「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅶ  ダスティンホフマンには…6

2005年09月14日 22時42分18秒 | 結婚観
 僕たちの仲は遅々として進んでいないような気がしていました。

 相変わらず手も繋がないデートが続いていました。

 彼女はそれでなんともないのです。

 二人で動物園に行ったとき、出口が見えてきたとき、僕は

 「手を繋いでいい?」と聞きました。

 彼女は「嫌。」と小さな声で言いました。


 僕にはそれが恥ずかしいからなのか、それとも僕に対する嫌悪感なのか、その声のトーンからは判断がつかなかったのです。

 彼女は僕の気持ちを既に知っています。

 それを承知の上で拒否するのは、どういう心理からくるのか、僕の理解はそこに及ぶまでのセンサーを持ち合わせていませんでした。

 ひょっとすると、僕はまた今度も「いい人」のままで終わってしまうのかという怖れを抱き始めてました。
 
 「いい人」という言葉は僕にとってある種の「宣告」とも言える表現です。

 僕が好きになる人は僕が勇気を振り絞って本心を告げようとすると、必ず僕の先回りをして、僕に「いい人」という烙印を押します。

 そうしてそれ以上の進入を阻止してきました。僕が目一杯に膨らませた勇気と思いは口を開かれたゴム風船のように不規則な回転をさせて飛んでいってしまうしかないのです。

 結論を知りたがらないのは臆病者のパターン行動の一種なのでしょうか。

 僕はそのとき、それ以上の強気を見せることが出来ませんでした。

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅶ  ダスティンホフマンには…5

2005年09月11日 21時57分28秒 | 結婚観
 女の人と二人きりでお酒を飲むなんてかつてなかったことでした。僕はとにかく一生懸命に話していたという印象が残っています。

 飽きさせてはいけない。

 彼女を愉しませなくてはいけない。

 嫌われたくない。

 とっておきのネタを惜しげもなく披露したのを覚えてます。

 2時間ほどして…。と言ってももう終電近くでしたが駅の改札口近くで、さよならを言いました。そしてその少し前に「また誘っていいかな。」というと「うん。」と言って彼女は小さく笑いました。そして「楽しかった。」と言ってくれました。
 僕は自分が降りるべき駅まで顔がずっと緩みっぱなしだったのだろうと思います。誰彼となく話しかけてみたいような、変な衝動に似た喜びが全身を覆っていました。

 一度OKをもらった僕は毎週のように彼女を誘いました。

 頻繁に呑みに行くわけにも行きませんから日曜日等にドライブにも誘いました。

 僕は10時少し前の天気予報を見て週末の天気を確認するのが日課になっていました。
 そして本屋をあさり今では珍しくなくなった「デート本」の類や、静岡県のグルメ情報誌を買いあさり熱心に研究したりしました。

 彼女はいつもOKしてくれるわけではありません。


 彼女にも都合がありますから当然そういうときは断られます。そういうとき僕は努めて平静を装っていました。なんと言っても僕たちはまだ友人以上のものでなかったのですから、あからさまな動揺を見せるわけにいかないと思ったのでした。

