・追分が新宿の中心だったのが、戦後、国鉄(現JR)新宿駅が街の中心になったことで、この一角は取り残され気味になってしまった。京王線の跡地や、甲州街道トンネルの入口が付近にあるため、駅からほど近い場所なのに、2000年代前半は、空虚な空間が散見された。

新宿三丁目イーストビル(新宿バルト9、マルイシティ1)
建設年:2007(平成19)
Photo 2008.1.20

 その後、新宿東映はほどなくして解体された。2007年春には新宿バルト9というシネコン(9ー14F)と、マルイシティ1(B1ー8F)からなる複合商業施設「新宿三丁目イーストビル」が完成し、近辺を歩く人も再び増えてこの場所の様子は様変わりした。今、同じ場所を歩いても、以前にこんな建物が建っていたということは全く想像できない。

 丸井は伊勢丹の向かいの場所の新宿本店も2009年に完成。2008年には東京メトロ副都心線が開通し、明治通りの地下に通路ができたこともあり、追分交差点を中心に大型店舗が建ち並ぶ空間に再編され、JR新宿駅とは別の結節点・核となっている。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #新しい建物 新宿区 
#映画館・ホール  #甲州街道 
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東京第一陸軍造兵廠 275号棟

2018-03-31 | 北区   
東京第一陸軍造兵廠275号棟(北東側から)
所在地:北区十条台1-2
建設年:1919(大正8) 東京第一陸軍造兵廠275号棟として建設
構造 :煉瓦、屋根小屋は鉄骨造
階数 :1F
規模 :54×27m
備考 :現在は北区立中央図書館「赤レンガ図書館」の一部
Photo 2002.9.29

 東南側から Photo 2002.9.29

 一帯の陸軍施設は組織の改編などに伴い、以下のように名前を変えた。また戦後の一時期は米軍に接収され、返還後は陸上自衛隊の施設等になった。

 1923(大正12)陸軍造兵廠火工廠十条兵器製造所
 1936(昭和11)陸軍造兵廠東京工廠銃砲製造所
 1940(昭和15)東京第一陸軍造兵廠第一製造所
 1945(昭和20)終戦
 1947(昭和22)米国陸軍に接収され、TOD(Tokyo Ordnance Depot:東京兵器補給廠)第四地区となる。
 1958(昭和33)第四地区の一部が日本に返還される。
 1959(昭和34)陸上自衛隊武器補給処十条支所となる。また、返還された施設の一部は民間会社に貸し出され、275号棟は東洋ゴムが運営していたタイヤ再生施設として利用された。
 1989(平成元) 東洋ゴムのタイヤ再生施設が閉鎖される。
 2008(平成20)北区の新中央図書館となる。


 再生前の様子 Photo 2002.9.29

 この写真を撮影した2002年当時は、何にも使われておらず廃墟状態だった。既に自衛隊の敷地ではなかったようだが、立入禁止で鉄条網や柵越しに眺めるしかなく、遠くからむりやり撮った写真しかない。撮影当時は解体の気配が濃厚だったので、見納めかもしれないと思いつつ、柵越しに一所懸命に撮ったものだ。

 だがその後、北区の中央図書館として保存しながら使うという展開になったために、現在は建物の中にさえもあっさり入れるようになっている。


 北区立中央図書館 Photo 2011.6.11

 赤煉瓦倉庫の本体を残しつつ、上側に被せるように新しい建物を建てている。


 東南側から Photo 2002.9.29

 図書館になって多くの人が使うようになったのは喜ばしいことで、赤煉瓦建物の歴史を多くの人が知ることになったのも良いことなのだが、個人的には雑草の原の向こうに建っていた廃墟状態の時の景色も懐かしい。明日にも壊されてしまうかもしれないという様子には哀愁が漂う。こんなボロボロの状態だった建物が、再生されてきれいな文化施設になったということも記憶に留めておきたい。


 北区立中央図書館 北西側から Photo 2017.1.23

 図書館になる前は、近づくことができなかったし、西側からも見ることができなかったので、北西側から見ることができるようになったのは感慨深い。この方向からだと煉瓦倉庫全体を残しながら図書館にしたことがよくわかる。


 北区立中央図書館・ホール Photo 2002.9.29

 図書館内部では窓などを取り払っており、往時の壁を通り抜けて開架書庫へ向かうことができるようになっている。


 北区立中央図書館・カフェテラス Photo 2002.9.29

 煉瓦造の倉庫でそのままでは耐震性に問題があるため、内側にRC造の壁をもう一つ建てて建物を支持しており、現在は煉瓦壁には構造的な負荷が掛かっていないのだそうだ。


 Photo 2002.9.29

 上層に新建物が載っていない場所には、昔からの鉄骨の小屋組が残されている。

関連記事 > 『東京人』都市出版社刊、2008年5月号、p.52
都市徘徊blog > 北区立中央図書館
Tokyo Lost Architecture
#古い建物 北区  #新しい建物 北区  #近代建築 
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テラススクエア

