歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

『魔術の殺人』と"オンブラ・マイ・フ"

2008年01月03日 | 音楽について
■アガサ・クリスティの『魔術の殺人』を読みました。1952年の作で、マープルもの。クリスティはもうだいたい読み尽くしたつもりだったんですが、これは初めてでした。何かの拍子で未読だったんですね。で、ヘンデルの楽譜の話が出てきます。舞台はクリスティによくあるイングランドの田舎のお屋敷で、そこで殺人事件が起こり、警部が部長刑事とともに捜査に乗り込んできます。

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 警部は、ピアノにのっている楽譜を、もの思いにふけりながら、のぞきこんだ。「ヒンデミット? だれだね、これは? 聞いたことのない名前だな。ショスタコヴィッチだと! おやおや、ひどい名前があるものだ」彼は立ちあがると、古風なピアノ椅子を見おろした。彼は座面を持ちあげ、なかをのぞいた。
「こいつはまた、クラシックだね。ヘンデルのラルゴ、ツェルニイの練習曲、先代のグルブランドセンの時代のものばかりだ。“われは知る、うるわしき園を──”私が子どものころ、教区牧師の奥さんがよく歌っていたっけ──」
(クリスティー/田村隆一訳『魔術の殺人』ハヤカワ文庫、p.272)
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■この小説にはピアノを弾く人は出てくるけれど歌をうたう人は出てこないし、あとのチェルニーはもちろんピアノの曲ですから、「ヘンデルのラルゴ」は、たぶんピアノ編曲版の楽譜だったんでしょうね。で、この警部は「ヘンデルのラルゴ」っていうのがどういう曲か知っていて、子どものころに牧師の奥さんが“われは知る、うるわしき園を──”って歌っていたのを思い出した。この歌詞は"Ombra mai fù"にしてはちょっと言葉の意味がずれている気もしますが、たぶん牧師夫人は英訳の歌詞で歌ってたんぢゃないでしょうか。まあクリスティの原英文を見たらすぐ解決のつくことですが。で、1952年に働き盛りであった警官が子どもだったころ──ということはつまり20世紀初頭──、"Ombra mai fù"はすでにこれだけイギリスでポピュラーな音楽だった、ってことになっているわけですな。