Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ハーブ

2017年08月05日 | ヴァイパー(毒蛇)ワイン

ディグビィは政治家、武人としての一面もありました。

 

科学者である一方、外交官であり、時には海賊となったディグビィも、1625年、ベネティア・スタンレィと結婚。その後、ジェイムズⅠ世の英国枢密院のメンバーとなるのですが、ローマンカソリックであることが政府役人として妨げになると判断すると、英国国教会の信徒に転向します。ベネティアをなくした彼は、1635年再びカソリック信徒に戻り、パリに逃亡します。一時期、スコットランドに監督制を設定するために、チャールズⅠ世に請われて帰国しますが、1641年再びフランスへ渡ります。そこで事件が起こったのです。

 

        

          Sir Kenelm Digby wins in a Duel. 1641.

左側がケネルン・ディグビィですが、この絵は実際とは少し違うのではと思っています。剣の使い手であったディグビィは、手合わせを三回した後、相手の疲れを待ってから、突いてくるところをかわして、懐深く入り込み、相手の左頸動脈を狙って脇腹下から剣を突き立てたのではと考えます。

 

1641年に開かれた夕食会でモン・デ・ルース男爵( Count or Baron Mont de Ros )が乾杯の掛け声を発しました。「世界一の嘘つきで臆病者…..….の健康を祝って乾杯!」 乾杯がなされる前にディグビィが名前を遮りました。ルースはディグビィに話しかけました。「イングランドの王というつもりだった。」ディグビィは怒りのあまり激しく首を振り、口から出る言葉を何とか思いとどまり、パーティの最後になって彼を翌日催す夕食に誘います。

夕食の席上、ディグビィは乾杯の声を上げます。「………最も勇敢なる王。」 乾杯が終わると宣言しました。「イングランド王、我が主君。」 モン・デ・ルースは笑いながら昨夜の無礼を詫びたのですが。ディグビィはルースに寄りかかり、呟くのです。「一対一の決闘を申し込む、お前は自らの口に、私は我が王の為にこの身を捧げるのだ。」 夕食が終わるや否や二人は外に飛び出し、ダブレットを脱ぎ捨て剣を抜きました。

三回とも両者ともよく戦いましたが、四回目にディグビィの剣は相手の防具を突き破り、胸を抜き、首を貫通したのです。決闘はフランスでは禁じられていました。仕返しを恐れたディグビィはフランス王ルイXIII世に申し出て許しを請い、1642年フランダース経由でイギリスへ戻るのです。

 

つづく。

 

 


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