姑と一緒に暮らし始めた頃は、
亡くなる前とは比べられないくらい、私に攻撃的だった。
その攻撃の奥にあるもの・・・自分を守りたい、
傷つきたくない、心安らかに暮らしたい、
そういう思いの表現として、
いろいろな言葉を発したのだと私は受け取っていた。
攻撃は最大の防御というし。
やっぱり弱い犬は吠えてしまう。
一方的な言葉や、
邪険な言葉遣いやそんな顔をされたこともあったけど、
少しも傷つかなかった。
姑は事柄としては事実無根のことを、
私がしたと言ったりしたこともあったけど、
そういうとき、本気で謝った。
謝る、そのことをしたかった訳じゃない。
姑のそう言いたくなった気持ちを受け取りたかった。
事柄の有無を問うことなんか、したいとも思わなかった。
彼女が安心して暮らせるように、それだけをしたかった。
前に書いたMさんに対してはそういう自分の意志がはっきりとなかった。
姑のときははっきりとした私の意志があった。
それが全然ちがう。
「今 ここで 私は 何を したいのか」ということの自覚があった。
互いに気持ちよく暮らしたい、という気持ち、
心楽しく暮らしたいという意志がはっきりとあった。
自分の気持ちも殺すことなく、
姑の気持ちも殺すことなく、
そういう方法は必ずあると確信していた。
そのことが頭から離れたことがなかった。
瞬間瞬間を生きるとは、
自分の瞬間の意志が自分にわかっていることかもしれない。
これを最初に書いたのはブログを始めるよりもっと前、多分3年くらい前だったと思う。
私というひとが書いたその時の気持ちなんだけど、
この気持ちを常に持ってそれからの日々を暮らしていたわけじゃない。
そうじゃない瞬間の方がずっと多かったと思う。
いつでもどこでも誰にでも何にでもこの気持ちでいける程にはなってない。
だから、こうして実践しながら、私なりのやり方でブログ書いたり、
本を読んだり、してる。
亡くなる前とは比べられないくらい、私に攻撃的だった。
その攻撃の奥にあるもの・・・自分を守りたい、
傷つきたくない、心安らかに暮らしたい、
そういう思いの表現として、
いろいろな言葉を発したのだと私は受け取っていた。
攻撃は最大の防御というし。
やっぱり弱い犬は吠えてしまう。
一方的な言葉や、
邪険な言葉遣いやそんな顔をされたこともあったけど、
少しも傷つかなかった。
姑は事柄としては事実無根のことを、
私がしたと言ったりしたこともあったけど、
そういうとき、本気で謝った。
謝る、そのことをしたかった訳じゃない。
姑のそう言いたくなった気持ちを受け取りたかった。
事柄の有無を問うことなんか、したいとも思わなかった。
彼女が安心して暮らせるように、それだけをしたかった。
前に書いたMさんに対してはそういう自分の意志がはっきりとなかった。
姑のときははっきりとした私の意志があった。
それが全然ちがう。
「今 ここで 私は 何を したいのか」ということの自覚があった。
互いに気持ちよく暮らしたい、という気持ち、
心楽しく暮らしたいという意志がはっきりとあった。
自分の気持ちも殺すことなく、
姑の気持ちも殺すことなく、
そういう方法は必ずあると確信していた。
そのことが頭から離れたことがなかった。
瞬間瞬間を生きるとは、
自分の瞬間の意志が自分にわかっていることかもしれない。
これを最初に書いたのはブログを始めるよりもっと前、多分3年くらい前だったと思う。
私というひとが書いたその時の気持ちなんだけど、
この気持ちを常に持ってそれからの日々を暮らしていたわけじゃない。
そうじゃない瞬間の方がずっと多かったと思う。
いつでもどこでも誰にでも何にでもこの気持ちでいける程にはなってない。
だから、こうして実践しながら、私なりのやり方でブログ書いたり、
本を読んだり、してる。