青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

さらば日本橋

2014年09月11日 22時08分41秒 | 大都会
9月11日(木)

東京・日本橋の欄干の中央には、下の写真のような大きな翼を持った麒麟の像が設置されている。




▲ Wikiによると、日本橋は五街道の起点でもあることから、この像には 「ここから羽ばたく」 という意味がこめられているということだ。

東野圭吾の推理小説、「麒麟の翼」の表題もこの麒麟像からとったもので、この像は物語における重要な意味をあらわしている。そして文庫本のキャッチコピーも、 「ここから夢に羽ばたいていく、はずだった。」




▲ 日本橋(下部)と首都高道路(上部)


私は、2000年から今の日本橋の、とある勤務先に毎日通い続けてきた。14年あまりだ。
その間に、羽ばたいたのか墜落したのか分からないが(笑)、その勤務先も来週いよいよ移転する。
明日(金曜日)は、日本橋勤めの最終日だ。



自分の思い出にと、今週はいくつか馴染みふかい日本橋シーンを撮り歩いた。
内勤の私にとって、日本橋とはやはり昼休み時にランチ先を求めて出歩くところ。
で、まずよく昼食に行った処を。
題して、


【Sora の愛したランチスポット】



▲ 一時、九州出身の同僚とこのラーメン屋にはよく来た。豚骨スープが細麺にからんだ濃厚な味はやみつきになった。でも、7年前心臓手術後、ラーメンは体に悪いと回避するようになった。それから、ここにも来ていなかったが、今週その同僚とまた食べてみた。 やっぱり、うまいねー。





▲ その代りに、もっとあっさりしたものが良かろう、とこのソバ屋にはよくきた。
いつも、もり蕎麦とかき揚げとワカメ。510円。そばもつゆも、値段相応だけど。





▲ そばを食べなければ、ここに来た。夜は飲み屋。昼はワンコインで、ちゃんとした定食になっているから好きだった。ここは、いわしが得意だから、揚げたてのいわしフライ定食が多かったな。





▲ 日本橋三越の屋上。

この屋上のことはブログでも何回か取り上げたが、よくきた。家からの弁当、コンビニ弁当、サンドイッチ等ここのベンチに座りながら、流れる雲と空をみながら、食べていた。

今はまだ夜にビアガーデンに変わるからテーブル、チェアが並べてあるが通常は少しベンチが置いてあるだけ。春、秋の暑くない気持ちのよい季節には、屋上は絶好の休憩場所だった。



つまらないですよね。他人のへんてつもないベタなランチスポットを紹介されても(笑)。
ま、しかしこのブログは私のメモアール(回想録)にもなるので、ご容赦ください。


次は、

【ストリートシーン】



▲ 手前は日本橋三越。その奥には日本橋地区のランドマーク、日本橋三井タワーがそそりたつ。

三井タワーは2005年に完成するのを見た。





▲ 三井タワーの下部は東レをはじめとする三井系大企業が入居。

30階から38階はアジアの高級ホテル、マンダリンホテルになっている。



38階の超高級レストランで食事して、ひといき付きたくなったらこの部屋↓に来ると良い。





▲ お墓みたいな長方形の(TOTOロゴ入り)箱に向かって、自然の声に従ってどーぞ。




▲ 長方形の箱に即隣接して、東京の大パノラマを眺めながら。もれる吐息は・・

カイカーン、 ソーカーイ・・・






▲ 日本橋は三井村。三井不動産が中心になって再開発を進めている。

COREDO コレドのブランド名で、コレド室町1,2,3とあちこちにショッピングビルを造っている。

勤務先のオフイスも、この再開発でビルを立て直すため移転するハメになったのだが。





▲ 日本橋三越のすぐ裏には、コレ日銀さんだ。

日銀があるため、この近辺には地方銀行の東京支店が多数ある。我々もマネー関連だが、日銀さんとは直接関係ないので、即移転できる。 もう(勤め先は)「日銀のすぐ近くで」とは言えなくなるが(笑)。






