明治・大正の元老山県有朋の別荘 無鄰庵 | |||||||||
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無鄰庵については何の知識も持たずに門をくぐった。
静かなたたずまいが気に入ったからというほかはなかった。
貰った説明書を見て、これはいい所に辿り付いたものだと、ゆっくり庭園を散策した。
広大な敷地の殆どが庭園である。
簡素な2階建ての母屋と茶室、重厚な洋室から、その庭園を眺めて、こよなく愛したという、明治、大正の元老山県有朋の別荘がこの無鄰庵なのだ。
無鄰庵HP
入口だけ最後の1枚写真に撮って来たが、この洋館の2階で明治36年4月21日に、元老 山形有朋、政友会 伊藤博文、総理大臣 桂太郎、外務大臣 小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前のわが国の外交方針を決める会議が開かれている。いわゆる「無鄰庵会議」である。日本史で勉強したはずなのに・・・
こんな路地の一角に何気ない形で静かに存在する。
琵琶湖の疎水を引いているとは。
写真で順番に案内して戴いたので、行ったような気になります。
南禅寺の近くなのですね。
「無鄰庵会議」が開かれたとは、1つまた勉強しました。ありがとございました。
南禅寺のすぐ近くでした。
目的もなしに歩いていると、「犬も歩けば・・・」じゃないですが、感動の場面にぶつかるのだなぁと思いました。
有り難うございます。
また一つ覚えました!
のちのポーツマス条約、全権大使小村寿太郎達が密談した場所ですか・・・興味津々ですね
今年もanikobeさんの情報網を頼りに歩く会に役立てます
今は冬枯れの庭園でしたが、広い芝生が緑になる頃は、様変わりの庭園を観ることが出来るでしょうね。
立ち寄ればよかったと後悔しています。
重々しい感じの板塀でグルリ囲まれていて、世間と遮断しているように感じました。
次回は絶対に立ち寄ってみます。
ありがとうございました。
今日の更新をして確かめないままテレビを見ているうちに眠ってしまって,「夕ご飯ですよ」の母屋からの電話で飛び起きて、今日の記事を確かめたらスライドショーが作動していませんでした。
慌てて手直ししました。
きっと動かない記事をご覧になったのではないかと、お詫びします。
健脚を発揮された日に、ここを通りかかられたのですね。
いつかの機会にお訪ね、おすすめです。
ありがとうございました。