今日は井の頭自然文化園に行き、象のはな子さんを見る。
大きな体をゆさゆさ揺らしてぶらぶら歩き、鼻で水を飲む。
一時半のえさの時間になり、飼育係の人の手で運ばれた
皮をむいたバナナをひとふさずつ何本も何本も食べ続ける。
こうしてあの大きな体は維持されているのだ。
そのあとオレンジ色の果物を鼻で器用につかんで口に運ぶ。
動物園で動物柄の手ぬぐいを買った。
そのあと井の頭公園のカフェ・ドゥ・リエーブルうさぎ館で
ラタトゥユ入りそば粉のガレットとりんご酒シードルを食す。
陽射しが店内に入ってきれいな眺めだった。
ラタトゥユ入りそば粉のガレット、そば粉が効いていて旨い。
次から次へとお客さんが来る。繁盛していた。
そのあと中古CD屋さんでチェコフィルのCDを抱えて結局買わずに引き返す。
ブックファーストでレコード芸術の
今年生誕百年の指揮者特集のギュンター・ヴァントのところを読む。
そのあとアトレ本館のカフェでブレンド飲んで帰る。
吉祥寺を満喫したいい休日だった。
動物園で買った手ぬぐいにはな子さんと思しき象が描かれていて
いい記念である。大きい生き物を見ると感動する。
帰って豚汁を食べてケンちゃん豆腐をスプーンですくって食べる。
ケンちゃん豆腐のプリンのような滑らかな食感は貴重である。
今日食べたようなガレットをちょくちょく食べれたら満足である。
夜ギュンター・ヴァントのブルックナーの8番を聞く。
レコード芸術でも作為的でないところが絶賛されていた。
ブルーノ・ワルターの大全集が出るという話だがほんとうなら嬉しい。
そば粉入りガレットを食べ陽射し浴びりんご酒に酔い名盤を思う
先日は友人と梅ヶ丘で待ち合わせて梅江飯店という店に入る。
早く着いたので珈琲100円飲んで待つ。
キャベツと豚肉のみそ炒めを食べて友人が地味だけど旨いと言っていた。
それとピリ辛腸詰め薄切り一皿と本場のジャージャー麺を食べる。
友人に約束していたゾルターン・コダーイの合唱曲集を貸す。
アダム・フィッシャー指揮。
原色のジャケットのインパクトが凄いと言っていた。
コダーイの合唱曲はブルガリアン・ボイスみたいな曲もあり
友人も気に入ってくれると思う。
友人はコンドルが飛んで行くを斬新なアレンジでジャズフェスでやりたい、
去年はマイ・ウェイの意欲的なアレンジに賛否両論だった、
観客はスタンダードの無難なアレンジを期待しているかもしれないが
ギターが意欲的なので自分も挑んでみたくなると言っていた。
ラジオドラマ・ガンキングのエンディング曲は
武満徹の小さな空で自分も歌ったという。
コダーイの勧めでバルトークは民謡の採譜の道に入った、と言うと
バルトークの方が世界的に有名なのは作った曲が多いからかと喋っていた。
杏露サワーをちびちび飲んで話す。
私はテースロー・エウセのコダーイ・ゾルターン生涯と作品を持っているから
ご満悦である。
コダーイは祖国で合唱の父と呼ばれている。
それほど合唱に力を注いでいて、音楽は皆のもの、が口癖だったという。
キャベツと豚肉のみそ炒め、腸詰め、ジャージャー麺と飲み物で4100円。
私は帰ってクレンペラーのブルックナー選集を聞く。
クレンペラーのマーラー選集とともに愛聴盤である。
彼方まで録音機手に採譜する音楽学者の笑顔眩しく
レヴィ=ストロース伝、読み進める。子供の頃父親の影響でワーグナーの洗礼を受けたこと、
3歳の頃からブーランジェ(パン屋)とブーシェ(精肉店)の最初の文字列の形も音も同じだと気付いたから文字を習う前からブーの字は読めた、
そういう思考自体が構造主義的だったという回想をしていること、若い頃学問の形成に三つの柱があって、それは地質学と精神分析とマルクスだったと書いてあることなど、すでに「構造と意味」や「悲しき熱帯」に書かれていることながら面白い。
地質学と精神分析とマルクスから、表面に表れていない深層を読み解くという立場を彼は学んだ。レヴィ=ストロース伝なかなか読ませる。
