認知症の人はたくさんのことを忘れる、というけど、
こちらから見たら「忘れたんだな」と捉えるけど、
認知症の病状が進むとその人の中には“忘れた”という意識はなくなるように見える。
認知症じゃない人は、
自分が(忘れた)という意識現象になっていることがわかるから、
「あ、忘れてた」という思いが浮かぶ。
認知症の進んだ人は「あ、忘れてた」というのがない。
饅頭一箱を一度に食べても、「食べてない」と言うのは
食べた記憶がないということだから、
記憶が元々ないのなら、忘れた、ということもない、のは当たり前。
綾小路きみまろのトークに「散歩しているのに、徘徊してると間違われ」というのがある。
歩いている人の意識では、散歩であっても、家に帰る途中であっても、
それを見る人が徘徊してると見ると、見る人にとってはそれは徘徊になる。
忘れる、というのも同じかな。
おばあちゃんは忘れてばっかりでイヤになるという気持ちもわかるけど、
忘れてばっかりっ!と非難しても、
非難されたおばあちゃんは困ってしまう。
こちらから見たら「忘れたんだな」と捉えるけど、
認知症の病状が進むとその人の中には“忘れた”という意識はなくなるように見える。
認知症じゃない人は、
自分が(忘れた)という意識現象になっていることがわかるから、
「あ、忘れてた」という思いが浮かぶ。
認知症の進んだ人は「あ、忘れてた」というのがない。
饅頭一箱を一度に食べても、「食べてない」と言うのは
食べた記憶がないということだから、
記憶が元々ないのなら、忘れた、ということもない、のは当たり前。
綾小路きみまろのトークに「散歩しているのに、徘徊してると間違われ」というのがある。
歩いている人の意識では、散歩であっても、家に帰る途中であっても、
それを見る人が徘徊してると見ると、見る人にとってはそれは徘徊になる。
忘れる、というのも同じかな。
おばあちゃんは忘れてばっかりでイヤになるという気持ちもわかるけど、
忘れてばっかりっ!と非難しても、
非難されたおばあちゃんは困ってしまう。