今朝の毎日新聞「余録」に、日葡辞書の〈Xite〉の項についての言及がありました。これを読むまでわたしは、能の「シテ」と、株の「仕手戦」「仕手筋」とかの「仕手」が同じ言葉だったとは気づきませんでした。
そこで『日国』で「して」をひくと、古い例として、連歌論書『九州問答』(1376)の、「今の様にては連歌の士手出来する事難有や侍らん」という用例を挙げている。ここでいう「連歌の士手」とは、〈連歌の熟達者〉とか〈──名手〉とかいう意味。『日国』に挙例されるものとしてはこれが最古例です。ということは、室町の始めごろから使われるようになった言葉なのでしょう。能でも、すでに世阿弥の『風姿花伝』に出てくる。連歌と能はきわめて近接した能藝だったから、連歌作者たちが使っていたことばを世阿弥が借りてきた可能性は大かも。
そして株屋さんについていう「仕手」は、1917年の『取引所用語字彙』にすでに見えるらしい。大正6年。わたしはここで、年末に見た『京都 天下無双の別荘群』を思い出しちゃったよ。あそこの東山の別荘の持ち主であった実業家の誰だったかが、能に凝っていたんだよね。してみると、「して」って言葉を株屋の世界に持ち込んだのは、能ぐるいの、どこかの株屋の旦那だったのではないか。
そこで『日国』で「して」をひくと、古い例として、連歌論書『九州問答』(1376)の、「今の様にては連歌の士手出来する事難有や侍らん」という用例を挙げている。ここでいう「連歌の士手」とは、〈連歌の熟達者〉とか〈──名手〉とかいう意味。『日国』に挙例されるものとしてはこれが最古例です。ということは、室町の始めごろから使われるようになった言葉なのでしょう。能でも、すでに世阿弥の『風姿花伝』に出てくる。連歌と能はきわめて近接した能藝だったから、連歌作者たちが使っていたことばを世阿弥が借りてきた可能性は大かも。
そして株屋さんについていう「仕手」は、1917年の『取引所用語字彙』にすでに見えるらしい。大正6年。わたしはここで、年末に見た『京都 天下無双の別荘群』を思い出しちゃったよ。あそこの東山の別荘の持ち主であった実業家の誰だったかが、能に凝っていたんだよね。してみると、「して」って言葉を株屋の世界に持ち込んだのは、能ぐるいの、どこかの株屋の旦那だったのではないか。