2018-01-25 | 千代田区 
テラススクエア
所在地:千代田区神田錦町3−22
建設年:2015(平成27)
構造 :S(一部SRC・RC)
階数 :17F・R3F・B2F
設計 :日建設計
Photo 2017.6.26

 博報堂の昔の建物は2009年に解体された。その後、跡地には高層ビルが新築されたのだが、その際に昔の建物のファサードと塔屋が再現された。


 Photo 2017.6.26 低層部・博報堂旧本館復元部分

 装飾などの部材を取り外して保管して、新しい建物にまた設置したもののようだ。躯体も含めて昔の建物を一部保存したわけではなく、いちど更地にしている。いちどは失われてしまったものなので、しばらくしてから以前同様の塔屋のある新建物のデザインが公表されたのにはちょっと驚いた。解体しておいていまさら復活させることに意味があるのだろうか?、という感じですらあった。


 Photo 2017.6.26 復元された博報堂旧本館玄関部分

 塔屋や玄関の壁面は、高層化に際して公開空地を確保する関係もあって、以前よりも道路から後退して造られている。現場に行って道路の反対側から低層部の写真を撮ろうとしたら、以前より簡単に画角に収まるようになっていた。


 Photo 2017.6.26 壁面だけが再現された東側側面

 東側の側面については塔屋に続く部分の壁面が途中まで衝立状に設置されている。東南側から塔屋を見た時のバランスは辛うじて確保されている感じ。新築の高層ビルはガラス張りで、正面以外の低層部も同様で、周囲の公開空地には緑地も造られ、それに絡めたデザインがされている。衝立状の壁は、昔の建物が残っているような誤解を与えることを避け、あくまでもイメージ復元であることを明らかにしているとも言える。


 Photo 2017.6.26 公開空地

 昔の様式的建築を好む一般の人は多い。一方で、現代の建築設計者は昔の建物のデザインを踏襲することをよしとしない面がある。オフィスビルの場合、所有者は機能的な新しいビルを求めることが多いので、古い建物は残りにくい。

 両者の間をとる形で、大手町野村ビル東京銀行協会ビル日本興業倶楽部など、都心のいくつかの近代建築では新旧のデザインを併存させて建て替えが行われている。このうち、大手町野村ビルや東京銀行協会ビルは、壁面のみを再利用したかたちで、旧博報堂本社ビルを建て替えたテラススクエアもこのタイプだ。内部までを残す価値を見いだしていない場合、このタイプになるのだろうか。

 都心の一等地なので、優遇措置がないと古い建物を維持していくことは難しいのだろうな。


 Photo 2017.6.26 2Fテラス席


 建て替え前の博報堂旧本社ビル

博報堂旧本社ビル - 都市徘徊blog 20110926
博報堂旧本社ビル
所在地:千代田区神田錦町3−22
建設年:1930(昭和5)
構造 :RC
階数 :3F+塔屋
備考 :2009年10月から解体。建て替え
Photo 2005.3.25
博報堂/神田錦町3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 千代田区  #新しい建物 千代田区 
#オフィス  #高層ビル  #岡田信一郎  タグ一覧
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静岡新聞・静岡放送本社ビル

2017-03-15 | 静岡県  
静岡新聞・静岡放送本社ビル
所在地:静岡市駿河区登呂3-1
竣工年:1970(昭和45)
構造・階数:S造・17F
高さ :68m
設計 :丹下健三
Photo 2016.8.18

 全景を納められる場所を今まで知らなかったのだが、北西側にあるSCの屋上駐車場に行けばよいことをネットで知り、昨年夏に改めて撮ってみた。

Photo 2016.2.25

 丹下健三さん設計の静岡新聞社というと、銀座にある東京支社(1967年)の方が圧倒的に有名だが、静岡市内にある本社ビルも丹下さんの設計。 静岡生まれとしては、実はこちらの方が馴染みだったりする。

Photo 2016.2.25

 メタボリズムの考え方が全面的に出ている東京支社に比べると、普通のオフィスビルっぽいけれど、北側をコアにして、南側のオフィス部分を階によって張り出したり引っ込めたりするあたりは多少それっぽい。 全体の姿形の格好良さ、バランスの良さは、やはり丹下さんならではかと思う。

@S[アットエス] | 静岡新聞SBSオフィシャルサイト
SBSテレビトップ|SBSテレビ[静岡放送]-アットエス

静岡新聞 - Wikipedia  静岡放送 - Wikipedia

#新しい建物 静岡県  #オフィス  #高層ビル  #丹下健三  #メタボリズム 

静岡の建築

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