今日は駅まで歩いて隣町の食材店に行った。クリスマス向けのシュトーレンの特大サイズが売っていて、890円だった。クリスマス前にシュトーレンをちびちび食べる習慣が好きだ。こういうのを見るとクリスマス気分が盛り上がる。
そういえばクリスマスの起源はヨーロッパの冬祭りの伝統だ、ローマ時代の農耕神サトゥルヌス祭や聖ニコラウス祭に受け継がれた冬祭りの伝統がクリスマスに受け継がれていて、冬に訪れる来訪神信仰がサンタクロースの起源だとレヴィ=ストロースが書いていたことを思い出す。
帰ってハイティンクのクリスマスマチネコンサートのマーラーの実況録音を聞く。年に一度クリスマスの昼間、毎年一曲ずつハイティンクがオランダの聴衆のためにマーラーを演奏した、そのクリスマスライヴ集成がハイティンクのクリスマスマチネコンサート・マーラー選集である。
背後に深い闇を感じさせる臨場感のある録音でクリスマスのコンサートの空気が伝わってくる,心暖まる演奏である。
食材店に付属の喫茶店でコーヒーを飲んできた。屋外のテーブル席にワンちゃん連れのお客さんもいて微笑ましい。レヴィ=ストロース伝、シュトーレン、ハイティンクのクリスマスマチネコンサートと、クリスマスに向けていい流れを作っている。レヴィ=ストロースのワーグナー好きについて言えば、「神話論理」でワーグナーは一級の神話学者だったと書いていたように思う。後の神話の話型分析がワーグナー好きと結びついていたのは興味深い流れである。
クリスマスにレヴィ=ストロースの地下鉱脈を辿り直すのは心楽しいひとときである。
シュトーレンちびちび食べて年の瀬に構造主義の鉱脈を知る
月曜に発売だったクレンペラーのブルックナー選集が金曜にようやく来る。
そのクレンペラーのブルックナー選集を通して聞いた。
交響曲4番は速足の印象。時間はそこそこ掛けているのに速足に感じるのはフレージングが短いからか。はたまた休止の間隔が短いからか。
4番はウィーン響との演奏が超快速だという話だがEMI盤もかなり速い。スタイリッシュで硬派なブルックナー。
5番、7番は適正なテンポ感で美しく聞かせる。8番、9番は遅いと聞いていたがどうか。
クレンペラー本来の曲を大きく見せる性格が8番のスケール感とマッチしている。ブルックナーの雄大な本性が8番で露わになる。クレンペラーはマーラーの七番に100分掛けたのだから、ブルックナーでも巨匠テンポで振ればいいのだ。8番は延々と巨匠テンポで歌っている。遅いがこれぞクレンペラー節。
9番にも十分な時間を掛けている。楽想と遅さがぴったり合っている。深淵だ。
9番の闇や光を縦横無尽に歌い尽くす。
第三楽章の天への階梯を昇りゆく様子もじっくりと演奏されている。
クレンペラーは曲の全体構造と細部の関係を絶えず意識させる。構築の鬼クレンペラーである。
8番はクレンペラー名演集10CDに入っていたケルン放送響とのライヴでは70分台でまとめ上げていた。それはそれで見事にスリリングである。でも惜しみなく時間を注いだEMI盤もいい。
全体として巨匠にしては引き締まった演奏で巨大なブルックナーと曲を大きく見せるクレンペラーの出会いはいい意味で予想を裏切っている。
辛うじて8番9番の悠然さがクレンペラーのブルックナーの到達点を今に伝えている。それにしてもつい最近までは高額だったクレンペラーのブルックナーが全部で\1644で手に入るとは恐ろしい時代になったものだ。
私は廉価でクレンペラーのブルックナー選集が出ればいいのだがと幾度となく書いたがついにその期待が実現する時代になった。ばら売りでこつこつ集めた人には気の毒だが私は待っていた甲斐があった。
クレンペラーのブルックナーを俯瞰して聞いてみて実に掛け替えのない音響体験が味わえて満足である。
初回生産限定盤なので興味のある人は廃盤になる前に手に入れることをお勧めする。
歳月を越えて宇宙に鳴り響く御大の棒冴える深淵