高取城の二の門外の道端に、愛嬌の良い顔をした猿が、ちょこんと座っている。
今、そこからやってきて「はい、お疲れさま」といった感じに座っている。
彫りも深く、風雨に晒されているような素振りは微塵もない。ところが、これは7世紀頃のものと推定されているらしい。飛鳥時代のお猿さんである。
高取城築城の折。石垣に転用するために、明日香から運ばれてきたと伝えられている。それが、石垣になってしまわずここにあるのが、このお猿さんの運命というか、徳であったのかも知れない。
丁度、このお猿さんの座っている場所から岡口門を出て明日香に降りる下り坂の道があるのも、もっともらしい話である。
この会に参加した仲間の中に一匹のわんちゃんがいた。「むぎちゃん」と呼んでいたように思う。
とても元気で、急な坂も上り下り、誰よりも力強く見えた。記念撮影はやはり犬猿仲。
むぎちゃんはそっぽを向いてしまった。
いますよね。
そう思うとさらに、親しみは湧いてきます。
健脚は、多くのお連れさん「吉野路探訪会」の皆さんのお陰なんですよ。後で、筋肉痛で動作が鈍ちゃいました。
だから、FEFEさんのコメントよく分かります。
写真、どうぞお持ち帰りください。
五百羅漢の中にもありそうな顔。
ワンちゃんは後ろに気になるものがあったのかな。
anikobeさんの健脚ぶりに脱帽です。
元気だなあ!
この猿石なんです。レプリカは国立飛鳥資料館の庭にありますが、ここでお目にかかろうとは、有難うございました。画像を勝手に頂いてもいいでしょうか。
近鉄「飛鳥」駅の直ぐ近くにある吉備姫王の檜隈墓の前に4体、高さ1m位の猿石と呼ばれる石像が並んでいます。全部が猿の顔をしていると言うのではないのですが、猿石と言います。
しかし、この画像の猿が、もっとも猿の顔をしていますね。
しかし、人間の顔の変形かも知れませんね。 この檜隈の地方には、多くの渡来人が集中的に住まいをしたそうですから、蒙古とか高句麗とかの人たちに似ているのかも知れません。
飛鳥にあったのを、高取城址の方に持っていったと聞いていました。
飛鳥独特の石の文化の一つでしょう。
斉明天皇が、好んで石を使った造形を作ったので有名ですが、人々は、石の構築物造営の為に、苛酷な使役が科せられ、不満が出たとも言います。
吉備姫王は皇極天皇(斉明)とか、大化の改新後に遷都した難波宮で亡くなった孝徳天皇の母です。
周りの皆から、「むぎちゃん」って呼ばれても、
「アッチムイテ ホイ」でしたが、とにかくワンちゃんの健脚ぶりに感心しました。
poloさんと、お兄さん、小さい頃犬猿の仲?
どこのうちでも兄弟喧嘩をしながら、育って、
年を重ねると、お互い良いとこを、認め合うようになってくるものなのですね。
明日香に帰りたかったのでしょっ て。
枯葉のクッションいいですね。
むぎちゃんだから、おねえさん。
こう言う道は 写真を見ているだけで←歩いて見たい!って気持にさせられます
ワンコの名前は「むぎちゃん」ですか・・
なんだか 似てるかな(笑)
是非、おすすめです。
愛嬌ありますね、
この山道ならでかけられ
そうです。
その内に挑戦いたします。