Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ハーブ

2017年07月21日 | ヴァイパー(毒蛇)ワイン

ディグビィは1580年後半にはラトランドの司祭に命じられ、1585年に上席研究員にそして1587年に先に取りあげたスイミングの本を出版しました。ところが翌年急にケンブリッジを去り、田舎に移り住んでいます。いったんはラトランド( Rutland ) に行くのですが、最終的にはイングランドの東部地方都市ピーターバラの主教座聖堂オルルトンロングヴィル(Orton Longueville)に落ち着くのです。

 

間違って請求された大学の支払いを辞退したことから始まった出来事がまるで雪だるまが膨れるように大きくなっていったのです。そのことは、彼の論争好きそうな「泳法の解説」を読んでも想像できます。しかし、一番の原因は当時のケンブリッジ大学の総長をウイリアム・ウイテカー ( William Whitaker, 1548–1595  ) が務めていたことです。彼は著名なプロテスタントカルヴァン派聖公会 ( カトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、中道の教会であると自認しているカルヴァン派 ) の神学者であったのです。ディグビィは周りに悪影響をまき散らす危険分子であると言いふらしたのです。こういう輩とも友好関係を保ちつつ自己防衛と自己主張をめぐらさないと、社会の荒波は乗り越えては行けないのでしょうね。最後にはガイ・フォークス率いる国家転覆を図る一派に資金援助を申し出、なぜか事件当日ポケットの中に導火線が入っていたというのですが、あくまでも噂であり、真相は今なお闇の中に隠れたままです。

     

           聖公会、プロテスタント諸教派、アナバプテストの系統概略

 

16世紀から17世紀、ユグノーが渡ってきて貴族化と混血が進み、並行してイングランド国教会の中にカルヴァンの影響を受けた改革派のピューリタンが勢力を持つようになった。その中には国教会から分離せずに教会内部を改革しようとする者(長老派)と、国教会から分離しようとする者(分離派)、その中間に位置する者(独立派))がいた。 ( Wiki から )

ケネルン・ディグビィは(Kenelm digby、1603/7/11—1665/6/11)父君エバーアードが55歳の時の息子です。ケネルンからすれば親父は3歳の時に吊るされたのです。

親父の影響をほとんど受けずに、育ったと思いがちですが、彼は親父以上でした。変人を通り越して、奇人の領域に入っていました。親父と違っていたところは、強烈な上昇志向を持っていた点でしょうか。次回からいよいよ主人公の登場です。

 

 


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