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歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ヘルビヒ『ヘンデル_デッティンゲン・テ・デウム』

2011年12月07日 | CD ヘンデル
Handel
Dettingen Te Deum, HWV283
Te Deum in A major, HWV282
Mields, Andersen, Wilde, Dixon
Alsfelder Vokalensemble
Concerto Polacco
Wolfgang Helbich
8.554753

1999年録音。54分06秒。NAXOS。ドイツの指揮者ウォルフガング・ヘルビヒが1971年にみづから創立した合唱団を指揮して録音した『デッティンゲン・テ・デウム』と、HWV番号が隣り合ったもうひとつのテ・デウム。コンチェルト・ポラッコは時代楽器のオケで、客演。

『デッティンゲン・テ・デウム』は、わたしの知るかぎりではファゾリスの演奏がもっともすぐれていますが、このヘルビヒのでも曲の魅力は伝わると思います。指揮も、演奏も、よくも悪くもNAXOSふう。可もなく不可もなくといったところ。それぞれの曲を知るにはいいですが、特に個性のある演奏とは言いがたい。合唱団もソリストもむちゃくちゃ巧いわけでもなく、かといって聞くに堪えないということもなく、きわめて普通。

HWV282のイ長調のテ・デウムははじめて聴きました。これもなかなか面白い曲ですよ。ところどころ、ヘンデルさんやっつけ仕事で書いたな、と思わせる部分もあるので、聴かせかたがむつかしいけど。

マクリーシュ『ヘンデル_テオドーラ』

2011年12月04日 | CD ヘンデル
Handel
Theodora
Gritton, Bickley, Blaze, Agnew, Davies
Gabrieli Consort & Players
Paul McCreesh
469 061-2

2000年録音。76分09秒/60分23秒/46分47秒。Archiv。最晩年のオラトリオ『テオドーラ』と『イェフタ』はヘンデルの到達点。この後にも旧作の改作を発表していますが、実質上、ヘンデルは『テオドーラ』と『イェフタ』で燃えつきました。とにかくこの両作を聴かずしてヘンデルは語れませぬぞ。このマクリーシュの『テオドーラ』が決定盤とは思いません。まあなんとか、合格点の出せる演奏といったところ。

『テオドーラ』は帝政期のローマで殉教するクリスト教徒の男女の物語で、直接聖書に題材を取っているわけでもなく、もちろんギリシャ神話でもありません。その題材の点でもヘンデルのオラトリオとして異色ですが、主人公ふたりの死で幕を閉じるという結末も特異です。最後の合唱が短調で終わるのはヘンデルのオラトリオで唯一?

マクリーシュの指揮はあまり余計なことをせずに安全運転でいこうというもの。まったりとしていて、情景をたんたんとつないでいく。しかしソリストも合唱もテクニックがちゃんとしているので(とくに合唱は秀逸)、聴いてる分にはそう不満なく聴き通せる。とくに『テオドーラ』を初めて聴く聴き手には向いています。しかしわたしとしては、せっかくこの傑作を振るんだからまちっと彫り深くやってくれないかね、って言いたくもなりました。

『テオドーラ』についてはNHK-FMでおおむかしに聴いたアーノンクールのライブ録音が忘れられない。ディディムスのポール・エスウッドがすばらしかった。殉教者らしい高潔さとそこはかとない男の色気を感じさせる美声で、嘆賞にあたいする名演でした。アーノンクールの指揮もこの作品の丈の高さをよく引き出した、すぐれたものでした。その後アーノンクールのCDも出ましたが、カウンターテナーがエスウッドではなくコワルスキだったので買いませんでした。さらにこの後出たクリスティにも関心はあるものの、いまだに聴いてない。

このマクリーシュ盤のキャストではディディムスのブレイズが、エスウッドの品格には及ばぬものの、聴くべき歌唱。柔軟な歌いぶりの中に勁さも感じさせる。けれどほかの人は没個性的です。テオドーラのグリトンはまあまあ。不満を感じるのがバレンスのデイビスとイレーネのビックリー。どちらも無難にまとめているというだけで、それぞれの役に求められる歌い込みは稀薄。セプティミウスはアグニューで、これもとくに難はありません。そもそもこのオラトリオではセプティミウスって役はあまりたいしたことないんですよ。この役、なくてもいい。

ミンコウスキ『ヘンデル_ジューリオ・チェーザレ』

2010年11月07日 | CD ヘンデル
Handel
Giulio Cesare
Mijanović, Kožená, von Otter, Hellekant, Mehta, Ewing
Les Musiciens du Louvre
Marc Minkowski
UCAA-1032/4

