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青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

TOKYO丸の内駅舎と周辺散歩(続き)

2014年09月22日 22時39分08秒 | 大都会
9月20日(土)(続き)

東京駅丸の内駅舎のあと、もう一つのお目当ての歴史的建物を見てくることにした。

先の日本橋が三井不動産の三井村なら、この丸の内は三菱地所の三菱村
三菱銀行、三菱商事、郵船、明治生命等々、三菱グループの企業本社が軒を連ねている。




▲ この赤レンガの三菱1号館は、1894年に三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築だ。
三菱は1号館の両隣に、確か6号館までずらずらと建てていった。
しかし現存するのは、この1号館のみ。




▲ 三菱1号館は、今は美術館(三菱一号館美術館)になっている。

さあ、中をのぞいてみよう。




▲ ヴァロットン展をやっている。この展示は、わが盟友(と勝手に私が思っているだけだが)町田さんのブログに紹介されていたから知ってはいた。しかし、個人的には文学にしろ絵画にしろ作者が意図的に謎めかすスタイルは嫌いなので、料金を払ってまでは見なかった。

で、資料室をチラッと見たあと、中庭に出てみよう。




美術館の裏手の巨大な高層建築・丸の内パークビルとの境に、小さな中庭がしつらえてある。





▲ ビルの谷間であることを忘れさせるような、雰囲気の庭だ。

緑の木々が、ほどよく植えられている。 欧米の憩いの場としては当たり前のシーンだが、日本ではあまり見られないのでは。(欧米か?)





▲ 樹木の一部は、もう赤く色づいている。

多分、紅葉するような木を選んでいると思う。 ここが全部紅葉したらさぞかし綺麗だろう。

そうだ。美術館にはカフェが併設されているのだ。
お茶を飲んでいこうか。




▲ 中庭からまた正面にまわって、背の高い重厚な戸口から中に入る。





▲ ウエイティングをしている人が5,6組あっただろうか。

この、Cafe1894は、もと三菱合資会社の銀行部だった部屋なのだろう。

西部劇に出てくるBankのような、窓口カウンターが横に広がっている。こちら外側がウエイティング席。




▲ こちら内側が、カフェテーブル席となっている。

天井は高く、上部にバルコニーが設置されている。





▲ 注文したのは、自家製アップルパイ880エン と ホットコーヒー300エン 。

パイの上のツブツブは、パイ生地を粉状にしたもの。下にリンゴ片が隠れていた。

お客は、ほとんど若い女性たち、ないしはそのカップル。
おしゃべりを楽しんでいる。


さあ、ぼちぼち帰ろうか。

東京駅へ向かう帰りは、KITTEキッテとかいう、ブティックがいっぱい入居したJPタワーの中を通っていく。



▲ JPタワーの中は、巨大な吹き抜け状になっている。そして、各階の通路とお店が下から見通せるような造りになっている。

ヘー、こんなところがあるんだー。
私は感心するばかりだ。

ショッピングモール類は今や日本各地にあるが、丸の内のこの界隈の商業施設はおそらく一番洗練されているだろうなあ。



*************




▲ 私の住む町に帰ってきたときは、もう6時近くになっていた。

車窓から見る夕焼けがきれいで、私以外の人も数人が電車から降りるやいなや、写真を撮っていた。

明日は、晴れだな。

明日は、あの赤レンガを製造した”レンガのふるさと”に行ってみよう。



TOKYO丸の内駅舎と周辺散歩

2014年09月21日 22時03分45秒 | 大都会
9月20日(土)

東京駅の丸の内駅舎内に、東京ステーションギャラリーという名の美術館がある。
その美術館では、東京駅舎創建(1914年)当時の煉瓦壁が、そのまま美術館の内部、展示室で使われていることで有名だ。
ちょっと、煉瓦壁をみてみたいこともある。

勤め先の移転もあり、地下鉄丸の内線の新たな定期を得た。
これを使って、きょうの休みに東京駅に行ってみた。



▲ 美術館は丸の内北口改札を出てすぐ右手にある。 一階の受付に入ると背後の壁は即、赤レンガだ。



【ディスカバー・ジャパン】

国鉄は、1970年から76年までディスカバージャパンのキャンペーンを大々的に繰り広げた。
特定の観光地へ誘う従来の宣伝とは違って、「美しい日本と私」をテーマに人々の旅ごころに訴える手法で、若い女性をターゲットにした、当時としてもファッショナブルなデザインのポスターは私達の目を引いた。

