歌わない時間

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マクリーシュ『ヘンデル_テオドーラ』

2011年12月04日 | CD ヘンデル
Handel
Theodora
Gritton, Bickley, Blaze, Agnew, Davies
Gabrieli Consort & Players
Paul McCreesh
469 061-2

2000年録音。76分09秒/60分23秒/46分47秒。Archiv。最晩年のオラトリオ『テオドーラ』と『イェフタ』はヘンデルの到達点。この後にも旧作の改作を発表していますが、実質上、ヘンデルは『テオドーラ』と『イェフタ』で燃えつきました。とにかくこの両作を聴かずしてヘンデルは語れませぬぞ。このマクリーシュの『テオドーラ』が決定盤とは思いません。まあなんとか、合格点の出せる演奏といったところ。

『テオドーラ』は帝政期のローマで殉教するクリスト教徒の男女の物語で、直接聖書に題材を取っているわけでもなく、もちろんギリシャ神話でもありません。その題材の点でもヘンデルのオラトリオとして異色ですが、主人公ふたりの死で幕を閉じるという結末も特異です。最後の合唱が短調で終わるのはヘンデルのオラトリオで唯一?

マクリーシュの指揮はあまり余計なことをせずに安全運転でいこうというもの。まったりとしていて、情景をたんたんとつないでいく。しかしソリストも合唱もテクニックがちゃんとしているので(とくに合唱は秀逸)、聴いてる分にはそう不満なく聴き通せる。とくに『テオドーラ』を初めて聴く聴き手には向いています。しかしわたしとしては、せっかくこの傑作を振るんだからまちっと彫り深くやってくれないかね、って言いたくもなりました。

『テオドーラ』についてはNHK-FMでおおむかしに聴いたアーノンクールのライブ録音が忘れられない。ディディムスのポール・エスウッドがすばらしかった。殉教者らしい高潔さとそこはかとない男の色気を感じさせる美声で、嘆賞にあたいする名演でした。アーノンクールの指揮もこの作品の丈の高さをよく引き出した、すぐれたものでした。その後アーノンクールのCDも出ましたが、カウンターテナーがエスウッドではなくコワルスキだったので買いませんでした。さらにこの後出たクリスティにも関心はあるものの、いまだに聴いてない。

このマクリーシュ盤のキャストではディディムスのブレイズが、エスウッドの品格には及ばぬものの、聴くべき歌唱。柔軟な歌いぶりの中に勁さも感じさせる。けれどほかの人は没個性的です。テオドーラのグリトンはまあまあ。不満を感じるのがバレンスのデイビスとイレーネのビックリー。どちらも無難にまとめているというだけで、それぞれの役に求められる歌い込みは稀薄。セプティミウスはアグニューで、これもとくに難はありません。そもそもこのオラトリオではセプティミウスって役はあまりたいしたことないんですよ。この役、なくてもいい。

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