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宮崎駿・映画「風立ちぬ」を観て

2013年07月22日 16時26分02秒 | 文芸・アート
7月22日(月)

宮崎駿(みやざきはやお)監督の最新作、「風立ちぬ」が先週土曜日7月20日から一般公開された。

今日は、休暇日であったので、さっそく映画(アニメ)を近くのシネマコンプレックスに観に行った。
観客は平日だからか若い人が大半だった。



主人公・堀越二郎は太平洋戦争での戦闘機ゼロ戦を設計した実在の技師。映画は彼の生涯を元にして宮崎駿が物語を創作したもの。


【あらすじ】

 二郎

二郎は、空の上を自由に飛ぶ美しい飛行機を夢見て勉学のため上京する。その途中遭遇する関東大震災の中で、生涯の女性・菜穂子と出会う。二郎は、大学卒業後飛行機設計技師として抜群の頭角を現し、大空への夢を実現していく。

 菜穂子

そんな時、避暑地(軽井沢)で再び菜穂子と出会い結婚を約束する。しかし、菜穂子は結核を病み二郎に「あなたは生きて」と言い残して亡くなる。ここは、堀辰雄の小説「風立ちぬ」の筋書きを下敷きにしている。敗戦後、二郎は空を翔ける飛行機の夢も菜穂子も失うが、荒井由美の「ひこうき雲」 YOU TUBEのメロディーをバックに、「生きねば」という決意を新たにする。


【感想】

この映画は極めて理念的だと思う。宮崎駿が理想とする考え方を、既存の文芸プロット(筋書)をつなぎ合わせて、全部詰め込んだ感じがする。
空を飛ぶことは、風の谷のナウシカ、紅の豚等、彼の作品に頻出する、彼の本源的な夢だ。その同じ夢を追った堀越二郎をいつか作品にしたかったのだろう。
愛する者の理不尽な死、愛と死、も頻出するテーマ。これを抒情的に美しく描いた堀辰雄の「風立ちぬ」とのドッキングは、絶好の筋書きと、美しい野山シーンを可能にした。最後に流れるユーミンの「ひこうき雲」自体、空に憧れを持って早逝した女同級生を悼んだ初期の歌であり、できすぎのようなコラボとなった。
また、宮崎駿は、自立し自ら運命を選び取っていく女性像を理想として描くことが多い。菜穂子もまた自ら結核療養所を出て、二郎と結婚し一時的にしろ結婚生活を経たあと、書置きとともに療養所へ戻るといった具合に、自分の死に当たっても自立的に行動する女性として描かれる。
さらに、宮崎駿はとにかく美しいシーン、絵画的な場面を追求してきた。アニメの利点は理想的な美しさを自由に創作できること。吐血のシーンはあるが、他は美しく青い空と雲、緑の草原が今回も目いっぱい表現された。

この映画の副題は、
  堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。 「生きねば。」

とある。

繰り返しになるが、彼の理想とするものを、彼はこの作品にすべて集約的に込めたかったかのではないだろうか。試写会を観て宮崎駿は号泣されたと伝えられるが、その集大成感からだろうか。だとすれば年齢からしても、彼の最後の作品になるような気がする。
私自身は、「生きねば」を最後のテーマにするならば、オリジナルな描き下ろしのストーリーにしてほしかった気もする。しかしそれは、堀辰雄の原作の筋運びとの違い等に、どうしても私がこだわってしまうからだろう。もし、予備知識を持たずにこの映画を見れば、もっと素直に初めての「風たちぬ」として楽しめるかもしれない。
それとも、予備知識があるならむしろ、既存の小説、楽曲との合作の妙(本歌取りの妙?)をそのまま楽しめば、いいだけなのかもしれない。

この映画をどう評価するかは、ロールシャッハテストみたいなもの。その人の性格や価値観を反映して、見る人によって絵は変わる。残念ながら私には、納得感のある絵には見えなかった。






関連過去記事 : 「風たちぬ いざ生きめやも」 2012年9月8日投稿

(私の過去記事↑は、ここ数日、私のブログ記事でもトップ記事になってしまった。これは明らかにこのジブリ映画を契機に一般の方が原作を検索し、私の上記記事を読んでくださる方が増えたためと思われます。私にも思い入れのある記事の一つのため、非常にうれしいことです。ありがとうございます。)




4 コメント

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だめだね (だめだね)
2013-07-22 23:17:35
意味のない感想をアップするな。
検索にひっかかっていい迷惑。
なんも参考にならん。
あんたさんんごときがえらそうに語るな。
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だめだめさん、おはようございます (Sora)
2013-07-23 05:07:07
私の拙文が検索でひっかかってしまい、ご迷惑おかけしました。
えらそうな箇所、確かに私も思いあたりますので、早速修正させていただきました。
だめな箇所は他にもあると思いますが、個人の勝手な言い分としてご容赦くださいますように。
返信する
ありがとうございました (masaki_roku)
2013-07-25 01:28:25
Soraさんはじめまして
私は弊ブログにてコメント頂きましたmasaki_rokuです。

Soraさんの風立ちぬの感想を読ませていただき、同意できることが多く嬉しく思いました。

私もこういった人気作の感想では表層的な意見を目にすることが多く、なかなか作者の内面まで言及したものが見られず物足りなく感じていました。

他の記事もSoraさんの深い知見が感じられ感銘しました。
今後も購読させて頂きますのでよろしくお願いします。

※上に酷いコメントありますが、ちゃんと対応なさって律儀ですね(笑)
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こんばんは、masaki rokuさん (Sora)
2013-07-25 23:05:04
折り返し早速コメントいただきありがとうございます。

