Arielのひとりごと

きょうは何が起きるかなぁ~

三頭山~槇寄山縦走

2023年05月05日 | 
5/4(金)は、東京都にある三頭山(みとうさん)から槇寄山を縦走してきました。
GW中ですから混雑は承知の上、JR武蔵五日市駅へ。
登山口の都民の森行きバス停は案の定大行列で、臨時便が2台も出ました。
8:10発のバスに乗り、1時間ちょっとで都民の森に着きました。
大きな駐車場もあり、登山者のみならずバイク野郎にサイクリストにと大にぎわい。
テーブルで持参したおにぎり1個を食べ、いざ出発!
きょうはここ都民の森(S)から三頭山(左上)、大沢山、槇寄山(真ん中下)と縦走し、仲の平バス停(G)まで歩きます。
三頭山のピストンにするとあまりにも早く終わってしまうので。
そして仲の平バス停13:22発のバスに乗りたい。
舗装道を歩くより、こっちでしょ。
滑り台の左側の道を進むと、右側の一段高くなった道と合流しました。
ほとんどの登山者は左側の舗装道を歩いています。
どでかい「都民の森」の案内板。
こっちの道はウッドチップでぃ。
ふかふかで足当たりが気持ちいい。
と思ったら、あっという間に終わってもうた。
鞘口峠に着きました。
案内標識がちゃんと出ていて、1.5km先の三頭山方向へ。
この分なら迷うことはなさそうだけど。
一応GPSはonにしておこう。
これはこれはご親切に「急登を避けて、回廊の路経由で」と勧められました。
ありがたくそちらに進みたいと思います。
下のツキノワグマ目撃情報からまだ20日しか経ってないのが怖い~。
でも出没したのは急登の方なので。
回廊の路へ進みます。
案内板も多い上、またしてもご親切な指示あり。
はい、右折します。
案内板がトリプルじゃないッスか。
あり過ぎるのもちょっと混乱するな。
よーく見て、ブナの路三頭山方向へ。
またしても表示板。
標高約1,300mですか。
根っこは滑るので要注意です。
しかし案内板が多い。
推奨も多い。
はいはい、見晴らし小屋に行きますよ。
北アルプスや南アルプスでもこれくらい案内板があればいいのに・・・。
見晴らし小屋に到着。
奥の小屋に行ってみましょう。
さすがの見晴らし小屋。
遠くの山々がよく見えました。
なんという山なのかわからないのが残念。
そして三頭山 東峰に着きました。
標高1,527.5m。
横目で見て、サクッと通過。
お次は三頭山 中央峰。
標高1,531m。
こちらも写真を撮っただけですぐ通過。
だってこんな感じですから。
少し離れたところにテーブルがありました。
先客もいましたし、休憩せずに先を急ぎましょう。
いよいよ最後の西峰まであと0.1km。
着きました!
三頭山 西峰 標高1,524.5m。
やけに立派な山頂標識ですね。
耐久性を考えたら、木製よりずっと長持ちしますからね。
山頂標識と一緒に写真を撮るための列もでき、母親と息子ペアから富士山をバックにシャッターを押して欲しいと頼まれました。
左側にちょっと雲がかかっているけれど、見えてます。
ズームしてみるとくっきり。
やっぱり富士山が見えるとテンション上がります。
西峰の山頂が一番広くて平らで長椅子もたくさんありました。
近くにあるもうひとつの山頂標識。
こちらは木製で標高が書かれていない代わりに「山梨百名山」の文字が。
東京都の山だとばかり思っていました。
東京都西多摩郡奥多摩町・檜原村、山梨県上野原市、北都留郡小菅村と山梨県にもまたがっていました。
標識の後ろの長椅子には男性1人しか座っていなかったので、声をかけて座らせてもらいました。
まだ10時半を回ったところでしたが、ここでおにぎり1個を食べ休憩終了。
三つの頭を制覇し、ここから縦走に入ります。
まずは避難小屋方向へ。
最高峰は中央峰、眺望が良いのは西峰。
プチ情報もありがとうございます。
ムシカリ峠に出た時、ここからだったらまだ都民の森に下る道があり、予定通り縦走するか少し迷いました。
いやいや、当初の計画通り、ここは直進しましょう。
三頭山避難小屋を通過。
中には入りませんでしたが、大きなログハウスですね。
途中開けたところに出たら、そこでも富士山が見えました。
大沢山 標高1,482m。
ここからも富士山が見えました。
三頭山ほどではないですが、案内板がたまに出てきます。
槇寄山が出てきてひと安心。
道は1本なんですけどね。
西峰ではあんなに登山者がいたのに、縦走する人は少ないようで、誰にも会わず。
皆さん都民の森に下るのでしょう。
そんな中、突然向こうからトレランにーやん2人組が現れ、思わずあーびっくりしたぁ~と声を出してしまいました。
槇寄山郷原バス停この先?
いやいやそこじゃないのよ。
そして槇寄山 標高1,188 mに着きました。
どんどんしょぼくなる山頂標識。
ついに手書きです。
西峰では石碑だったのに、なんという格差。
槇寄山は平らで奥にテーブルと椅子がありました。
日差しが強く、森の中との温度差がすごかったです。
ついに仲の平バス停の文字が。
やったぁ~!
向こうから男女ペアが登ってきたのでダメ押しでバス停のことを確認。
次々仲の平バス停の指示板が出てきて、時間的にもバスに間に合いそうです。
「国定忠治が遠見した所」って、なんスかこのマジックで書いたようなプライベート感は。
赤城の山じゃないのか?
あまり眺望もなさそうなのに・・・。
こういう平らな道は大好き。
気持ちよく飛ばします。
ついに終わりが見えて来た。
ここから日を遮るものがなく、暑い~~~~~。
トイレがあるよぉ。
トイレ目指して、更に早歩きモードに入りました。
地味な車道歩きがそこそこ長いのよ。
ここら辺は東京都西多摩郡檜原村です。
同じ東京都だというのになんとのどかなんでしょ。
お宅の横の藤の花。
あまりにきれいに咲いていたので撮りました。
橋を渡って、右に回り込むと仲の平バス停に着きました。
まだ13時前で、バスが来るまで30分ほどの余裕あり。よかったぁ~。
バス停を確認してからさっそくトイレへ。
日陰に入って最後のおにぎりを完食。
先程のバス停は都民の森に向かう下り方向のバス停で、武蔵五日市駅に向かうバス停はありません。
「道の反対側でお待ちください」ですか。
その反対側には、今度は白い藤の花。
ほぼ時間通りにバスが来て、武蔵五日市駅へ。
途中駅からどんどん乗客が乗り込み、ついには乗り切れなくなってしまうほど。
後ろからすぐ来ますのでと声をかけ通過するドライバー。
行きも帰りもバスは激混みでした。