2002年録音。75分37秒/80分11秒/62分51秒。ARCHIV。ヤーコプス盤も評判よかったですが、アルヒーフから『ジューリオ・チェーザレ』が出ると聞いたので、がまんして国内盤が出るのを待ってから買いました。ミンコウスキを聴いたのはこれが初めてでした。やたら速く振る人という先入観があって、わたしとしては評価低かったんですが、この曲に関しては説得力のある指揮ぶりで、これでいいと思います。現代のヘンデルオペラ、現代のバロックオペラはかくあるべし、というミンコウスキの確信をわたしは感じましたね。なお、アルヒーフから『ジューリオ・チェーザレ』が出たのはリヒター盤以来とのこと。

チェーザレもクレオパトラも、コルネリアもセストも、ぜんぶメゾソプラノなのはちょっとどうかと思ったんですが、声質がはっきり違うので問題ないです。あらかじめその歌手を知らなくても聴きわけられる。コジェナはいちおうメゾと書いてあるけどこの人はソプラノでもいける。っていうか、この人は低いほうも出るソプラノ、なのね。クレオパトラは一癖も二癖もある役なので、コジェナはちょっと可憐すぎるかもしれませんが、この人が出てくると柑橘系のえもいわれぬ色香が漂うのが、やはり歌手としての大きさということなんでしょう。

フォンオッターがセストで、こりゃちょっと薹が立ってる。分別くさくて、十代の若者には聞こえないよ。しかしフォンオッターをキャスティングするならセストしかない。この人は色気がないのでチェーザレには向かない。

このCDで『ジューリオ・チェーザレ』をはじめて全曲聴いたんですが、たしかにいいアリアが次から次へとめじろ押しで、聴きごたえがありますね。なかでもクレオパトラの歌うアリアはどれもこれもヘンデル最高水準の美しさ。とくに3幕の〈Piangerò la sorte mia〉はすごいね。メロディーメーカーとしてのヘンデルの美質のもっともよいところが出ていると思う。

トローメオって役は、徹底して他の主役4人を引き立てるためだけに出てくる役なのね。今回聴き直して、あらためてそう思いました。

コープマン『ヘンデル_メサイア』

2010年10月31日 | CD ヘンデル
Handel
Messiah
Kweksilber, Bowman, Elliott, Reinhart
The Amsterdam Baroque Orchestra
The Sixteen
Ton Koopman
0630-17766-2

1983年録音(8月のイタリア・リミニと、9月のオランダ・ユトレヒトでのライブ)。74分57秒/65分35秒。ERATO。2回のコンサートの出来のいい方の音を採ってつないだそうです。テンポは心持ちゆっくりめ。コープマンの表現はコクがあり、例によって通奏低音のチェンバロが雄弁で楽しい。シクスティーンは、技巧は完璧だがそれをひけらかさず、ナチュラルかつさわやかな歌いぶり。コープマンのゆっくりめなテンポにも適確に反応してすばらしい。合唱に関しては、今日なお、もっともすぐれた『メサイア』(少なくともそのひとつ)だと言っていいです。

しかしソロがやや落ちます。ソプラノのクベクジルバーが魅力に欠ける。ずっと不調だったのか、もともとこういう声の人なのか、声が美しくない。いまから30年近く前の録音であることを考慮しても点は辛くなる。他の三人はまあまあといったところ。エリオットは美声はいいんだけどやはりところどころ音程が微妙。まあホグウッド盤よりも意欲的な歌いぶりな点は買える。ラインハートによる〈Why do the nations〉と〈The trumpet shall sound〉は特に破綻もないかわりにやや小粒。

ザ・シクスティーンの録音としては早い時期のもの。メンバー表によると5・4・4・4。Sally Dunkley、Haward Milner、Mark Padmore、Simon Birchall、Francis Steele、Jeremy Whiteなどがいます。オーケストラは弦がVn6のほか、Va、Vc、Cb各1。あとOb2、Fg1、Tp2。リーダーはMonica Huggett。VaはTrevor Jones、VcはJaap ter Linden。さらにティンパニ、オルガン各1、そしてコープマンがチェンバロを弾きながら指揮をする。

版は面白いのを使っています。〈Thus saith the Lord〉と〈But who may abide〉はどちらもバス。第2部の〈How beautiful are the feet〉と〈The sound is gone out〉はソプラノのダカーポ・アリアとして、ひとつの曲になってます。中間部となる〈The sound is gone out〉は当然ながら合唱バージョンとはまったく違うメロディ。〈How beautiful〉から引き続くシチリアーノの上昇音型が美しい。この稿を、来日して『メサイア』を演奏したときにもコープマンは使っていた。バスの〈Why do the nations〉は、長いほうの版。第3部のAとTのデュエット〈O death, where is thy sting〉はめづらしく長いほう。〈If God is for us〉はソプラノ。

