歌わない時間

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平岩弓枝『夜鴉おきん』

2014年02月09日 | 本とか雑誌とか
平岩弓枝『夜鴉おきん 御宿かわせみ12』(文春文庫)再読。「酉の市の殺人」「春の摘み草」「岸和田の姫」「筆屋の女房」「夜鴉おきん」「江戸の田植歌」「息子」「源太郎誕生」。

何度か書いていますが、わたしは高校時代に平岩弓枝の現代小説から読みはじめて、それからNHKの真野響子版の『御宿かわせみ』は見ましたが、原作の『御宿かわせみ』を読むようになったのはかなり遅く、三十代になってからだったと思います。平岩さんの現代ものは筋を売るだけの痩せた小説が多いと思っているのですが、『御宿かわせみ』は江戸の空気感がよく出ていていいですよね。巻がすすむと幕末の物騒な世相が作品の中にも入り込んできますが、この十二巻めではまだそこまでは。畝源三郎のところに嫡男源太郎が誕生しますが、天野宗太郎はまだ独身。東吾とるいの祝言もまだ。わたし、もうちょっと先の巻まで読みましたが、『御宿かわせみ』全部読む気はないんです。東吾・るいの祝言までいっちゃうと、なんだか『かわせみ』の世界が変形していってしまうようで。おふたりさんには、永遠に、祝言こそ挙げてないけど実質夫婦、いちゃいちゃ、らぶらぶ、のままが似合うと思う。

『御宿かわせみ』はるいや東吾や、ふたりを取り巻く人びとの愛嬌とは裏腹に、わりと寂しい読み味の作品が意外とあるんですね。初期の「初春の客」とか。本巻でも「春の摘み草」とか「江戸の田植歌」とか。それから「息子」は、この前亡くなった先[せん]の勘九郎さんが、お父さんの勘三郎さんのお葬式のときに泣いてらして、それを見かけた平岩さんがその勘九郎さんの男泣きの姿に触発されて書いた、とか、どこかで語っていた。

「江戸の田植歌」のなかにこんな文がある。「町屋が広がれば、それにつれて町奉行所の管轄地も広がって、この節は千代田城から四里四方、東は砂村、亀戸、木下川、須田村、西は角筈、戸塚、上落合、南は上大崎、南品川、北は千住、尾久村、滝野川、板橋までが御府内となっている。」(pp.177-178)こんなことが書いてあれば、そりゃ昨今の江戸ブームだもの。ぢゃあ幕末の江戸の境界線を歩いてやろう、とか思う人たちが当然出てくるはずだ。

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