この頃YAMAPという登山地図アプリを使っています。
登る山の地図をダウンロードし、GPSをonにするとタイム、距離、高低差、平均ペースが表示されます。
今回、途中休憩は西峰でおにぎりを食べたのみ。
めちゃくちゃ急いで歩いたので、平均ペースが[170~190% 速い]と出ました。
ツアーだとだいたい[70~90% ややゆっくり]ですから、相当飛ばしました。
YAMAPがあるので、ソロでも歩くことができるようになりました。
これからもよろしくね。頼りにしています。

フラと落語と散策と

2023年05月04日 | 落語
5/3(水)は、2つのイベントに行ってきました。
まずはひとつ目。
フラダンスの発表会を観に浅草公会堂へ。
スポーツクラブで週に1回、フラダンスのレッスンを受けています。
教えてくれるのは末定先生。
その先生が習っている先生のフラスタジオが主催する『HO'IKE 2023』
HO'IKEとはハワイ語で発表会という意味だそうです。
ポスターの女性は先生ではなく、長年フラを習っている生徒さんだそうです。
スポーツクラブからもたくさんの会員さんが足を運びました。
腰に付けた太鼓を叩きながら踊るダンスや、小刻みに腰を降るポリネシアン系ダンス。
ワタス達が習っている曲でぎこちなく踊る男性グループもいました。
ようやく末定先生が舞台に上がり、2曲踊ったところで時間切れ。
途中退場し、次のイベントに移動します。
ふたつ目は『林家たけ平と歩く吉原散歩』です。
「女性1人でも安心してご参加いただけます」との力強いお言葉に背中を押され、
自転車で会場のホテル座みかさへ向かいます。
集合13:30のところ、5分前に到着。
ホテル座みかさは元遊郭の三笠楼で、現在はビジネスホテル。
遊郭だった面影もありませんが、後から調べたところ、右側GLACESはソープランドでした。
まあ多少の面影は残っているのか。
クラブかスナックかと思ってましたよ。
エレベーターで上階に行くと、広いスペースに皆さんお集まりで・・・。
予定では吉原散歩をした後に落語でしたが、着物姿のたけ平師匠が出てきて先に落語をやりますとのこと。
という訳でまずは落語を一席。
その後、希望者に吉原の古地図が載った「吉原細見 お散歩版」という
吉原の文化や行事も書かれたパンフレットをいただきました。
ホテル座みかさのご主人は吉原商店会の会長でもあり、昔の吉原の話をお聞きしました。
最後に質問コーナーが設けられ、熱心に手を上げる参加者。
ワタスも質問してみました。
というのも吉原大門の手前で道路がくにょっと曲がっているのが気になって。
これは昔からなのか、近年の道路整備でこうなったのか?
道路は昔のままだそうで、高貴な位の方は吉原に入るところを見られたくなかったのでは、
という回答でした。
たけ平師匠も洋服に着替え、ご近所の桜なべ「中江」のご主人も加わり、いよいよ吉原散歩へ。
こちらの「金村」は吉原遊郭の茶屋として栄え、吉原文化と江戸の粋を伝え続けてきた名店。
平成21年にお店を閉じた後、中江のご主人が「桜なべ中江別館 金村」としてリニューアル。
中江のご主人、なかなか粋なことやりますな。
金井の先には「吉原大門跡」
遊郭の入り口はここからのみだったそうな。
大門を出たところにあるラーメン屋さん。
かつては蕎麦屋さんだったそうですよ。
吉原で遊んだ後、蕎麦をすすって帰ったんだとか。
吉原三大妓楼のひとつ、大文字楼の跡地にやってきました。
今では吉原公園になっています。
この段差はかつてあった掘だそうです。
昔は石垣が組まれていたそうですが、堀で囲まれちゃ遊女も逃げられないですね。
向こうの通りまで続いていた大文字楼。
相当大きな遊郭だったんですね。
昔の町名「江戸町一丁目」