私は、文芸ものの感想を書くときは、他の方の感想は読まないようにしています。影響をうけて、引きずられてしまうからですね。かわりに自分が感じたことをできるだけ深く掘り下げるようにしています。すると、良かれ悪かれユニークな意見になり、それで満足していました。

が、今回「だめだね」さんから、いきなりダメ出しをくらい(笑)、じゃあ他の人はどうこの映画を感じたのか調べてみることにしました。
それで、わかったことはこの映画に対しては賛否両論が、議論がかみあわないまま、沸騰していること。報道は、おしなべて「あの宮崎駿の・・」という調子で好意的なことです。賛否については、「もう涙が止まりませんでした!」「美しい、感動しました!」、どこがなぜかともし尋ねても「涙が止まりませんでした」をもう繰り返すだけの大群がある一方、「戦争を賛美している」「ファシズム的」等の政治的な批判を繰り広げる人たちもいます。そして、宮崎駿の過去作品との比較論に熱中するだけのオタク風の方ももちろんいました。

その中で、この映画は「宮崎駿の宮崎駿による宮崎駿のための映画」で、宮崎駿が「自分のために作った映画といえる」と看破された方が、コメントくださったmasakiさんでした。(ご関心のある方はmasakiさんの上記ブログを読んでいただきたいと思います)わたしも、masakiさんが述べられたように、宮崎の昔からの飛行機への夢、理想の女性への夢を、堀越二郎と小説のヒロインに仮託して描こうとした(だけの)モノで、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

>上に酷いコメントがありますが、ちゃんと対応なさって律儀ですね(笑)

まあ、「あんたさんごときがえらそうに語るな」のご指摘に、私も思い当たる箇所があったからですけどね(笑)。つまり、宮崎は「生きねば」のほかに、さらに映画で「力をつくして」生きるというか、「力を尽くす」ことを登場人物を通して何度も言わせているのですね。それで、修正を入れる前には、宮崎監督は安易に既存の文芸作品をつなぎ合わせて「力を尽くして生きる」というテーマを展開するのではなく、それこそ「力をつくして」オリジナルの筋立て展開を試みるべきではないか、と書いたわけですね。ま、これは「私ごとき」何の創作もしていないモンが、多くの作品をモノにしてきた大アニメ家に言うには、出すぎたことだったかな、と思いましてその箇所は削除修正したわけです。

しかし、今考えてみますと、私もちゃんと身銭を切って拝観料を払って映画を見たわけですから、(見もせずに言っているわけではありませんから)自分の自由な感想を述べる権利は有るわけですよね。根拠のない誹謗中傷でないかぎり。

ま、オリジナルを書くべきか否かの問題も、これは「監督のための映画だ」、という理解にたてば、解答は明らかです。宮崎の飛行機への夢、理想女性の夢、堀越への憧憬、愛読した堀達雄の小説、それに好きなユーミンの歌、これら自分の好きなものmy favorite thingsを全部、自分のための作品に詰め込めたら、筋に若干の矛盾があろうが、主人公に全く葛藤がないと指摘されようが、もちろんオリジナルでなくても宮崎的にはかまわない、ということになります。
実際として、72歳の方がまったくオリジナルのものを書くということは肉体的に無理だと思いますね。それに、私が映画料金を払って見たものに意見する権利があると同時に、映画製作費は税金で賄われているわけではなくて、宮崎監督が自分で払って作っているわけですから、自分のための映画を作ったからといって批判されるものではないですからね。注文をつけられない映画。、これがこの映画の特異な本質だと思います。

調子に乗ってさらに私ごときの論を進めますと、私はこの映画を「文芸作品」だと思うから不満が生じるのでしょう。文芸作品と呼ぶには、登場人物の心理展開に矛盾が多すぎる、場面の展開が唐突すぎる、基本的な筋立てが粗すぎて何を主張したいのかよくわからない、はっきり言って文芸作品としては「駄作」になるのです。これは、「娯楽作品」です。もっときつく端的に言えば、スマホCPの各種ゲームにはストリーが織り込んであるのがありますよね、あのゲームの設定ストーリーが、ご都合主義的に筋が展開しても誰も腹を立てないですよね。あれと同じアニメと考えればよい。
(さあ、またダメ出しがでるかな。できましたら今度はもっと具体的にご指摘ください)


Masaki-rokuさん、あなたへの返信コメントの形をとって、自説を展開してしまい申し訳ありません。私はmasakiさんのような大人の対応、つまり、監督が自分のために作った映画だという本質をおさえつつも、「そして僕たちは氏の過去の功績を思いつつ温かい目でこの作品を観るべきなんだろうとおもいます」と結論づけられないですね・・・。やはり批判的な視座のまま終わってしまう。

もっとも、温かい目か批判的な目かは別にして、宮崎駿の「風たちぬ」は文芸作品ではなくて、娯楽作品だと自分でいったん結論づけますと、私はもうまったくこのアニメへの興味も、それを論じる気も失せているのが今の私ではあります。

私もmasakiさんのブログ読ませていただきます。興味深い、若干硬派の問題を論旨明らかに読みやすく展開されていて感心します。きっと、プロのモノ書きの方だとお見受けします。また、コメントさせてください。
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