カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

おふさ観音 ばらの香りに満ちて

2019年05月23日 | ☆ ふるさと・大和

 

おふさ観音 では今「バラまつり」が行われています。

5月21日撮影

当日には、前日に降った雨粒を宿した、花ばかりをアップしました。

今日は、境内を散策してバラを見つめた、お寺の美しいバラ風景を、ここに残しておくことにします。

鐘楼とピンクのバラです。

逆光線なので、色がぼやけてしまいました。

 

境内では3500種4000株のバラが副住職の丹念なお世話で、花の季節を得て「バラは花盛り」です。

 

 

 

本堂の風鐸と赤いバラを入れて見ました。

 

築地塀の瓦の色が濃い緋色の、ミニバラを鮮やかに浮き立たせていました。

 

本堂の横を通って裏への通路は、バラのアーチで、ミニバラを絡ませて、香りのトンネルのようです。

咲き残っていたテッセンが、バラに主役を譲って遠慮がちに、バラの間から、顔を覗かせています。

 

アーチを見上げると、白バラが青空を目立たせてくれました。

 

淡いピンクのミニバラ何の気取りもなく、アーチからはみ出ているのも、自然のままのようで好ましいです。

この色はとても優しい色で、癒されます。

 

本堂の軒下の1本のクリーム色のバラ。

軒の垂木が濃い色だけに、よく目立って、可愛いバラだとカメラに入れました。

 

この日は駐車場に大きいバスが停まっていましたので、参拝の方や、観光の方が境内に沢山いましたので、

誰も通っていないアーチを待ったのですが、モデルさんが一人入ってしまいました。

 

弘法大師をお祀りする、大師堂の前の白いバラとピンクのばらが、今年も良く花をつけていました。

花の重なりが綺麗です。

 

本堂前のお賓頭盧さんにお詣りして、境内に下りました。

そこを見返すと竹垣にミニバラの垣根ができていました。

 

 

 

バラに囲まれた観音様は、慈悲深く優しいお姿で、訪れるすべての人を、

お迎えしてくれているように思います。

 

健やかに育つようにとの祈りもあれば、この世を見ずに天に召された命が、安らかなれと、

お地蔵さまの優しいお顔が、語っていらっしゃいます。

 

 

 

山門を出る時に、もう1度振り返った目に入ってきた白いバラです。

今度ここお房観音様にお詣りするのは、夏の風鈴まつりの時です。

そして秋のバラまつりと、元気であれば、ご縁を頂きたく願っています。 

 

 

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メイストームが残していったキラリ雨粒

2019年05月21日 | 季節の花

 

昨夜はひどい雨だったのを、今朝窓を開けてみて知りました。

よほど熟睡していたのか、風が吹かなかったからなのか、庭の水たまりが、大雨の証拠のように

見つめていました。

テレビでは関東地方が、激しい風雨の通過中とのニュースを報じていました。 

ふと少女小説に夢中になっていたころに読んだ、その本の題を思い出しました。

「メイストーム」、直訳すれば「5月の嵐」です。

題名だけが頭に残っているのですが、内容も作者も全く覚えていない、本でした。

メイストームから連想したのは、バラ園の花たちに宿っている雨粒のことでした。

早速お房観音へと車を走らせました。

カメラも腕もバラの花たちに宿った雨粒を、うまく写せなかったのですが、

朝日に照らされて、きらりと光る雨粒に誘われて、「メイストーム」の名残を集めてきました。

 

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エゴの木 馬見丘陵公園

2019年05月20日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

エゴの木の花の咲く頃に、公園に行きたいとずっと前から思っていたのですが、

訪れる時期が、花の時とずれていて、僅かに数輪残った花を 、未練がましくカメラに納めて来ることが

度々でした。

 

エゴノキの説明板です。「雑木林に普通に生える落葉樹」と書かれていますが、

始めてこの樹と出会ったのは、天川村のみたらい渓谷の大きな岩に被さるように咲いていた

白い小さな花を枝一杯につけた木だったのです。

大きな岩と滝の流れに見とれていてふと、頭をあげた目の前の、可憐な鈴なりの花に魅了されました。

写真に撮って、山を歩いていたおばさんに「この花の名前を教えて下さい」と言って教えてもらったのが

エゴの木の花でした。

ところが、ブログに載せると「白雲木」じゃないかと教えてくれる人はありましたので、

調べてみますと本当に良く似た花なので、実際に見てみないと、どちらか区別がつかないものだと

公園などに行ったら木の名前の付いているのがあると、常に気にしていました。

それが馬見丘陵公園で、上のような説明板と、木に付けた名札を見て、長年の宿題ができたような気になり、

花の時期には是非来たいと思うようになっていました。

 