現在では「千束」と一括りになってしまいましたが、
他に江戸町二丁目、京町一丁目、京町二丁目、揚屋町、角町がありました。
吉原遊郭は当初日本橋にあったそうで、江戸城下町の発展により奥浅草に移転。
新吉原となりました。
吉原全体を四角く囲むお歯黒どぶがあったため、道路の末端には緩い傾斜が付いています。
吉原を出て、土手通りへ。
ここが日本堤と呼ばれた吉原に面した大通りです。
いまでは遠くにスカイツリーが見えますね。
少し奥に歩けば「見返り柳」があります。
「見返り柳」とは、吉原遊郭から帰る客が名残惜しげに振り返る様子から名付けられました。
浮世絵の日本堤はこんな感じ。
ホテル座みかさでワタスが質問した不自然な道路の曲がりですが、
堤は高さ3mもあり、吉原大門まで一気に下るには急過ぎたので、曲げざるを得なかったという説。
またここから遊郭の様子が丸見えにならないよう配慮して曲げたという説も。
諸説ありますが、浮世絵を見ると確かに真っすぐのままでは急勾配で雪の日にはゲレンデになっちゃいますね。
三ノ輪方向へ歩いて行きます。
かつて山谷掘を経て隅田川にそそいでいたという音無川。
日本堤に沿って流れていたその音無川も今は暗渠になっているそうです。
その面影を残す掘があるお宅。
石屋さんでしょうか。
ちなみに日本堤という地名はいまでも残っています。
そして投込寺こと浄閑寺へ。
たくさんの遊女が投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになったそうです。
入ってすぐ左に陸軍大佐の墓があり、一同びっくり。
落語で「お見立て」という廓噺があるんですが、その中に出てくるんです。
まさか本当にあったなんて。
こちらは角海老樓の花魁 若紫のお墓。
お墓の上には角海老と彫られています。
美しく教養もあり、人気の遊女だったそうですが、年季明けの5日前に弱冠22歳という若さでこの世を去りました。
死の真相は、ある遊女と無理心中しようとした男が、その遊女が別の客をとっているところを目撃。
やけになって若紫の喉元を刀で一突き。
とんだ巻き込み事故じゃないですか。
あまりにもかわいそうですよ。
お墓に埋葬されたということは、若紫がどれだけ格の高い花魁だったのか伺い知れますね。
三遊亭歌笑塚。
この方存じ上げないのですが、元祖爆笑王と呼ばれるくらい大人気の噺家さんだったそうです。
字は武者小路実篤が書いているんですね。
そしてこちらが新吉原総霊塔。
回り込めるよう、細い通路がありました。
壁に柵を作り、中が見えるところも。
骨壺が高く積まれています。
遊女の他に、吉原で働いていた男衆も埋葬されているそうです。
「生れでは苦界 死しては浄閑寺」花又花酔の石碑も壁に埋め込まれていました。
しみじみ見上げる参加者とたけ平師匠、ホテル座みかさのご主人。
イベントはこれにて終了!
散策中は自転車を引きながら歩いていたので、ここから家まで乗って帰ります。
せっかくなので、ホテル座みかさに戻り、吉原の中を走ってみました。
若紫がいた角海老樓と同じ名前の角えび本店があり、思わず撮影。
GW中なのにお店は閉まっていました。
今の吉原を見て、若紫は何を思うのでしょう・・・。
吉原神社や弁天池は見学しなかったので、また散策したいところですが、
さすがに1人ではちょっとなぁー。
7月には「大吉原落語まつり」も開催され、今後も落語と吉原散策のイベントは続いていくようです。
よく見ているNHK「ブラタモリ」で吉原の回があったような記憶があり、
桜なべ「中江」のご主人に聞いてみると、やりましたよ!と即答。
タモリさんと女子アナが料亭金村のお座敷にいた場面が思い出されました。
改めてもう一度じっくり見たい!
再放送してくれないかなぁー。