久しぶりに聴いたらまあまあでしたよ。なにしろシクスティーンはすばらしい出来。評価の分かれ目はクベクジルバーの地味ぃなソロに我慢できるかどうか、です。

ホグウッド『ヘンデル_合奏協奏曲集Op.3』

2010年10月15日 | CD ヘンデル
Handel
Concerti grossi, op.3
Handel & Haydn Society
Christopher Hogwood
444 165-2

1988年録音。60分18秒。Decca/L'Oiseau-Lyre。ヘンデルのOp.3はCD1枚におさまるコンパクトな合奏協奏曲集。ヘンデル・ハイドン・ソサエティはホグウッドの指揮でOp.6も録音していますが、このOp.3のほうが早く録音されています。オケの音色がAAMとはやっぱり違う。この曲集はOp.6とはちがって管がけっこう活躍するわけですが、弦も管も、ヨーロッパのアンサンブルとは違った、鄙びた奔放な音を出している。その勢いのよさにひかれて聴きとおしてしまう。ホグウッドの指揮はOp.6の場合と同じく保守的で、意表を突くような奇手を用いるわけでもなく、身もふたもない言い方をすれば藝がないけれど、オケの奔放さのおかげで怠惰に流れることから救われている。

Op.6ではさほど思いませんが、Op.3を聴いてると「あれ、この曲はオラトリオの序曲っぽいよ」とか「この曲はシャンドス・アンセムからの転用だわ」とか、「ここはまるでオーボエ協奏曲ですな」とか、いろいろつぶやきたくなる。6番は『エイシスとガラテア』の序曲を思わせますね。

マンゼ『ヘンデル_合奏協奏曲集Op.6』

2010年03月18日 | CD ヘンデル
Handel
Concerti Grossi, Op.6
The Academy of Ancient Music
Andrew Manze
HMU 907228/9

1997年録音。79分10秒/77分34秒。HMF。ホグウッドのあとでマンゼを聴くとマンゼの聴かせ上手が際だちます。この曲集はたしかにバッハの『ブランデンブルク協奏曲』とならぶバロックの協奏曲の到達点ではありますが、150分つづけて聴いちゃうと退屈してしまう。その点マンゼはあの手この手で工夫して、飽きさせません。

ホグウッドはOp.6をAAMではなくてアメリカのヘンデル・ハイドン・ソサエティと録音したので、AAMにとってはこれが初録音てことになります。ま、ホグウッド時代のAAMとマンゼのAAMとではメンバーもごっそり入れ替わっているので、内実はおなじコンソートとは言いにくいですが。

マンゼが古楽オケを指揮した演奏はこれしか持ってないのですが、この人の指揮はなにしろ統率力がすごい。そしてマンゼの強靭な表現意欲のもと、AAMは一糸乱れずついていく。このへん、ホグウッドのころのAAMとは雰囲気からして違う。いやまあ、ホグウッド指揮のAAMが下手だったとかそんなことではなくて、あのころの大らかなのびのびした気配が、ここにはもうないのね。あれはあれで悪くなかったんですが。

マンゼのヘンデルはこのほかエガーとのバイオリン・ソナタもありますが、おもしろく聴かせてはくれてもそのあざとさが鬱陶しかった。けれどこのOp.6はいいと思う。マンゼの表現意欲に負けないだけの、作品自体の個性の強さが、Op.6にはある。マンゼはそれをよく引きだしている。

Op.6のお薦めを訊かれたら、やはりこのマンゼでしょう。個人的にはアーノンクールも捨てがたいけれど、どちらかひとつ、と言われたらマンゼ。

パロット『ヘンデル_エジプトのイスラエル人』

2010年03月06日 | CD ヘンデル
Handel
Israel in Egypt
Argenta,van Evera, Wilson, Rolfe Johnson, Thomas, White
Taverner Choir & Players
Andrew Parrott
5 61350 2

1989年録音。68分28秒/66分23秒。Virgin。パロットのヘンデルはいくつかありますが、もっとも成功しているのはこの『エジプトのイスラエル人』です。そしてこの曲の何種類かの録音を聴き比べた中で、ガーディナーの旧盤とならんで出来がいい。安定感があって、かつ勢いもある。パロットは合唱の扱いが巧いですからねえ。さらに時代楽器使用で、さらにさらに、第1部から第3部まですべて収録の完全版。人に『エジプトのイスラエル人』のお薦めCDを訊かれたら、わたしはひとまづ、このパロットの演奏を推しておきますね。