公園館から下池へ下って行く散策道の両側に、エゴノキの並木があります。

ヒナゲシの花を見てから、車で中央口まで移動して、駐車してすぐに1直線にエゴの並木へ行きました。

以下花盛りのエゴノキです。

 

エゴの木は万葉の時代からあったらしく、万葉集にも三首詠まれています。

この頃は、知左の花と人々は呼んでいたとのことです。

万葉歌人にも親しまれていたエゴノキが、馬見丘陵公園でも今を盛りと咲いていることを知って

一層この白い小さい鈴のような花が、好ましく思えるようになりました。

  

知左(ちさ)の花  咲ける盛りに  愛(は)しきよし  その妻の子と  朝夕に 笑みみ笑まずも  

(知左=エゴノキ)                                                                    万葉集 大伴家持

 

 息の緒に 思へる我れを山ぢさの 花にか君がうつろひぬらむ       作者不詳 巻7-1360

 


  山ぢさの 白露重みうらぶれて心も深く我が恋やまず            柿本人麻呂 巻11-2469  

  

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ヒナゲシの花 馬見丘陵公園 ③

2019年05月19日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君もコクリコわれもコクリコ     与謝野晶子

歌人与謝野晶子が、フランスへ行っている夫鉄幹を、追ってフランスへ行った時の短歌です。

フランスで晶子が見たヒナゲシは、このように緋色をした情熱的な花だったのだろうと、

「君もコクリコ 我もコクリコ」と詠んだのだと想像しながらヒナゲシの花を見て歩きました。

 

「陽(ひ)に倦(う)みて   雛罌粟(ひなげし)いよよ   くれなゐに」    木下夕爾 

 

膝を折って姿勢を低くして、空に伸びるヒナゲシの、強さと言うか命の勢いを、捉えてみたいと思うのですが、

苦労して何とかしゃがんで撮ってみました。

 

 

ヒナゲシの花と向き合って、元気をもらえたような気がしました。

やはり外に出て、自然の中で思うままに動きまわることが、心を癒されることに違いないと

久しぶりにカメラを持てたことは嬉しいことになりました。

 

 

 

クローバも、ニワセキショウの可愛い花も、労りの花のようでした。

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ヒナゲシの花に囲まれて 馬見丘陵公園 ②

2019年05月18日 | ☆ ふるさと・大和

 

 このエリアは、ヒナゲシだけが栽培されているので、次第に高くなるなだらかな丘は、

アグネス・チャンのヒナゲシの歌を口ずさみながら、自分の体力にあった動きをしながら登って行くのがとても楽しいです。

なだらかな丘の段をうまく利用して、彩りよく植えられていますので、奥行きがあって、どんどん進んで行きます。

 

時々立ち止まっては、今歩いて来た道を振り返ります。

広陵町の家並みが、ヒナゲシの向こうに見られます。

 

クローバの丘の上の陸橋は、道路を挟んでカリヨンの丘の方へ行くことのできる連絡道路です。

 

立つ場所を変えて見ますと、陸橋の上からは、ヒナゲシとクローバが広がって綺麗です。

 

自然の地形を生かして設計されている馬見丘陵公園では、なだらかな丘の上の立ち木と、空との境が

私の好きな光景です。

 

 

 

      

大きい画像にしてご覧いただくと、花の横に蕾が頭を垂れています。

ヒナゲシは、江戸時代に渡来しました。

 ・花弁は非常に薄く、しわがあります。

 つぼみは最初は下向きで  表面に毛が生えており、  咲くときに顔を上げます。

その蕾は、 2つに割れて花が出てくる。

余り他の花に見られない咲き方だそうです。

  その風情がなんとも不思議な情景に出会ってみたいと思いながら、いつまでもそこにいたくなりました。

でも見られません。きっと夜の間に咲くのかもしれませんね。

 

 夏目漱石の小説に  「虞美人草」がある。

 漱石が新しい小説の  タイトル名を決めあぐねていた  ときに、

  街角の花屋さんで見た  「虞美人草」の名に

 ”おっ、いい名前♪   これにしよう”ということで  名づけた、ということらしい。

季節の花300からまたまた、お借りしました。

花を見る楽しみ、花を撮る楽しみ、花についていろんな情報を得る楽しみ、それを整理して

写真に添えたり、自分の知識にしたり、ブログ作りをする楽しみ。

これらはみんな、高齢の衰えがちな脳の刺激となることを、好奇心を失わないことと相まって、

楽しみ乍ら、ポツリポツリと呟き続けていることを、失いたくないと思います。 

 

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