皐月晴れで、風の爽やかな日になりました。
久しぶりで、北宇智地区の、有形文化財・藤岡家を訪ねました。
茜色の長暖簾をくぐりますと、端午の節句飾りの勇壮な世界が広がっています。
全容を伸ばせば二間の座敷いっぱいの長さになる、大幟をいくつかに分けてカメラに入れて行きました。
学芸員のユリさんの説明を聴きながら「壇ノ浦の戦いの絵図であることを知りました。
『壇ノ浦の戦い』は、一時は栄華を極めた平氏(へいし)一門と、
源義経が率いる源氏の戦いで、ここで平氏が滅亡しました。
かつて藤原家では、この大幟を端午の節句に立てていたのでしょう。
案内していただいた座敷で、このような掛け軸を見ました。
端午の節句を描いた歴史的な絵柄です。
家へ帰ってからこの掛け軸に興味を持ちましたので、調べてみました。
『 江戸時代になると五月五日の端午の節句は幕府の重要な式日の一つになり、大名
や旗本はこの日を祝して江戸城に伺候しました。
また、将軍に男子が生まれると城内に数多くの幟旗などを立てて祝うようになり、
この頃から端午の節句は男子の誕生の祝いと密接に結びつくようになりました。
とくに武家ではこれを祝って、破邪の意味とともに武士の精神的象徴である鎧兜や幟旗などを飾りました。
まもなく庶民もそれを模して、大きな作り物の兜や紙の幟旗などを屋外に立て並べるようになりました。
江戸時代後期になると、これらは小型化して屋内に飾られるようになり、魔除けの赤
い布を敷いた上にミニチュアの幟や槍を立てた枠を置き、その前に勇ましい人形や
鎧兜などを並べる座敷飾りが普及しました。これが現在の五月飾りの原形です。』
幾組かの立派な、鎧・兜の段飾りが並んでいて、最近見ることもなくなった豪華なお飾りに、
足を止めて興味深く眺めました。
明日に続きます。