歌わない時間

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「東」ではなくて「柬」

2013年01月07日 | 気になることば
長崎県諫早市。わたしは諫早の知り合いがすくなかったので、自分で諫早、と手書きすることがこれまであまりなく、書いても諌早、と書いて済ませてました。でも、ほんとうの諫早の「諫」の字は、言ベンに「東」、ではなくて「柬」。

この、横棒ではなくてちょんちょんの「柬」は、ふだん使わない漢字ですが、束ねたものをより分ける、とか、えり分けて取り出す、という意味だそうで、音読みは漢音で「カン」、呉音で「ケン」。つまり「柬」が「カン」だから、これに言ベンがついた「諫」も「カン」なのね。たとえば諫言(カンゲン)とか。字の意味からいっても、「柬」が〈えらぶ、見きわめる〉という意味だからこそ、それに言ベンがついた「諫」が〈善し悪しを分けて、とがめる〉ということになる。

いちおう「東」についてもみておくと、いま手元にロゴヴィスタ版の『漢字源』しか漢和辞典がないんですが、これによると「東」には本来「柬」に通ずるような意味はなかったようですよ。それに、「東」は音読みも漢音「トウ」、呉音「ツウ」で、「カン」とは読めない。つまり、ちょんちょんの「諫」が横棒の「諌」と書かれるようになったのは、単に字形が似ているから、くづし字や速さが求められる手書きのときに「諌」と書かれた、ということのようです。

わたしだって知らずにこれまで「諌早」と書いてきたのでえらそうなことは言えないんですが、字の意味からいうとやはり「諫早」とあるべきで、まあ「いさめる」なんて動詞、時代小説の作家でもないかぎり使う機会はそうそうないとは思いますが、これを漢字変換させるなら「諌める」ではなく、ちゃんと「諫める」と変換させたい。