「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

羞恥心と世界のなべあつと千原ジュニアと女子高生のスカート丈

2008年07月03日 00時24分34秒 | 妄想
 ミニスカートはもはや衰退気味なんだそうですね。これからは私学のお嬢様学校風のスカート丈が流行るんだそうだとか。ホントか否かは知らないけどね。世界ファッション業界を席巻した「可愛い」という基準は、「小さい」や「短い」や「足りてない」と同義ではなく、もうちょっと別の要素を加えなくてはいけないようだ。「クイズヘキサゴン」から始まった一連の「おばかブーム」は里田まいやスザンヌ等の、おばか女性アイドルを生み出した。彼女らが「愛嬌のある」もしくは「突っ込みどころのある」ボケをかましながらも、けなげにクイズに取り組む姿は新しい形のアイドルのあり方を提示した。その流れにのったのが「羞恥心」の3人であり、先の女性おばかアイドルと基本的なスタイルは変わっていない。しかし彼らは「おばか」という冠がついている以上、愛されると同時に「馬鹿にされる」という宿命をせおっており、同時に視聴者は、彼らと自分との境界線を明確にしようとする動きを鮮明化させた。彼らの「お馬鹿」は、いわゆる「お馬鹿」を売り物にしているお笑い芸人の作り込みとは一線を画し、素の「お馬鹿」であったため、視聴者の「お馬鹿と同列視されたくない」感は一層強まったと考えられる。そしてそれがスカート丈にも影響が出ているのではないか。世界のなべあつは、そんな空気の中で受け入れられた芸であり、3の倍数という一瞬だけ「お馬鹿」になれるという開放感が受けたのではないかと思われる。
 相次ぐ値上げ将来保障の不透明さからくる社会不安は「イケメン」でもなくいつどうなるか分からない「お金持ち」でもなく、人間の根元的な生命力の強さを持った人間にスポットを当てる。千原ジュニアはそうした時代の要請に応ずる形で登場したものと考えて良い。これからの時代は「したたかさ」の時代であり、ばれたら開き直るくらいの「博打打ち」の時代かも知れない。