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from Shizuoka/name is "slide"

祈りの歌

2015-08-09 | Weblog
8月9日、日曜日。
午前3時39分。
曇りかな?


昨晩(8日、土曜日の夜)は、雨が降りました。
ちょうど仕事から帰る時に降られて
久しぶりの、雨の帰り道でした。


空が光って
雷鳴が聴こえてきてきて
夏らしい天気でした。


仕事中は、遠くで花火の音がしていて
僕は暑さと腹痛とやんわり闘いながら
花火に人々が歓声をあげている
そんな平和な風景を
思い浮かべていました。
きれいだったろうなぁ。^^


そんな花火に歓声をあげる
平和な夏の夜など
なかっただろう、70年前。
1年って、はやいなと
本当に思います。


今日は、
『長崎原爆忌』
ですね。


この間、6日は
『広島原爆投下記念日』
…と書いた僕だったけど
ずっと前も思ったことがあったけど
『記念日』
という表現に違和感があったので…(>_<)


今回は
『原爆忌』に
させて頂きました。m(_ _)m


長崎も広島も
原爆の日が近付く8月に入ると
頭の中、心の中は
戦争や原爆の日のことを
よく思い浮かべます。


記憶を辿ると…
小さな頃から関心があったようです。
戦争というもの
それに纏わるもの、出来事には
詳しくはないものの
意識はしながら生きてきたような
そんな気がします。


母の父(祖父)や、その兄弟が
徴兵され戦死していたし
亡くなった理由も小さな頃から知っていたから
関心はあったのだと思います。


そのせいか
熱を出し、うなされていると
いつも
熱のせいでグニャグニャと歪んで見える天井の中に
大きな戦車が居るのです。


その度に
『戦争なんて知らない筈なのになぁ…』
と、不思議に思ったものだったけど
それくらい関心があったということなのでしょうか?



昨年
偶然、お役所かどこかの展示場で
原爆投下直後の写真を見たことがありました。


全く何にもなくて、一面が焼けた跡。
白黒写真だったのだけど、カラー写真だったとしても
多分…色は無い世界だったと想像します。


それは、色が無いということは
『生』が無い。
ということなのだろうな。


草花、木々
虫も、鳥も
犬も、猫も
人間も
みんないない
原爆一つ
一瞬で落ちた。
みんな、いなくなった。


爆心地の写真は
全く生気が見当たらない
感じることのできない
色の無い
何にもない世界でした。


その写真(パネル)を拝見したのが昨年だったかな?
最初は、広島の写真かと思っていたけど
添えられた説明文を読んだら
長崎の原爆投下直後の写真だと分かりました。


生きているうちに
一度は行ってみたい坂の街。
長崎でした。


ヒロシマ、ナガサキ。
核が落とされた街は、世界で
この二ヶ所だけです。


痛みを知っているのは
この街。
住んでいた人々。
その人々を思う人々。
人々が住むこの国、日本。



何にもない
色の無い写真。
でも、想像するのです。写真のさらに向こうには
声、音、においが有る。


爆発音、炎、泣き声、呻き声、叫び声
臭い、恐怖、混乱
僕ら私達の知らないものが
何にもない無い写真にある
そう思いました。


そんなリアル、事実があったのだろうな。
あの写真の向こうに。


何にも無かった街。
目を閉じて
冥福と平和を
心から祈りたいです。












『祈りの歌』

8月9日、日曜日
70回目の原爆の日

朝9時頃
ひとり部屋で起床
目覚める直前、夢を見ていた

白いシャツの女性が
小さなオルガンを弾いている

風を起こしながら
音を鳴らす
小さなオルガン

一緒に歌っているのは
子供達の声か
祈りの歌か

その音、歌声が
あの日見た
白黒の何にも無い世界に
彩りを与えてくれる

東雲のように
美しい色を
生み出しなさいと

平和を指差す
優しく歌って







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