青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

「不死身の特攻兵」を読んで

2018年02月10日 13時00分00秒 | 図書室


講談社現代新書 ¥950 2017.11

2月1日の日経新聞の広告では

「9回出撃して、9回生きて帰った男の物語」
「軍神はなぜ上官に反抗したか」
「あなたは会社の理不尽な命令に抗うことができますか?」

とのキャッチコピーが踊る。

同新聞2月4日の書評欄では

「敵艦に飛行機で体当たりする特攻で、9回出撃を命じられたのに生還した元隊員の生涯をつづった本書が売れている。『必ず死ね』と厳命する上官に対し、何度も行って爆弾を命中させたほうが戦果を挙げられると信念を貫いた。組織の不条理と向き合う中高年のビジネスマンを中心に支持され、昨年11月の刊行からの累積発行部数は9刷10万部を超えた。」

~・~・~・~


ということらしい。
で、読んでみた。

必ずしも9回出撃して、毎回爆弾を敵艦に命中させて帰ってきたわけではない。出撃したが敵艦がいない、いても天候が悪すぎる、出撃中に飛行機に故障したとかで「おめおめと」戻ってきた回数が半分ほど含まれている。ポイントは、なぜ上官から「死んでこい」とあからさまに罵倒されても、彼がどういう理由を付けて戻ってくることができて、生き延びて終戦を迎えられたからであろう。

その理由は4つほどあると思う。

1.当初の上官岩本隊長のホンネでの指針の存在。
体当たりは決して効率的な戦艦攻撃法ではない(飛行機が突っ込むことの敵艦へのダメージは限定的)。いかに爆弾を命中させるかが最重要。命中させる技量があれば、何度でも体当たりせずに当てたほうがいい。という考えのもと、機体の下にくくりつけてある爆弾を、切り離せるように改造を許可した。
この当初の指針が尊敬する隊長から内々に示されたため、佐々木は自分の行動に裏打ちを与えられていた。さもなくば、死んで神になれの大合唱にほんろうされて抗せなかったも知れない。

2.下士官(伍長)だったこと。
佐々木が将校であったなら、死なないことへの圧力はすさまじかったであったろう。しかし命令を受けるだけの伍長であったことから、罵倒されるだけで黙認状態が続いた

3.自分の飛行技量への自信と信念。
実際に爆弾を落とすだけで敵戦艦を大破して戻ってきた技量を持ち、自分は生きたほうが役に立つと信念を持つことができた。

4.幸運。
そうはいうものの、最後にフイリピン第四航空軍は佐々木伍長他2名の銃殺命令を出し、分からないように殺すために狙撃隊まで作ったと事後判明している。それに対し特攻隊の狙撃隊まで作るとは何事かと地上勤務の兵隊が怒った。実行に移される前に佐々木はフイリピンで終戦を迎える。戦況が身をもって劣悪な外地だったゆえに同僚の理解も強く、佐々木は自分の無駄死にしたくないという心情を貫けたと思う。

佐々木は、郷里北海道で92歳まで生きたが、自らが生き残ったことを「寿命」だったと述懐する。そこに込められている思いは、決して自分の信念を貫いたからではなく、たまたまそういうめぐり合わせだったということだ。それは、思いに反して特攻で死んだ同僚兵を思いばかっての言い方であることは間違いない。


示唆するもの

特攻戦術の本質は、命令する側の無策を隠蔽すること。自分達が、敵国に対して有効な反撃戦略を打ち出せない、それゆえもはや命令する側に立ち得ないことを、精神論で覆い隠そうとするものだった。

これは、東芝の某社長が業績不振策を隠蔽するために、目標を達せない部下を罵倒することで経理操作に手を染めるように誘導したことと同質だ。つまり、組織で命令をする立場の者は組織のためと装って自分の保身のための指示をすることがある、ということだ。

それゆえに、集団内で不条理なことへの行動を指示された場合、それに抗することにこそ条理があるときは、少なくとも主張し続けることだろう。その時の犠牲は払うかもしれないが、結局は集団内での不条理行動は続かなくなる、と信ずることだろう。

(無断転載可・笑)