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超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

曇天の夏、北の日常

2022-08-09 16:27:03 | 無題
午前中は書類仕事4分の2までする。
その後、歯医者行って型取りする。
昼はめんたいそうめん。
午後疲れて散歩行けない。ドリンク剤飲み過ぎないようにしている。
発砲飲料のリアルゴールド飲んで、から元気出して散歩行く。
専門店街のベーカリーでミルクレープは240円で高いので、
レーズンサンド140円食べて珈琲飲む。
夜のハウスのカレーのお伴にスーパーで
クリームコロッケ2個で100円買って、壺屋のちぎりもち390円
の代わりに、日糧の冷やしみたらし餅4個で100円買って、
山崎のロイヤルブレッド買って、ホクホクして帰る。
壺屋で「き花」のばら売りをみつけたので今度買うつもり。
gooブログで草田男俳句の紹介を読んでなかなか良かったので
また俳句の本でも読むつもり。
下旬に朝里川温泉でも行こうかと思ったが、コロナが怖くてためらう。
活性化は、この夏の課題。先日叔父さんと六花亭福住店行き、
雪んこチーズという菓子を叔父さんが食べていて旨そうだった。
私の毎日はかくして過ぎていく。EVERYDAY LIFE...

曇天に食費を使い町歩き静かに過ぎる北の日常

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スピノザ哲学のキホン

2022-08-07 05:28:29 | 無題
晃洋書房の河合徳治著、スピノザ「エチカ」読む。
まず、神は万物の根本原因である。存在するのに自分以外を必要としないのは神だけである。
そのような神は、唯一の実体である。人間も自然も、神という実体の様態である。

人は神の属性である、思惟と延長(幅を占めること)を持っている。
感情には、喜び、悲しみ、欲望がある。感情の根本には、自存力がある。
感情は悪いものではないが、感情よりも理性や直観知が優れている。
理性と直観知によって、個物のなかに神の働きを見る事こそ、人の至福である。

善悪は人間にとって有益かどうかで人間が判断するものであり、自然のなかには絶対的な善悪はない。
個々の物は、それ自体、神の様態としては、精巧にできている。
神の様態にも多様な段階があり、人にとって有益に働かないものもある。

暴君の横暴は、理性に制御されていない感情から来る。
自然災害は、自然が人間の利益と一致しない場合に起こる。

人間には神の様態である自存力があり、生存の展開のために自己を守るのは理にかなっている。
受動的な精神を積極的な精神に変え、神の様態として十分に自分を発揮する者は自由であり、
個物に神の働きを見る者は幸せである。

自らを十分発揮する者は自由に生きる神の展開
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ヘーゲルが理想を語る

2022-08-05 16:05:16 | 無題
晃洋書房の海老沢善一著ヘーゲル『大論理学』を読む。
最初の導入部は具体的で親切だが、「大論理学」の説明に入ると極度に抽象的になる。

大論理学で、ヘーゲルは神学を、現実に重ね合わせた。
大論理学は、論理学のかたちを取ったヘーゲルの現実のとらえ方であり、とどのつまり神学である。
(それは絶対精神=神の存在を規定する有論、現象と現実の本質としての神を規定する本質論、
主観と客観の統一としての神であり、絶対精神でもある「理念」へと至る概念論で終わっている。)

ヘーゲルは、神は精神として外化して、自らを知って、歴史を作り、哲学に絶対知を与えて、自分に帰る、と言う。
この神の自己展開の運動を、論理学のかたちを借りて、記したのが、「大論理学」である。

基本的に、彼の考え方は、「精神現象学」と同様のものだが、より客観的な「論理学」の形式を借りて、
絶対精神である神が、歴史と哲学の場で自己展開する、という彼の理論を、より抽象的に言いかえたのが、この「大論理学」である。歴史に理性の表出として登場する世界精神そのものとして、ヘーゲルはフランス革命やナポレオンを歓迎していたのだが、その挫折と没落の時代に、「大論理学」は書かれた。
そういう時代背景を知って読むと、ナポレオンの啓蒙はダメだったけど、
神は歴史を裏切らない、という反骨の書として、ヘーゲルの声を読むことができる。

難解な論理を取って示された自己を顕わす神を語る書
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資本論のキホン

2022-08-03 05:09:42 | 無題
あらすじ資本論読む。
 資本主義社会では、労働者は自分のものであるはずの労働からも、生産物からも「疎外」されている。
 労働力は労働者の商品であり、労働力と引き換えに賃金を受け取る。
けれども、この取引は対等ではない。雇い手は労働力の対価を正当に支払わず、働いた成果より少ない賃金を支払う。
そこで、この不払い分が、「剰余価値」となり、雇い手に蓄積される。労働者はこのように、「搾取」されている。
 雇い手に集まる資本は、さらに投資、運用されることで増殖して行く。「資本とは増えるお金」である。
資本主義経済によって商品は市場に出回るが、労働者の受け取る賃金では、十分な商品を買えない。
 雇い手同士も、より強い資本を持つ者によって、淘汰されてゆく。
こうして不況・不景気で経済は上手く回らなくなり、無産階級が数の上で増大し、無産階級は自らの不当な扱われ方に目覚め、連帯と抵抗によって、生産手段(土地、工場、機械など)と生産物を奪還する。
 これが「革命」である。
社会は労働の富を分配する、社会主義へ、生産手段の公共化による共産主義へ移行する目算となる。

働けど楽にならざるわが暮らしやがて歴史が転覆を果たす
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