「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

初詣三昧1

2008年01月05日 23時56分57秒 | 日記
 大晦日の日の午後10時ぐらいに家を出て、静岡の日赤病院の裏手の駐車場に車を停めて、そこから歩いて静岡浅間神社へ行きました。神社で都市をまたぐのって初めてでしたし、自分の実家にカミサンと子供がいるのも初めてなので新鮮でしたね。いつもはカミさんは自分の実家にいるんですね。それが去年は31日が仕事だったものだから、行けなかったんですね。まあ以前だったら意地でも行ってたんですが、カミさんもそれほどの気力はないらしい。実家のお母さんも連れあいを亡くして3年もたつと一人暮らしがすっかり板について、たとえ自分の娘や息子であっても、一人暮らしより疲れるらしいのです。
 お互い年ですなあ、と笑っておりますね。
で、浅間神社の境内は若い人たちだらけですね。気温が零下ということもあっておじさんおばさんは、バナナチョコレートや澄まし汁などを売るお店の人たちばかりですな。やや場違いな雰囲気の中で、舞殿正面の賽銭箱前に陣取ってカウントダウンを15分前から待ちました。
 知らないというのは恐ろしいもので、新年と同時にそこらじゅから賽銭が飛ぶんですね。娘さんと慌てて投げましたよ。
 HPで、新年と同時に太鼓がなって、獅子舞が始まるって書いてあったので正面の御簾は全く上がらず、音だけ聞こえてました。しょうがないので、右に回りこんでみたら3方が開いていて僕らのいた方角だけが御簾で隠されていました。ほんとに知らないと損しますね。
 でもまあ、獅子舞もしっかり見ることができました。毎年来てる人にとっては当たり前の光景なので、それほど関心が無いみたいでした。娘さんも僕もしっかり見させていただきました。縁起物ですからね。その後巫女さんが舞って、破魔矢を参拝客に渡して、また返して貰っていましたがあれはどういうシステムなのでしょう?なんか結び付けていましたから無料で御祈祷でもしてくれるのかしらと思いましたが、止めときました。
 その後纏いを回しながら木遣りを疲労してくださいました。僕はこの静岡の木遣りが結構好きなので、嬉しかったですね。
 以前、自治体の班の旅行で、伊勢に行ったときにツアー客の中に、静岡の大工の親方衆の一団がいらっしゃったんですね。で、宿の食事が宴会形式だったんですが、なんだか一緒に盛り上がって宴の最後に木遣りを演って下さったんですよ。良かったですねえ、そのときの木遣りが。
 それ以後あまり聞く機会が無くて、静岡の「屋台祭り?」とかに出ているのはしってるんですが、行く機会も無いんです。
 だから予想外のお年玉をもらった気分なんです。
 我が娘さんも相当に気に入ったようです。しっかり聞いてましたよ。
 それから餅投げの餅を大いに拾い、おみくじをひいて行事関係はここで終了。
 その後はチョコバナナだの、落書きせんべいだの、みたらし団子だのを買い込んで、(こっちの部門はカミさん担当です。)浅間通り商店街を歩いて帰りました。
 とにかく寒かったですね。
 帰り際にはもう赤門前は一方通行の大行列でした。やっぱり初詣は新年になってから出かけるものなんですね。

スケベじじいになりたいな

2008年01月03日 18時20分30秒 | 人々
 生命力ってなんだろうって考えることがあるんですね。もう去年の話になってしまうんですけど、12月の22日に東京に行ってきたんです。で、僕にとっては例のごとく
お茶の水駅で降りて、湯島聖堂を右手に見ながら湯島天神まで行ってきたんですよ。ボケーッとしてたせいか、いつも寄ってくる妻恋神社への曲がる道が分からなくなって、湯島のあたりを行ったり来たりしてしまったんですね。で、そのときにどっから見ても60代の夫婦者に見える方が僕の正面から歩いて来たんですね。で、道路は狭い歩道でしたから、僕は道を譲ろうと思ってちょっと避けたんですね。そしたらね、そのおじいさんが奥さんとおぼしき人の肩をぐいって抱えて、建物の中に入っていったんですよ。ご存じの方は少ないと思うんですが、湯島のあたりって結構ラブホテルが多いんですよ。今はファッションホテルって言うんだそうですし、昔は連れ込み旅館って身も蓋もない名称でしたね。で、その方々が入っていったのがそういうホテルの一軒なんですね。
 思わず視線で追っかけてしまいました。
 で、看板を見上げて、また下を見て料金表のプレートを見て平日休憩3,000円とか書いてあるのを確認して、やっぱりどう見てもラブホテルなんですよ。そこではじめて「へえ~!」って声が出ちゃいましたね。もちろんそのお二人が従業員の可能性だってあるわけですが、今思えば、あのときのおのお二人の表情って少し勇気を出してる男の顔だったし、女性の方ははにかんだような仕草だったりして、しかも最後は肩を抱いて「ぐい!」ですからね。まず違いないでしょう。夫婦者なのか、それとも恋人か、はたまた不倫などという詮索はこの際どうでもよくて、大切なのは髪が真っ白でほとんどはげ上がっているおじいちゃんと、昔懐かしいおばちゃんパーマの背の低いご婦人の間に、それなりの劣情があるわけで、そういうのって僕にとっては未知の世界なもんですから、ふーんって思うわけですよ。人間の性欲がいつまであって、たとえばある日突然、「終了~!」って言われる日が来るのかと思うわけです。
 