ディスカバージャパン、覚えておられようか。

折しも美術館では、当時のポスター約1000枚を中心に、多数の資料を使ってこのキャンペーンを振り返っていた。
(9月13日~11月9日まで)




▲ 「旅に出ると、心のふるさとがふえます。」 (左のコピー文言)
   「目を閉じて・・・・・何を見よう。」      (右のコピー文言)

キャンペーンは電通が請け負ったらしいが、いいコピーだね。今でも通じるよ。




▲ 金沢の老舗、「飴の俵屋」の前らしい。

チャラチャラした若い女性を使った、典型的なディスカバージャパンのポスター。
このムードが、のちの「アンノン族」につながっていくのだとか。





▲ こんな国鉄の電車内の旅写真を見ると、北海道を国鉄フリーパスで、ユースホステルをハシゴして2週間、秋に北海道を周遊した大学1年の頃を思い出す。
出会いもあったが、あの人はどうしただろうか・・(なんて)

ディスカバージャパンキャンペーンは、まさに私の学生時代と重なる。
しかし、あのころの私は志望大学を東京の郊外にあるというだけで、志望替えするほどの都会志向だったから。もともと地方の田舎出身者の私には、田舎中心のディスカバーキャンペーンはあまりアピールしなかったのも事実だ(笑)。

むしろ、日本で旅に出たのは北海道だけみたいなもんで、あとはどこにも国内を旅せずに、コツコツ貯めて3年の時に、40日間ヨーロッパの旅に出た。
Discover Europe だった(笑)


今、JRが再度ディスカバージャパンのようなキャンペーンをうったら反応はどうだろう?

だめだろうな。残念ながらというか当然というか、表面的には「古い日本」は失われている。どこも画一化している。
「遠くへ行きたい」♪、という基本的な旅への憧れは皆持っていると思うが、行く先を見失っていないだろうか。

それでも、私はなんとか見つけて行きたいと思っている。

私は、今頃ディスカバージャパンだよ。



【煉瓦壁】

東京駅丸の内駅舎が、辰野金吾の設計によって創建されたのは、1914(大正3)年。
その当時の建物の多くがレンガ建てであったのと同様に東京駅も全壁がレンガ造りだった。

現在の東京駅丸の内駅舎は、2012(平成24)年に全面的に改修された。外壁も改修された。
しかし、内部の一部は昔のまま保存された。それが東京ステーションギャラリーの中に残っているのだ。




▲ 2F休憩室への入り口の外壁とか




▲ 1階から3階への八角形の廻り階段の外壁は全て、開業時のままだ。

まるで、廃墟のような趣がある。それもそのはず、もとは煉瓦の表面は白いしっくいが塗ってあったそうだ。今も煉瓦の表面が白味がかかっているのは、その名残だ。
下部のポツポツと黒い煉瓦の部分は、内装用の木製レンガが戦時中の空襲で焼け、炭化したためだ。





▲ 東京丸の内駅舎自体が、重要文化財の指定を受けている。

駅舎の外観は、次に見るように壮麗。この煉瓦外壁は、その壮麗さの対極にある。
しかし、その歩んできた歴史を見る者に思い起こさせる。
美術館の中では、煉瓦外壁は歴史が生んだ作品だ。



【丸の内駅舎】

美術館の外に出てみよう。





▲ 丸の内北ドーム内。同じドームは南口にもある。


乗客は足早にドーム内を歩き去る。
上をみて横をみて、デジカメを構えているのは、いつもお上りさんの私ぐらいなもの(笑)。




▲ ドーム上部は八角形。コーナーには八羽の両翼を広げた鷲(わし)のレリーフが付けられている。
両翼の幅は2.1mあるそうな。




▲ では、駅舎の外に出てみよう。





▲ 丸の内駅舎の中央部。 この左右にドームがある。


赤レンガの壁面に白い石の帯を組み合わせ、屋根には塔やドームを載せているのが設計者辰野の特徴とか。


このあと、もう一つの煉瓦壁の歴史的建築物を見に行ったのだが、普通はあまり関心がないはずだから、今日はこれまで。
続きは明日ということで。

ごきげんよう。





さらば日本橋

2014年09月11日 22時08分41秒 | 大都会
9月11日(木)

東京・日本橋の欄干の中央には、下の写真のような大きな翼を持った麒麟の像が設置されている。




▲ Wikiによると、日本橋は五街道の起点でもあることから、この像には 「ここから羽ばたく」 という意味がこめられているということだ。

東野圭吾の推理小説、「麒麟の翼」の表題もこの麒麟像からとったもので、この像は物語における重要な意味をあらわしている。そして文庫本のキャッチコピーも、 「ここから夢に羽ばたいていく、はずだった。」