 それが証拠に僕たちはずっとお互いを「さん」付けで呼んでいましたし、手などを繋いだこともなかったのですから。


 お酒をのむデートの何回目かのとき、僕は彼女に自分の好意を告げました。

 でも彼女からは確たる返事はもらえませんでした。

 変にごまかされたのではないと感じました。

 僕の好意というか、恋情みたいなものはある程度わかっていたようです。

 でもそれが現実に僕の口をついて出たとき、彼女としてはそれを受け止めたり、断ったり、変にごまかそうとする用意もなかったようでした。

 でもそれまで僕らは5回以上二人だけで会ってました。

 僕にとってはそれ相応な既成事実を重ねたつもりだったので彼女の対応は僕をがっかりさせました。

 でも彼女の反応の中に嫌悪感は混じっていない印象でしたし、僕を玩ぶタイプでないことは何よりも自分が好きになった人だという確信から変に自信がありました。

 そしてその日の別れ際、僕はおそるおそる聞きました。

 「今度の休みなんだけど…。」

 「私ね、見たい映画があるの。良かったら一緒に行ってくれる?」

 「うん!」

 僕はほっと胸をなで下ろしたのでした。

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅶ  ダスティンホフマンには…3

2005年08月29日 22時51分10秒 | 結婚観
 世の中には社交辞令というものがあります。

 機嫌を損ねてはいけない相手にたいして、その場の和を保とうとする心から出る、軽めの嘘です。

 相手もそれが嘘であることを薄々知っています、が、嘘でも、そういう会話が出来ただけでもしないよりは親しさが増したような気分になるものです。

 彼女を誘ったとき、臆病な僕は、具体的な話に持ち込むことが出来ませんでした。

 ただ、一緒に行くことだけを約束して、その場を離れてしまいました。

 僕はそのことをすぐに後悔しました。

 僕のその時の心持ちから言えば、そして自分の今までの経験から言えば、社交辞令のおそれがなかったとは言えません。

 それに臆した僕は、千載一遇のチャンスを逃したように感じたのです。

 すぐに戻って先ほどの話の続きをしようかと思いました。また、今更、用もないのに彼女の前に出る不自然さを感じました。

 僕は二つの間で、立ち止まってしまいました。

 そしてそうこうしているうちに彼女の退勤時間になってしまいました。


 ぼくは不自然を承知で彼女の前に立ちました。

 そして周りに他の誰もいないことを確かめてから、「きゅ、急だけど、今度の土曜日はどうですか?」といきなり言うと、

 彼女は、しばらくビックリした様子でしたが、「空いてますよ。」と言ってくれました。

 僕は無我夢中で「じゃ、じゃあ駅ビルのレコード屋さんで待っていてくれる?」

 というと「何時にする?」と聞くので「あっ!そうか何時か決めないと駄目だよね。」といって少し笑いました。

 そうすると向こうも笑って「いつも会社あがるの8時半ぐらいでしょ。それからすぐ来れる?」と言いました。

 僕は「すぐ行く!すぐ行きます。」と慌てていったので、彼女は可笑しそうに口を少し隠して、「じゃあ、待ってます。」と言って部屋を出て行きました。

 まだ、携帯なんか無い時代のことです。
 

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅶ  ダスティンホフマンには…2

2005年08月28日 23時20分23秒 | 結婚観
 僕と彼女は一緒に仕事をすることが多くなりました。彼女は自習室の管理を一人で任されていました。ですから僕と話すか僕の上司と話す以外に余り人と話す機会はありませんでした。今から思うとかなりの閑職だったような気がします。

 僕は縁遠いと思っていた人が急に身近になったような不思議な感じをもっていました。
 
  会社の立場では一応上司でしたが、ただ2年目ということもあり、全然上司っぽく出来なかったのです。

 ただ仕事内容に関しては僕の方が分かっていましたし、気の使い所も押さえていましたから、そういった要領の部分は彼女に教えてあげました。
 
 後で聞いたことですが、、そういった上司(というか先輩)というのは初めてだったそうです。

 僕は人に怒られるのが嫌いです。そして他人が怒られるのを見るのも嫌いです。

 だからそうならないようにするのが良いことだと思ってました。

 その職場の上司は血気盛んな人達の集まりですから、僕を含めてよく怒られました。

 自分の人間性を否定するがごとく怒られることもしばしばでした。

 僕は大学の体育会出身者でしたから、理不尽がまかり通る世界を体験していましたが、それでもかなりきつかったと思います。

 だから忍耐強くなったというか、相手の感情の部分は横にのけておいて、伝えたい内容だけ受け取るというか、そこに含まれる真実の部分だけを受け取るように、自分の感情をコントロールする術を身につけてしまいました。