合唱は12・8・6・6。ソプラノのルース・ホルトンRuth Holtonやジル・ロスGill Ross、アルトのジョナサン・ケニーJonathan Kenny、クリストファー・ローヤルChristopher Royal、テナーのニコラス・ロバートソンNicolas Robertson、アンドルー・トゥサAndrew Tusaなんて人たちはガーディナーの新録音や旧録音でも合唱に加わり、またソロを取ってました。

この演奏では、ソロに関してはアージェンタとロルフジョンソンというメジャーな歌手を呼んで歌わせている。ふたりとも文句のない、いい仕事ぶり。でもカークビーがいないのは残念です。フィナーレの、ソプラノがたったひとりで無伴奏で歌うソロ、カークビーで聴いてみたかった…。例によって音程のアヤシイのがデイビッド・トーマスで、第1部でチラッと音をはづしかけます。ま、大きなキズではないけどね。第3部のバス2重唱もトーマス歌ってますがこちらはだいじょうぶです。

わたし、古楽に目覚めて最初に(FMで)聴いたのが『エジプトのイスラエル人』で、刷込みがあるせいか、ヘンデルのすべての作品のなかでも指折りの傑作だと思っています。合唱音楽の名品として、作品の規模は違うけどバッハの『モテット集』と対になる感じかな。とくに第3部の冒頭合唱の躍動感。そしてフィナーレ。合唱が"The Lord shall reign for ever and ever"と歌って、テナーのレチタティーボ、また合唱、テナー、ソプラノ、合唱、と盛り上がっていくところ。あそこは何度聴いてもすばらしいね。

VirginのCDはミッドプライス盤とロープライス盤が並行して売られていますが、わたしの買ったのはミッドプライス盤です。歌詞つき。メンバー表つき。ケースは厚いですけど。

イェネマン『ヘンデル_シャンドス・テ・デウム』

2010年03月05日 | CD ヘンデル
Handel
Chandos Te Deum HWV 281
Chandos Anthem "Let God Arise" HWV 256a
Vocalsolisten Frankfurt ・ Gerhard Jenemann, conductor
Drottningholms Baroque Ensemble
74321 59228 2

1994年録音。56分41秒。ARTE NOVA。歌詞は載っていません。それから、CDケース裏にシャンドス・アンセム第11番"Let God Arise"のHWV番号を「265a」としていますが、上記のとおり「256a」が正しい。そういう不備はありますが、このCD、おもしろかったです。表紙にシャンドス・テ・デウムは世界初録音、て書いてある。わたしももちろんはじめて聴いた。とくべつ力のこもった超名曲、ってわけではないにせよ、けっして駄作ではない。演奏のしようによってはおもしろく聴かせられると思いました。親しみやすく、ほどほどに華やかで、他のテ・デウム同様、合唱メインに楽しく聴ける曲でした。このCDの演奏はちょっとざわつくところもあるけれど総じて積極的な歌いぶりが好ましい。人数は、取り合わせられたシャンドス・アンセムの場合ともども、声楽器楽総勢でも20人ていどではなかろうか、そのくらいの小ぢんまりした編成です。音楽づくりはのびのびとしていて、あちこちに出てくるソロ・パートも合唱メンバーが務めていて、それなりに聴かせます。

それにしてもヘンデルって人はテ・デウムたくさん書いてるのね。この前聴いたのはキャロライン・テ・デウム。それから、地名がついてるのがデッティンゲン・テ・デウム、ユトレヒト・テ・デウム、それからこのシャンドス・テ・デウム。ほかにもニックネームのついてないテ・デウムがまだあるようですよ。

ガーディナー『ヘンデル_エジプトのイスラエル人』(旧録音)

2010年03月02日 | CD ヘンデル
Handel
Israel in Egypt / The Way of Zion Do Mourn
Knibbs, Troth, Greene, Priday, Royall, Stafford, Gordon, Clarkson, Elliott, Kendall, Varcoe, Stewart (Israel in Egypt)
Burrowes, Brett, Hill, Varcoe (Funeral Anthem)
Monteverdi Choir
Monteverdi Orchestra
John Eliot Gardiner
2292-45399-2