▲ 日本橋(下部)と首都高道路(上部)


私は、2000年から今の日本橋の、とある勤務先に毎日通い続けてきた。14年あまりだ。
その間に、羽ばたいたのか墜落したのか分からないが(笑)、その勤務先も来週いよいよ移転する。
明日(金曜日)は、日本橋勤めの最終日だ。



自分の思い出にと、今週はいくつか馴染みふかい日本橋シーンを撮り歩いた。
内勤の私にとって、日本橋とはやはり昼休み時にランチ先を求めて出歩くところ。
で、まずよく昼食に行った処を。
題して、


【Sora の愛したランチスポット】



▲ 一時、九州出身の同僚とこのラーメン屋にはよく来た。豚骨スープが細麺にからんだ濃厚な味はやみつきになった。でも、7年前心臓手術後、ラーメンは体に悪いと回避するようになった。それから、ここにも来ていなかったが、今週その同僚とまた食べてみた。 やっぱり、うまいねー。





▲ その代りに、もっとあっさりしたものが良かろう、とこのソバ屋にはよくきた。
いつも、もり蕎麦とかき揚げとワカメ。510円。そばもつゆも、値段相応だけど。





▲ そばを食べなければ、ここに来た。夜は飲み屋。昼はワンコインで、ちゃんとした定食になっているから好きだった。ここは、いわしが得意だから、揚げたてのいわしフライ定食が多かったな。





▲ 日本橋三越の屋上。

この屋上のことはブログでも何回か取り上げたが、よくきた。家からの弁当、コンビニ弁当、サンドイッチ等ここのベンチに座りながら、流れる雲と空をみながら、食べていた。

今はまだ夜にビアガーデンに変わるからテーブル、チェアが並べてあるが通常は少しベンチが置いてあるだけ。春、秋の暑くない気持ちのよい季節には、屋上は絶好の休憩場所だった。



つまらないですよね。他人のへんてつもないベタなランチスポットを紹介されても(笑)。
ま、しかしこのブログは私のメモアール(回想録)にもなるので、ご容赦ください。


次は、

【ストリートシーン】



▲ 手前は日本橋三越。その奥には日本橋地区のランドマーク、日本橋三井タワーがそそりたつ。

三井タワーは2005年に完成するのを見た。





▲ 三井タワーの下部は東レをはじめとする三井系大企業が入居。

30階から38階はアジアの高級ホテル、マンダリンホテルになっている。



38階の超高級レストランで食事して、ひといき付きたくなったらこの部屋↓に来ると良い。





▲ お墓みたいな長方形の(TOTOロゴ入り)箱に向かって、自然の声に従ってどーぞ。




▲ 長方形の箱に即隣接して、東京の大パノラマを眺めながら。もれる吐息は・・

カイカーン、 ソーカーイ・・・






▲ 日本橋は三井村。三井不動産が中心になって再開発を進めている。

COREDO コレドのブランド名で、コレド室町1,2,3とあちこちにショッピングビルを造っている。

勤務先のオフイスも、この再開発でビルを立て直すため移転するハメになったのだが。





▲ 日本橋三越のすぐ裏には、コレ日銀さんだ。

日銀があるため、この近辺には地方銀行の東京支店が多数ある。我々もマネー関連だが、日銀さんとは直接関係ないので、即移転できる。 もう(勤め先は)「日銀のすぐ近くで」とは言えなくなるが(笑)。






▲ 夜帰る時。日本橋三越の前で。この日、東京も集中豪雨が上がったあとの、濡れ輝く三越。

私が、一番お世話になったのは間違いなく、日本のハロッズ、この日本橋三越百貨店

昼飯の屋上借景だけでなく、そのあとは店内のソファー、チェアーをお借りして読書、PC発信、お昼寝、用足し等々、すみません。ご利用させていただきました。

ありがとうございました。


サクラ色の日2

2014年04月01日 21時34分10秒 | 大都会
4月1日(火)

昼休に、外に出てみた。





▲ 日本橋三越本店横の、江戸桜通り

先月25日には、全く咲いていなかった桜の並木も満開状態に。

ソメイヨシノだから色も淡く、枝も小ぶりで、上品に静かに咲いている。


10数年この地にあったオフィスも、秋には移転。 これで見納めだな・・




サクラ色の日

2014年03月25日 22時44分05秒 | 大都会
3月25日(火)