 これは後々かなり貴重な財産になったようで、僕はいつの間にか、太っ腹だとか器がでかいとかいう評価につながっていきました。

 ある時(今の職場)などでは、ある人(事務局長という身分)が感情的に興奮しているのを知らずに、話しかけてしまい、僕自身には全く関係ないのに、八つ当たり的に接せられたことがあります。
 そのときも、この人は僕に対するものと別の所で感情的なんだなと、気付き極めて普通にやりとりできました。

 その人がいなくなった直後に皆から拍手を受けたのを記憶しています。


 かなり自慢げな話ぶりですが、これが僕の最大の弱点になっても行くのです。

 

 
 もう忘れてしまったのですが、彼女のミスを上に知らせず、二人で処理したことがあります。

 そのとき彼女が何度もお礼を言った後、何かお礼をしなきゃと言いました。

 僕はお礼なんかいいから、今度一緒にご飯でも食べようと言いました。

 僕の彼女に対する感覚はどっちかというと同級生に近かったように思います。

 そしたら彼女はOKをくれました。

 

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅶ  ダスティンホフマンには…1

2005年08月27日 22時18分04秒 | 結婚観
 人の価値観の違いっていうのは何処から生まれてくるのかっていう問題に対しては明確な回答ができません。

 でも家庭環境という要素は大きな部分を占めてくると言えるのではないでしょうか。

 人の話ばっかりで自分のことを少しも言わないのは不公平な気がしますし、先の話につながることもあるので、少しだけお話しします。

 もう20年近く前のお話ですで、半分昔話になります。

 僕は当時ある予備校の職員をしていました。今はその予備校はありません。

 僕はもてない人でした。

 今も変わりません。

 自分の容姿に自信を持ったことは一度もなかったので20才を過ぎても女の人と付き合うなどということはしたことがありませんでした。

 僕の仕事の内容は言えませんが、10人以上採用された職員は1年で二人になっていました。

 僕は入社2年目で主任と呼ばれていました。

 血気盛んな若者が教材販売で財産を作った実業家に掛け合って立ち上げた予備校でしたから、勢いはありましたが、後から入ったものにとっては不備な点が多々あったと思います。

 事業自体は順調に伸びていました。

 社長に相当する理事長という人物は、見栄えをよくしようと女性事務職員の採用に容姿の観点を入れたようです。

 2人ほど採用され、受付に置かれたようですが、しばらく立つとそのウチの一人が僕の部署に回ってきました。

 とても綺麗な人でした。

 「綺麗な人だなあ」という以外に感想はありませんでした。

 僕は、その人は僕より年上で既婚者だと聞かされていましたからね。

 何でそんな風に嘘を付かれたか分かりませんですが、とにかく僕は単純にそう信じていました。

 で、一緒に仕事をするようになったんですが、彼女がどうして受付から外れたのかだんだんと理由が飲み込めて来ました。

 彼女はもの凄いお嬢様育ちで、世間一般の事務仕事にはかなり向いていない人だと分かったのです。

 例えば新聞紙を束ねて10文字に縛っても彼女結ぶとユルユルでどさどさ落ちて来ちゃうのです。

 そういうことはしたことがないそうで、よくそれで主婦がつとまるなと思ってました。

 万事がそういう具合ですから、僕の部署に来る前にかなり叱られて随分と凹んでいたようなのです。

 僕は年上のしかも既婚者に向かって叱るなんてことは出来ようはずはありませんから、根気強く繰り返しやってもらうしか手がなく、彼女の仕事は必ず後で点検しフォローするようにしました。

 あるとき二人で仕事をする機会があり、当たり障りのない世間話をしていて、僕は何の気なしに「家庭を持ってるとお仕事大変ですね」というと彼女が「え~!私、独身ですよ~」と言われてしまいました。

 おそるおそる年を聞いて見ると僕より一つ年下の人でした。

 僕は一気に気が抜けてしまい。

 「なあんだ!年下だったのかぁ。」とかなり大きな声で言ったのを覚えています。

 「ずっと年上の人妻だったと思ってたの?」というので「うん!」と答えたら、「怖いイメージだった?」というので「うん!」と言って二人で声を上げて笑いました。

   

