アメリカの倫理関係の本読む。
多分に功利主義的。何かが違うと感じる。
逸脱でアルチュセール本とヘーゲル本を読んでいる。
その他フォークロア本と倫社が山積み。
今日は予定があるので中断である。
ロリン・マゼールの芸術よりベートーヴェン聞いている。
クリーヴランド管弦楽団のベートヴェンは
ウイーンフィルをわざと歪ませたような捻った音。
少々かすれているような趣きの響き。
この歪みとかすれを基調にマゼールは
主旋律だけでなく副音程も前面に響かせようとする。
すると全部の音が前面に出て絶えず鳴っているので
慌ただしい。
そのなかを、ハイティンクやクリップスとは違い、
音の間合いを絶妙に変えて、奇才ぶりを発揮し、
緩急をつけてクリーヴランド管をドライヴする。
今日はおにぎりを持って図書館の迷路を
ぐるぐる回って来る予定。
どうせ行くなら伸び伸びして来たい。
リストのアンジェラス・セイクリッド・ピアノ・ミュージック
は曲の編集からして見事。深い曲を選んで
上手く配置している。癖になるCDである。
山積みの未読の本を放り出しおにぎりを持ち迷路潜入
ベン・ファインの経済学の本読んだ。
剰余価値が投資されて資本が循環する話。
加藤尚武のヘーゲル本も読み終わる。
意識が「神=絶対精神」と自己の同一性を悟って終わる。
昨日は富良野で花畑見る。
開かれた空間でようやく一息つく。
心が洗われた気がした。
ドラマ館にドカジャンが売っていた。
ホテルでビュッフェ食べてきた。
たまに休むと無性に嬉しい。
本当はまた倫社まとめなくてはいけない。
今日はクラシック聞いて休むつもり。
今朝は不思議な夢をみた。
わだかまりのあった人と虚心坦懐に話して
分かり合う夢。
増上寺で聞いたお説教によると
夢はある種の現実だという。
潜在的な現実が日々の予兆として顔を出す。
では何か具体的な進展があるかと言えば
肩透かしを食う。
現実はもっと長い時間で地殻変動している。
いつの日か地中の種が開花することを願う。
現実の背後に眠る勢いがやがて湧き出る瞬間が来る
加藤尚武『ヘーゲル精神現象学入門』と
今村仁司『アルチュセール』を並行して読んでいる。
ヘーゲル本は今「意識が人倫世界を経て外化した精神となる」ところ。
アルチュセール本はそれだけでは分からないので
『経済学・哲学草稿』や『ドイツ・イデオロギー』読む。
ヘーゲルは『精神哲学』や『大論理学』を取り寄せる。
ヘーゲルやアルチュセールは仕事の逸脱で、その他倫社のまとめをしている。
ミシュレの『魔女』と『ジャンヌ・ダルク』が到着した。
その他『ブラック・デカメロン』文庫もヤケ大だが希少品である。
今、「ロリン・マゼールの芸術」を聞いている。
そのなかからピッツバーグ響のシベリウスを聞いている。
確かにウィーンフィルよりも機動的で、煽情的でマゼールの
テンポや呼吸に機敏に反応する。
マゼールが大見得切ったときのテンポ感が堪らない。
何て面白い演奏だろう!
持っているのと何枚かダブるがこの際構わない。
そういえばカザルス・ポートレートのルドルフ・ゼルキンの演奏がいい。
ゼルキンのシューベルト2枚組のジャケットが哲学的でいい。
今度出たゼルキンの大箱の箱にその写真が使われている。
ゼルキンは全集を残さなかったがなかなかいい。大箱は要らない。
ピッツバーグ響のシベリウス、輪郭が明快で、音が立体的でいい。
他のも大いに楽しみである。
寄り道の仕事を終えて待ちわびた奇才指揮者の大見得を聞く
昨日はロラン・バルトのミシュレの引用を読んだので、
ミシュレの『魔女』上下と『ジャンヌ・ダルク』取り寄せる。
午後川沿いを散歩する。
6月から10月の花が一斉に咲いている。
夜今村仁司の「アルチュセール」読む。清水書院。
これは説明が荒い。付け足しとして『アルチュセール全哲学』取り寄せる。
ロリン・マゼールのブルックナー聞きながら、ロルカ詩集読む。
アンダルシア地方のグラナダのジプシーの瞳や回教寺院を詩人の感性で適度に抽象化している。
その後加藤尚武編『ヘーゲル精神現象学入門』3章ほど読む。
(感覚から出発して悟性に至り自他を内的に吟味する自己意識に至る。
実体、絶対者、神は自己展開する…)。
昼間はフォークロア文化論読んでいるのだから
脳内フル回転である。
私の買った店のラテン語聖書見事に売り切れていた。
私のブログの影響かと一瞬思ったが物好きな日本人は少数派である。
世界規模で人気が集中したのだろう。
いつでも買えると安心していたのに支えを失った。
今日は休み休み読書のメモ書きしよう。
今朝はマゼールのフィルハーモニアのマーラー9番聞いている。
ほとんどの曲が2枚組なのは面倒だが
構えの大きいマゼール節が堪能できる。
なまけものになりなさい、呑気に暮らしなさい。
水木しげるの名言煎餅はいいこと言う。見習いたいものだ。
グラナダの黒い瞳や回教の寺院を想い難解書置く
「メキシコの夢」「ブラックデカメロン」「写真の哲学のために」を取り寄せた。
皆、実家にあったのだが今となっては買い直すのが得策である。
私の本棚はギリシア神話とフィロソフィーが中心なので
失われた知識をモザイクのように組み合わせて修繕している。
ロリン・マゼールの芸術30枚組ソニー製を
3740円+送料で注文してしまった。未開封品。
クリーブランド管弦楽団のベートーヴェン全集はダブっている。
リヒャルト・シュトラウス集バイエルン放送響もダブっている。
シベリウス1-7は持っているのがウィーンフィルで
今回のがピッツバーグ管弦楽団。
チャイコフスキー1-6は私はウィーンフィルで持っている。
今回のチャイコフスキー4・5・6は違う楽団。
そのあたりがメインのレパートリーになるが、
ラ・メールとかボレロとか幻想交響曲とか
惑星とか普段あまり聞かない管弦楽曲が大量に入っているのはどうかと思う。
ワーグナーの管弦楽も普段あまり聞かない。
交響曲だけでレパートリーを固めてくれればよりよかったのだが。
だが一枚当たり100円強なのでコレクションとしてはまぁいいかと思い直している。
買ったのがよかったのか決めかねている。
最近いろいろな思い煩いが吹っ切れてホッとしている。
幸せの慈雨がポストに届くのを心待ちしている。
よく晴れた夏の涼しい休日にポストに届く幸せの慈雨