日記は基本的に他人に読ませるものではない。
自分でさえ書き放して読み返すことは希である。
書くことによって自分の気持ちに整理を付ける。
もしくは書いたものを(書きつつ)眺めることで自分を客観視してカウンセリング効果(癒し)を得る。
こういった効果を無意識に得ているから日記は書けるのだろうと考える。
自らの心を鏡に映し出す。
我々は鏡の前に立つとき自然と意識し良い顔を作るそうである。
髪の毛を整えるだけではない。
泣きやまないときは鏡の前に連れて行くと良い。
みっともなくて泣いてなんかいられない。
話を戻す。
日記はその意味で自照文学といえる。
ブログの名前に「ひとりごと」が多いと言ったときにも触れた。
日記は他人に読まれることを期待していない。
だから文体は「ひとりごと」の一人称でいいのである。
胸にたまった感情なり思いを、何の加工もせずストレートに紙面に吐き出す。
僕はポエムという形もこれに近いと考えている。
加工と非加工の違いは歴然である。
ポエムにはリズムがある。
人はリズムに乗せると心の枷が緩むらしい。
コスプレの趣味はないが演劇の経験者として役になりきることで、日頃口に出来ない言葉を発することが出来る。
若者の心を捉える楽曲もリズムに乗せてこその詞であって素面で語れるものではない。
日記やブログにポエムが多く用いられるのも日常からの脱却や、自分のテンションを上げて心の鎖をとく鍵となっているからだと考えられる。
だけどブログは公開されている限り、人の目を意識した文章になる。
自分でさえ書き放して読み返すことは希である。
書くことによって自分の気持ちに整理を付ける。
もしくは書いたものを(書きつつ)眺めることで自分を客観視してカウンセリング効果(癒し)を得る。
こういった効果を無意識に得ているから日記は書けるのだろうと考える。
自らの心を鏡に映し出す。
我々は鏡の前に立つとき自然と意識し良い顔を作るそうである。
髪の毛を整えるだけではない。
泣きやまないときは鏡の前に連れて行くと良い。
みっともなくて泣いてなんかいられない。
話を戻す。
日記はその意味で自照文学といえる。
ブログの名前に「ひとりごと」が多いと言ったときにも触れた。
日記は他人に読まれることを期待していない。
だから文体は「ひとりごと」の一人称でいいのである。
胸にたまった感情なり思いを、何の加工もせずストレートに紙面に吐き出す。
僕はポエムという形もこれに近いと考えている。
加工と非加工の違いは歴然である。
ポエムにはリズムがある。
人はリズムに乗せると心の枷が緩むらしい。
コスプレの趣味はないが演劇の経験者として役になりきることで、日頃口に出来ない言葉を発することが出来る。
若者の心を捉える楽曲もリズムに乗せてこその詞であって素面で語れるものではない。
日記やブログにポエムが多く用いられるのも日常からの脱却や、自分のテンションを上げて心の鎖をとく鍵となっているからだと考えられる。
だけどブログは公開されている限り、人の目を意識した文章になる。