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅵ

2005年08月23日 23時15分06秒 | 結婚観
 断っておきますが、Cちゃんのお話は彼女の一方的な言い分のみで構成されていますので、事実と異なることがあっても事実の確認は取れませんし、「おかしいよ!それ!」とか言われても訂正のしようがありませんのです。

 プロポーズというものは色々と段階を経て、確認、および承認、および経験を伴う既成事実を作り上げつつ、一人気分的な盛り上がりをもって行われるものである。

 こういうもの一生に何度もあるわけではないので、失敗しても構わないというノリで行うものでないことは、良識のある人なら分かって頂けるかと思う。

 ということは、勝算50%で踏み切れるものではなく、少なくとも80%にはもっていきたいものである。

 で、それなりの既成事実がそれを支える根拠となりうるわけで、手を繋いだり、キスしたりする過程や、お互いの生活感覚(価値観)や結婚観のすりあわせが行われたりする中で、得るものである。

 それと何よりも自分は愛されているという自覚を持てるか持てないかを確信できないうちは踏み出せないものと考えられる。

 だけど世の中には相手の社会常識程度の好意、もしくは親近感を勝手に自分への愛情と勘違いし、一気にプロポーズに持ち込むケースもあるようである。


 Cちゃんへのプロポーズも唐突だったらしい。「へっ?」と本気で声に出して言ったらしいのである。

 職場の同僚として。同世代としての親近感しか持たない人だったらしいが、突然「今年中に結婚して欲しい。」って言われたらしい。

 無論、手も繋いでいないし、キスもしてない。仲間と一緒に飲みに行ったことが数回あったそうだが、二人きりになったことはないと証言している。

 だいたいプライベートな話はほとんどしたことがないらしかった。

 ただCちゃんは明るくて元気で男に対す感覚は僕たちの下宿で飲み明かしたり、僕たちは夏場はパンツ一丁で寝てたし、後に彼女の旦那になるSはパンツからはみ出させたまま寝てたこともある、状況のなかで平気なだったこともあり、男扱いについてはかなり慣れていた。

 というより距離感の取り方が、普通の女性と違って近すぎたのかもしれないと疑っている。

 で、その世間慣れしていない(Cちゃんの証言)彼は、Cちゃんの距離感を、自分のテリトリー内にいると勘違いしたらいく、世間一般の過程を経ないまま、プロポーズという暴挙に出たらしい。

 で、結果としては断ったらしい。

 ちょっと悩んだそうだ。

 僕にしてみれば「え~!何でそこで悩むんだよ!」と言いたいところだが、彼の家がかなりの資産家だったことがあるらしい。(現実的だね~)

 

 結婚は大きく言えば2種類に分類される。

 恋愛結婚とお見合いで結婚することである。

 結果には結婚なんだからどっちも同じようだが、離婚率からすると恋愛結婚の方が圧倒的に多い。

 数も多いから、そうなるのは当たり前なんだけどね。

 よく恋愛結婚は減点法、お見合い結婚は加点法という言い方がある。

 ある意味で当たっていて、ある意味で外れているのではないかと思うのだが
それはまた次のお話。

 ちなみにその彼は一年も経たないうちにCちゃんより若い女性と結婚したそうである。

 ちなみに結婚とほぼ同時期に彼等の住む大きな新居が、両親の大きな援助をもとにして竣工したそうである。

 結婚は新居のために必要だったのだとCちゃんは主張し、やっぱり行かなくて良かったと、胸をなで下ろしたそうである。

 で、その後も彼とは良い友人関係を保ち本人の結婚式にも参列し、涙ながらに「良かったね、ホントに良かったね。」を連発したそうである。

 よく分からない話になりましたが、今日はここまで。 

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅴ

2005年08月17日 17時23分49秒 | 結婚観
 先日、伊豆へ行った話をアップしました。そのとき友人のSのカミさんも来てました。
 彼女は僕らの友人の一人です。大学2年の時に呑んで、歩いて帰る途中に彼女の下宿の近くを通ったときに、彼女の部屋の鍵が壊れて入れなくなっていた。

