「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

刹那の犯罪 車ではねた女性の首を絞める

2008年07月27日 22時37分23秒 | 人々
はねた女性の首絞める=「事故隠そうと思った」-殺人未遂で会社員逮捕・千葉県警(時事通信) - goo ニュース

 秋葉原にしても、八王子にしても、今回の千葉にしても、動機がすべて「刹那の殺意」って言えるのではないかと思う。急激に自分の気持ちが盛り上がっていっている。よく喧嘩で人を傷つける犯罪の動機で「カッとなってやった」というのがあるけど、それと似ていて非なるところは、そのカッとなった状態を維持しながら、殺意を発露するまでの計画性があるという点だ。どの事件もその後の破滅を想定し得ないところに共通点があると思う。逃走経路の確保。メディアに騒がれたいなら人質取って立てこもればいいのに、そうはしない。つまり彼らには社会に面と向かって何事かのメッセージを発信するだけの思想性も社会性もない。ただ彼らはこういう事件を起こせばマスコミがどういう扱いをしてくれるかを知っていて、それがやがてフェードアウトしていくだろうことも諒解しているのだ。その意味でマスコミと犯罪者達は暗黙の了解をしあっていると考えて良い。犯罪後の裁判の経過や犯罪者の心理の変化などはほとんどの事件でニュースにならない。
 そして被害者のことは置き忘れられる。下手に裁判を大きくしようとすれば、「しつこい」という感想とともに同情は薄れ、貫徹し勝利しても社会的な歓迎ムードは少ない。

 気分の頂点に殺害をおいて、抑止力となるべきその後の結果を考えない犯罪の原因の闇は深いと思う。