今日の昼はひさしぶりに、近くのM百貨店の屋上へ行ってみよう。

気温は20度以上あるだろう。コートは要らなかったかな。



▲ おう、ピンクの桜をあしらった「のれん」がかかっている。(ヨッ、越後屋!)
上の窓も桜模様に。





▲ フロアーにも、大きな桜が・・。

「日本橋 桜祭り」か 




▲ 7階建てのこの老舗百貨店の屋上に出る。

日本橋の高層ビルに囲まれた、公園みたいな屋上。 気持ちのいい、ボクの好きなスポット。

今年初めて、ここで昼食だ。

青空を見上げながら、ゆっくり弁当を食べる。(OLだけでなく、オジサンも食べていいさ)




▲ M百貨店の入り口。ライオンが両脇にあるから、そう日本のハロッズ(言い過ぎか)の、あそこだ。





▲ 日本のハロッズの横の通りは、「江戸桜通り」と名付けられている。




▲ この通りは桜の木が植えられている。ビル街に桜が咲くのだ。




▲ 通りの桜の木の枝を子細に眺めてみると。 ある、ある、桜のつぼみが。もう少しだな。

  


昼食と散歩を終えて、仕事場に戻ってニュースを見ていると;


★都心で桜開花
気象庁は25日、東京都心で桜が開花したと発表した。昨年より9日遅く、平年より1日早い。




靖国神社の標本木に、花が5輪咲いているのを確認したそうな。



まあ、まだ雪と遊ぶ気ではいるが、世の中は明らかに春だ。否定できない事実。


ブログのテンプレート(背景)を春ヴァージョンへ変えよう。

そしてまた気持ちも一新さ。





上野・あの谷中を散策2

2013年01月16日 00時13分57秒 | 大都会
1月14日(日)

なぜ、谷中(やなか)を散策する気になったかって? 

先週始まったNHKのTVドラマ、「いつか陽のあたる場所で」(火曜日夜10時) をdecoと観ていた。
そのドラマでは、上戸彩、飯島直子演じる女二人が刑期を終えて、住み始める場所がこの下町「谷中」なのだ。

しかも、decoによると、この谷中は最近よく雑誌などでも紹介されるらしい。

基本的に物見高い私は、「ふうーん、じゃあ上野のいけばな展のあと、行ってみようよ」

***********


東京都美術館から、寛永寺、谷中霊園の側を通って、30分ほどで私達3人は小さな通りなんだけど、人通りが増えて、なんとなくそれらしい通りに来た。

よく見るとそこはもう、「夕やけだんだん」と呼ばれる階段の上だった。
ドラマでも、スナップ的に出てくる所。

でも、decoが一休みしたいと言い始めたので、階段脇のテラス風の小さな店に入った。





休憩したあと、夕やけだんだんを、左前方に少し傾いた陽を感じながら降りた。
そして、夕やけだんだんを振り返る。




▲ 何の変哲もない階段。でもそこに座って空を見上げれば、美しい夕やけを見ることができるとか。
今ではたくさんの人達が夕焼けを眺めにやってくるそうだ。

ちょっと、夕焼けには時間が早すぎたな・・




decoと友達の二人の話は、学生時代にルームシェアをしていた東武東上線上にあるA町の話に。
「あの町も、こんな下町だったねー。安くてー。なつかしーねー。」

自分も行ったことのあるA町。 共通の青春時代の思い出が甦る。












帰りは、JR西日暮里駅まで歩いていって、decoと私は友達と別れた。

「またねー」




上野・あの谷中を散策1

2013年01月15日 00時10分32秒 | 大都会
1月13日(日)

お友達がいけばな展に出展しているので、見に行こうとdecoに誘われた。

上野 東京都美術館。「池坊東京連合支部 いけばな池坊展」





左右のバランスといっても、シンメトリーなそれではなくて、全体的な調和ということだろうか。

左の作品は調和に動きも感じられていいなあ。
右の作品はdecoのお友達の出展品。後ろの枝には小さい芽がいっぱい付いていて、荒野の枯れ木のような寒々しさを感じさせておきながら、目を近づけてみると春を待つ生命の息吹に気づく。このサプライズが面白い。真ん中の赤い小さな花は、活けた人の血の通った暖かい心のようにも思える。

いけばなって、シンプルな造形にもかかわらず、製作者の意図というか、隠れた精神性まで伝わってくる気がする。



このあと、「せっかく上野に出てきたのだから、この前ドラマでみた谷中(やなか)とかいうところへ行ってみたい。」

ということになり、おのぼり三人は上野の森を歩いて、日暮里近くの谷中へ。

【続く】