 僕らの友人が屋根を伝って中から鍵を開けたってのが縁で、僕らのたまり場に来るようになったんです。

 で、男子ばかりの中の女の子が一人で入ってくるわけですから、相当の賜物でして、僕らがパンツ一丁でいても眉一つ動かさない。

 で、なんだか生意気な部分もあっていじめられて泣かされることもあったのですが、とぎれもせず続いていました。

 尤も、彼女は大学の吹奏楽部に所属してましたから、凄く忙しくて、、滅多に来るわけではなかったのですがね。

 卒業後は神奈川県で働いてました。高校教諭です。頭も良かったんですね。

 生まれは鹿児島ですが、何故か神奈川に就職しました。


 それで何年か音信不通だったのですが、卒業2年目のある日、僕はそのころ東京で働いてましが、突然Sから電話がかかってきて、「俺結婚するから」と言うんです。
 「そおおめでとう、で、相手はどんな人?」っていうと

 「おまえ笑うから言わない!」って言うんです。

 「結婚だろう、洒落で言ってる訳じゃないんだろう?それなら笑い分けないじゃないか!」と言ったのですが、それでも「いや、絶対に笑う!」って教えてくれなかったのです。

 しょうがないから「何があっても笑わない」と誓ってから聞きました。

 「俺、Cと結婚すんだぁ」と福島訛りで言われた途端、「わはははははは!」と自分でも不思議なくらい自然に笑ってしまいました。

 Sはそれほど怒りもせず「ほらなあ!やっぱり笑うべ」と自分も笑ってます。


 と言うわけでCちゃんとは、古い付き合いなのです。

 僕ら一行は10人様ご一行で、4人が今回幹事のTの家族で一部屋を使い、後はSの夫婦が一部屋を使い、残りの4人がもう一部屋を使うといった具合になりました。

 ただ予約は一部屋3人で予約しないと2人部屋は高くつきます。

 部屋はベッドが2つあって別の部屋になっていて、畳の部分に布団が1組敷いてあります。


 僕らの男部屋に隣のSの部屋から布団を一組移動してしまえば、それでお終いなのですが、畳に寝る相手が結構イビキのうるさい人なので、どうしようかと思っていたらSやCちゃんが、「いいよ別にウチらの部屋で寝れば」とい言うので僕が夫婦の寝室に行くことになりました。

 今更どうってこともないくらい、大学時代は6畳に6人くらいで雑魚寝してた中ですので、まあいいかってな感じでした。


 12時くらいまで男部屋で話をしてて、さあ寝ようかっていうときに、旦那のSが風呂に行ってしまいましたので、僕とCちゃんが二人で部屋に取り残されることになりました。




 あの~。

 期待はしてないでしょうけど

 変な話にはなりませんので、悪しからず。


 そのとき旦那がご丁寧に中国マッサージまでして帰ってくるまでの1時間あまり僕はCちゃんと話をしているウチに、彼女の神奈川時代の男性遍歴の話を聞くことになったんです。


  



結婚と離婚と仕事とSEX Ⅳ

2005年08月12日 03時21分19秒 | 結婚観
 女性の適齢期っていつなんでしょうね。

 ホントの所を言えば、その女性が結婚したくなったときが適齢期なのではないでしょうか。

 ただ、世間一般に言われるのは、非常に社会的な意味を含んでいるように見えますね。

 25才で結婚して、26才で第一子を出産して、第二子が27才くらいで、その子供が女子ならば25才で、男子ならば30才くらいまでに結婚すると、そのお父さん(亭主)は定年前に子どもたちの結婚式を迎えられ。孫を抱いて見事にお祖父ちゃんになれるわけです。