 僕の職場には60代の元気な人たちが結構いて未だに元気に働いているんですね。あの元気の源はどこにあるんだろうって思いますし、ああいう風に元気で世代なんか関係なしで働けたらいいなって思うことがあります。で、そういう人の共通点って必ず「色気」があるって事なんですね。きれいな言い方しましたが、男の方は必ず「すけべ」なんです。もっと簡単な事を言うと、若くて綺麗なお姉ちゃんが大好きなんですね。そんな人ばっかりなんです。セクハラはしませんよ。でも若いお姉さんと接しているときってとても可愛くなってしまうんだこれが。どうしようもないなあ、この爺さんたちは。って傍目では思うけれどもどうやらそれが元気の源になっているらしい。
 女性の方はいつまでも、いつまでも自分は魅力的な女性なんだって、根拠のない自信を持っている人が強いような気がします。

 女性って10代、20代は綺麗な人にあこがれて、20代も後半になると若い自分に戻りたいって思うらしいのね。ホントかどうか知らないけど。

 でも年取っても格好いい女性って、あくまでも自分を女性として振る舞わせている人だと思うんです。
 
 60代の女性とお仕事でアメリカに行ったときに、夜に大学の構内のおトイレを借りることがあって、そういうときでも僕をボディガードにつかせましたからね。そのときの仕草とか雰囲気とかがいかにも女性らしい恐がり方だったんです。

 生物って、子孫を繁栄させるために、つまり遺伝子DNAの可能な限りのパターンを残して生き残りを謀ろうとするでしょ。

 で、大抵の生き物は生殖を以てその生涯を終えるわけです。ただ人間みたいな社会を形成するような動物は、生まれてからも社会適応しなくちゃいけていけないから、親も、祖父祖母まで残って生存の知恵と補助を与えないと生きていけないわけです。でも基本的には性欲の終わりが生物学的には引退期になるわけで、そうすると性欲(生殖意欲)を失った時点で、僕らは生きてる意味がなくなるわけでもあるのです。

 僕は今年年男で、48になります。もういい加減に性欲を発揮してる場合じゃないなと思うわけですけれど、今回のように考えるとスケベに生きて行かなくては長生きできないかなとも思うのです。

ブログ人のつながりについて

2008年01月03日 09時29分51秒 | BLOG論
 あけましておめでとうございます。

 って誰もいない雰囲気の中で、打ってますが。

 あれほど、毎日更新してたのに、なぜだか書く気力が伴わなくて随分と失礼しています。

 日記ですから、いつ書こうがやめようが勝手なんですが、この世界に存在する、ブログで繋がっていた人たちの人間関係をほったらかしにしていて良いのかなというところは、ずうっと引っかかっているって言うのはあります。

 で、そんなものに責任感を感じてたら、ネット社会ではやっていけないよと言う声もあるわけでですね。
 ブログの責任感って何だろうって考えると、随分とぼやっとした考えしか浮かんでこないんですよ。
 今年も年賀状が届きました。
 もう随分お会いしてない人もいたりして、それでも元気でがんばっていらっしゃるんだなって感じますよね。
 年に一度の生存確認みたいなものですね。

 で、それをブログの世界でやったらどうなるんだろうって思うんですよ。

 やはりそんな風に思うのだろうかって。

 僕はブログの人間関係ってもう少しシビアかもしれないって思うんですね。

 ある程度は継続していかないと、薄くなってしまう。

 一年に一度きりじゃだめなんじゃないか。

 なぜなんだろうか。

 年賀状だけでも繋がっていいるという実感がもてるのは、その人と僕が直接触れあった経験があるからで、年賀状一通でもその人の質感が蘇ってくるからだと思うんですね。でもネット上の人間関係にはそれがない。

 だからブログ上の人間関係における責任感は、その人の勝手な道徳観にすがるしかないような気がするんですね。

 このブログで多くの人と出会いました。積極的に拡げることもしました。そしてブログを継続していけば、少しずつでも世界やネットワークが広がっていくものだと考えていました。
 でも実際は少し違って、増えていく速度よりも消えていく速度の方が早い気がするんですね。
 いや、速度の問題じゃなくて、突然、何の前触れもなく断ち切られる衝撃の強さが人とのつながりを求める心を臆病にさせているといった方が良いかもしれません。

 新年早々なんてこと言ってるんだと思うかもしれませんが、