1978年1月(葬送アンセム)、10月(エジプト)録音。69分23秒/68分22秒。ERATO。LPではべつべつにリリースされたものがCD化に際して2枚組にまとめられたようです。キャロライン王妃の葬送アンセム『シオンの道は悲しみ』のほうは弦のビブラートが耳について、いかにもモダン・オケ然とした音なのに対し、『エジプトのイスラエル人』ではモダン楽器の音があまり気にならない。このことについては以前書いたことがあります。

『エジプトのイスラエル人』は、第1部「ヨセフの死を悼むイスラエルの嘆き」、第2部「出エジプト」、第3部「モーセの歌」の3部構成ですが、第1部は、キャロライン王妃の葬送アンセム『シオンの道は悲しみ』からそっくり音楽を借りて、歌詞だけ換えて転用したもの。対して第2部、第3部は合唱を劇的に駆使して旧約の「出エジプト」の物語を表現している。とおして聴くと、第1部だけひどく異質。そのせいでしょう、さいきんは実演でも第1部をとばして第2部、第3部だけでプログラムを組むことも多いようですよ。

このCDでも、さいしょに葬送アンセムの序曲を借りてきて、オラトリオの序曲に見立て、続けて『エジプトのイスラエル人』の第2部、第3部を演奏しています。そのあと、CD2の後半に、転用前の葬送アンセムを序曲から全曲収録。第3部がCD1と2に跨がってしまっているのが難点ですなあ。

で、演奏ですが、『エジプトのイスラエル人』は大推薦。イキのいい指揮者が手兵を使いこなして縦横無尽にやっている。合唱も、いい意味で若い。後年の、指揮者ガーディナーの意のままに制御され尽くしたモンテベルディ合唱団ではなく、ここではメンバーがじつに意欲的に歌っている。やや粗削りなところもあって、でも技術面では不満を感じさせず、伸び盛りの力を感じさせる。ポール・エリオットが、受難曲の福音史家のような、ナレーター的な使われ方をしているんですけど、この人の英語のディクションの美しさにはほれぼれします。その他独唱はすべて合唱団から出ている体で、みんな若くて気持ちいい歌いっぷり。最後のソプラノのソロはエリザベス・プライデイです。

周知のとおりガーディナーは『エジプトのイスラエル人』を後年再録音しているんですが、わたしとしてはこの旧録音のほうを取りたい。新録音のほうがより磨かれて仕上げはきれいだけど、このエラート盤のみずみずしい若さは忘れがたい。

『シオンの道は悲しみ』はだいたい44分くらい。モダン楽器のヌメヌメした音が気になって、せっかくノーマ・バローズやらマーティン・ヒルやらが出ているのに素直に楽しめない。『エジプトのイスラエル人』が素晴らしい出来なだけに、もったいない。この葬送アンセムを聴くならこの録音は止めといたほうがいい。ヘルビヒの録音のほうがよほどマシです。

ヘルビヒ『ヘンデル_キャロライン王妃の葬送アンセム/キャロライン・テ・デウム』

2010年02月24日 | CD ヘンデル
Handel
Funeral Anthem for Queen Caroline HWV 264
Caroline Te Deum HWV 280
van der Sluis, Pushee, van Berne, van der Kamp
Alsfelder Vocalensemble
Barockorchester Breman
Wolfgang Helbich
999 244-2

1993年録音。55分41秒。cpo。ヘンデルの式典音楽のなかからキャロライン王妃にかかわる2曲を取り合わせたもの。ウォルフガング・ヘルビヒは同様のCDをNAXOSからも2枚出していました。すべて古楽器による演奏。これは意外と聴きものですよ。葬送音楽はこれまでガーディナーがモダン楽器で録音したものくらいしかなかったんですが、このヘルビヒ盤の登場で渇が癒された。

それにしてもこの葬送アンセム『シオンの道は悲しみ』はギャラントというのか、じつに新しい。そもそもヘンデルの音楽はバロックというより古典派っぽい明快さの勝ったものが多いような気がわたしはしてるんですが、とくにこの曲はもはやバロックではなくて古典派の音楽そのものぢゃないのかと聴くたびに思います。

テ・デウムはほぼシャンドス・アンセムのあちこちからパーツを借りてきてつなぎ合わせたもの。しかしさほどの違和感なくまとまっています。合唱の出番は少なくてソロ主体のコンパクトな造り。

ヘルビヒの解釈はいちいち穏当で、聴きやすい。もうちょっと元気があればさらによかったけど、さほどの不満は感じませんでした。4人のソリストはとくに抜きんでた人はいないけれどそれぞれ好演。合唱もあやふやさはなく、しっかり歌えています。

全体に清澄な雰囲気ただよう音づくりで、目立たぬながらこのCDはクリーンヒットでした。