 逆算していくとそうなってしまうんですね。

 娘や息子の結婚式にお父さんが無職って言うのは格好悪いとお父さんはこだわったりします。


 これが日本的標準というか、一面的な理想なんですね。

 ただしこれは女性が結婚を機に退職して、子育てが一段落して、またパートで働きに出ようかな、位の女性がターゲットなんですね。


 まあパートはやらなくても良いですけどね。

 だけど女性がそれなりの社会的な使命感をもって仕事をしているケースや、とにかく今、自分の就いている職業にかなり充実感をもっている場合は、この尺度には当てはまらないと考えた方が良いと思います。

 仕事って2,3年でなんとかなるようなものってないじゃないですか、どんな仕事でも、コンビニの店員だって極めようとしたら凄いことになりますよ。

 1年サイクルで仕事が行われるのが、今の企業スタイルですから、1年目で覚えて、2年目で疑問を感じて、3年目で疑問を解決や、創造に使えるようになる。

 新奇な考えを持ったら、それを実現するまでには何年もかかる。

 そういうい仕事を持っていることはとても良いことです。

 なぜならば自分を人間として成長させてくれるものだからです。

 ではそういう女性はどうしたらよいのでしょうか。



 たぶん適齢期というのはないんですね。


 仕事ってとても中性的なものだと思うのですよ。

 だってほとんどあらゆる職業って、性別がないでしょ。

 キャビンアテンダントは?看護師は?助産婦は?

 女性の方が良いとされている職業でも、男性が出来ない訳じゃない。


 男性しかできない仕事というものもない。

 ~の方がより好ましい、というだけの話なのです。


 じゃあ仕事をしてる女性は結婚してはいけないのか、というとそんなはずはないですね。

 
 続きはまた後日に…。挙はさすがに眠たいや。

午前3時かよ!

 

 

 

 

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅲ

2005年08月10日 23時39分30秒 | 結婚観
 結婚すると自分の自由がなくなる。相手の人生を背負い込むことになる。読んでいると結婚というものが嫌になってきますよね。
 でもそういう主旨で、この記事を書いているのではありません。

 僕のカミさんは結婚以前から仕事をしています。

 短大を出てその短大の職員に採用されて、図書館事務を中心に仕事をしています。

 ずっと続けて行きたいと言ってますし、専業主婦でいるよりも職業として、家庭とは違う世界をもっていた方が自分自身がよく保てると思う、という理由からです。

 僕もその方が良いと思いました。

 女性が家庭を持ちながらボーナスの出る仕事を継続して出来るというのは、ありがたいことですし、子供が小さいときは、僕の両親に預けておけばよい、という環境も良かったと思います。

 女性にはどうやら適齢期という壁が、まだ厳然としてあるようで、学業を終えるとすぐに周囲の目が結婚に向きます。

 

結婚と離婚と仕事とSEX Ⅱ

2005年08月10日 00時29分17秒 | 結婚観
 日本には八百万(やおろづ)の神と言って色々な神様がいる。原初から日本列島に住む人々は、人間が住むのに都合の良い自然環境に感謝し、ごくたまにある例外の年や突発性の自然災害を怖れ、その2つの意味から、人と共存する全てのものに命と意志を持つものと考えたようである。

 だからそれは西洋のいわゆる「Got」と異なり、どちらかと言えば精霊に近い意識かと思われる。

 だから結婚の神様も当然おわすわけで、冬の女王広瀬香美の…!!


 あれは「ロマンスの神様」だった!