▲ 夜帰る時。日本橋三越の前で。この日、東京も集中豪雨が上がったあとの、濡れ輝く三越。

私が、一番お世話になったのは間違いなく、日本のハロッズ、この日本橋三越百貨店

昼飯の屋上借景だけでなく、そのあとは店内のソファー、チェアーをお借りして読書、PC発信、お昼寝、用足し等々、すみません。ご利用させていただきました。

ありがとうございました。



4 コメント

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東京のイメージ (Sora)
2014-09-12 21:01:20
鈴杖さん、今日もおばんです。

>東京観光は・・時間が止まってます

ずいぶんユニークな思い出とともに止まっているのですねー(笑)。私も中学の修学旅行で東京に来ましたが、バスで周るとどこまで行っても町並みが続いていることにビックリ。そのうち寝てしまいましたけど。

>よく歌ってたのが『東京』

マイペースの70年代の歌。懐かしいですね。「君の住む 美し都 花の都 ♪」 あのころの地方に住む私達の東京への無条件の憧れが(そして希望も)素直に表現されてます。 今、歌詞を読むと少し気恥しいですが。
私も第一志望の学校を年末に下見にきましたが、西東京のえらい田舎に校舎があって夢打ち砕かれたのでしょうね(笑)、帰ってから志望校を替えたら担任にえらく怒られました。でもそんなものです。

>お上りさん的感覚で未だにあります

東京は超大きい。ターミナル駅前もどんどん変わっていく。私なんか何年も都心へ通っていても、結局通勤コースを往復しているだけ。ちょっと大きい駅前に用事ででかけると、もうウロウロ。「オレ、お上りさんと同じだよな」と、よくつぶやいています。他の人も同じ。

>細面豚骨ラーメンがインプットされました

タケノコ族(と同世代)の鈴杖さん、原宿にもじゃんがらラーメンの店が有りますよ。昔発見して入ったことがある。
また、タケノコしに行かれる時、トライされてはいかがですか(笑)。
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東京 (錫杖)
2014-09-12 15:54:34
Soraさんごきげんようでございます。

私 東京観光は中学校の修学旅行で行ったきりで時間が止まってます。国会議事堂 わらってるばあいですよ 皇居で馬に蹴られる寸前 後楽園遊園地の記憶が残ってます。 原宿タケノコ族も私の世代です。
会社の先輩がカラオケでよく歌ってたのが『東京』


最終電車で 君にさよなら
いつまた会えると 聞いた君の言葉が
走馬燈のように めぐりながら
僕の心に 灯を灯す
何も思わずに 電車にとび乗り
君の東京へ東京へと出かけました
いつもいつでも 夢と希望をもって
君は東京で 生きて来ました

東京へは もう何度も行きましたね
君の住む 美し都
東京へは もう何度も行きましたね
君が咲く 花の都

東京のイメージは田舎の三重県人からはお上りさん的
感覚で未だにあります。

細麺の豚骨ラーメンが私の頭にインプットされました。(笑)
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忘れないために (Sora)
2014-09-12 13:36:55
ほぼ同い年のハラさん、コメントありがとうございます。

>私は、備忘録と言ってますが

忘れないための「備忘録」、いいじゃないですかあ。私なんかは、どうでもいいことはもう忘れるまま、楽しいことだけの追憶、回想の世界に入りつつあります(笑)。

>いつでも、どこでも

ブログは便利ですよね。ブログの前、写真入りキャラバン日誌を手作りしていました。しかし、写真は色が変色してしまうのですよね。その点デジタルは半永久的。
でも、いつかこのブログを止めるでしょう。そのときはブログ書籍化のサービスもgooにはあるようですので、続キャラバン日誌として本としても手元に置きたいですね。
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Unknown (ハラさん)
2014-09-12 08:43:13
回想録、いいではないですか。
私は、備忘録と言ってますが・・・。

いつでも、どこでもネットさえ繋がればスマホでも見れるいいと思いますよ。

東京で、仕事をしていても工事屋さんはほとんど会社にいないので、ふ~んって感じですよ。

私も、ブログを始める前の旅写真を整理してアップしようかなとも、思ってますが・・・。


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