 まあいいかっ、って良くないよね。

 スミマセン。


 芸人さん達がよく言うセリフで笑いの神様が上から降りてくるというのがあ。


 じゃあ結婚の神様は、何処から来るのか?っていうと…。


 どうも何処からも来はしないらしい。

 来ると言うより、落とし穴を掘って、待ちかまえているといった方が、納得を得られる割合が高いように思う。

 …何であのときあんなこと言っちゃったんだろう。

 なんで「ハイッ!」って言っちゃったんだろうとか、苦笑いと共に思い返すのが当時の精神状態だったのではないか。

 僕の先輩が「結婚なんてね、道を歩いていて落とし穴に落ちるようなものよ。」といった人がいるが、そのときの目は真剣だった。

 

 「結婚は面倒くさい。」


 いま、多くの若い人がそう考えてるそうだ。


 この時代の人の有り様を如実に表している。


 自分にとって都合の良い関係だけを保つので精一杯の状態。

 それすらも拒否するのが「ひきこもり」であると考えて良いだろう。

 仕事上の人間関係でいっぱいいっぱいなのに、家に帰ってまで違う人間関係で煩うようなことはしたくない。


 ひとりになる時間が欲しい。

 

 そう思う人が多い。


 僕もそうだった。


 今もどこかでそう思っている部分がある。


 僕と同じ年齢で、結婚せずにマンションで一人暮らしをしている同僚がいる。

 給料はすべて自分だけのために使って良い。

 マンションだから僕みたいに、自治会の役員になる必要もない。だいたい隣の部屋が誰なのか知らないし、知る必要もない。

 貯金をしては海外に格安ツアーに出かけている。

 しかも仕事は僕より出来るから給料の査定も良いはずだ。


 悠々自適の生活である。

 両親は健在で違う街に住んでいる。

 
 

 毎日カミさんと娘を相手にし、たまに姑の愚痴を聞き、娘が泣き叫び、学習塾へ行かせる時期について悩み。たまに駅前で「麻薬撲滅」と書いたタスキを掛けて、昨日は何処へ行ったかが近所のおばさん達に筒抜けになっている田舎生活と比べると、自分の「個」の立場から見た場合、まるっきり正反対の生活がある。


 これが今後どれほどの人生の違いを生み出すのだろうか、僕の方が確実に幸せなのだろうか。

 さして違いはないように感じる。


 ただ、僕は近所の幼稚園児から、80才以上のお年寄りに至るまで、地域のほとんどの人にとって見たことある人になって行くだけである。

 「この顔にピン!ときたら110番」の時に思い浮かべる顔になってしまうだけのことである。


 地域と生きると、そういう人生になる。


 結婚も、その面では同じである。


 相手が天涯孤独の身の上で結婚するならともかく、そうでないならなにがしかの人間関係を持っているはずである。

 例えば引きこもりでも、それを許容する両親がいるはずで…。


 なんか変だぞ、この例え。


 結婚とはそういう人間関係をひっくるめて受け入れるわけで、人間関係の難易度は種々あれど、すくなくともそういうのを受け取る覚悟は持つべきである。


 よく女の子が「彼に意外な過去があった。」とか相談されるが、そういうのは論外であって、「そういう過去を経てきた彼を、そういう過去を経てきたこその彼を好きになったのだから、そういうのを丸ごと好きになんないと好きって言えないんだよ。」というと「好きって簡単に言えないんですね。」って言います。

 「好き」は良いんです。

 「LIKE」はそういう傾向にあるってことですから、

 ただ、その子の「好き」は「LOVE」でしょ。

 そういうのは重いと思う。

 人類愛、愛校心、意外と人間以外に簡単に使われますが、愛は基本的に無償ですから、人類とか、学校を愛して、人類とか、学校に見返りを求めますか?

 求めないでしょ。

 だから、愛してますって言ったら、相手に何も求めちゃいけないんです。


 求めるのは「恋」って言います。


 一緒にいたい。会いたい。あーして欲しい、こーして欲しい。

 こういうのは「恋」っていって、どっちかが追っかけてないと成立しません。



 昔、何かの映画で、恋に悩む自分の娘に対し、医者のオヤジさんが、「恋ってのは燃え上がるものさ、燃えて、燃えて、その後に、燃え残ったものが愛っていうのさ」というセリフがあったけど、そう考えると「愛」って厳しいものだね。


 もう寝ます。支離滅裂でスミマセン。

 でも「愛してます。」は簡単に言えないですね。