最近ヒストリカル音源ばかり聞いている。
幸せの方程式はヒストリカル音源+バーリアル(酒なし)である。
アーベントロートもいいし、ワインガルトナーもいいし、
シューリヒトもいいし、ブダペストの旧盤もいい。
逆に言うと少し前まで聞いていた、ハイティンクやクーベリックや
ジュリーニやヴァントの現代風の録音が物足りないのだ。
残響はなくていいし、解釈が中庸でなくてもいい。
最近、存在考と20世紀論のメモ書きが終わり、ほっとしている。
ヨゼフ・クリップスのベートーヴェン全集880円(ベスコル盤)と
フェインベルク(ヴェネツィア盤)が明日届く予定。
今日の黄金律はフルトヴェングラーのアンドロメダ社のベートーヴェン
ライヴ全集を聞き、友人に頂いたふあふあシフォン抹茶味を食べる。
フルトヴェングラーの田園がちょうど終わって拍手が鳴ったとき、
シフォンケーキを食べ終えて大団円を迎えた。
幸せの黄金律である。
これからまた地道なメモ書きを再開すべきか少し休むか考えている。
時間が空くと松本零士が描いたヤマトの漫画版を子どもの頃
読んだけど名作だからまた読みたいな、
とか幼児退行的な逃避願望が生まれる。
そこまで逃避に投資していられない。
ベスコル盤とヴェネツィア盤で復活するのだ。
「復活」はresurrectionと読むのかと思ったら
英語ではリザレクションと発音するらしい。ともかく
復活してまた蘇えりたい。
耽読し生活圏に帰るとき安らぎの地をケーキに求める
連休中にいろいろとメモ書きが終わる。
昨日、近所のインドカレー店が閉店で他のスープカレー店に行った。
昨日、あつまいちごのショートケーキホール食べる。
あつまいちごは小粒だがひとパック40個ぐらい入っていて旨い。
今日はディーリアスのアパラチアを繰り返し聞く。
主題の旋律が胸に訴える。
アパラチア、泣ける。
EМIのディーリアス150周年記念エディション素晴らしい。
オンディーヌのシベリウス交響詩作品集聞いた。
明るい気分でよい。
ハイティンクのアダージョ・マーラー聞いた。
マーラーを一枚勧めるならこれだ。耽美的な所の集大成。
コルトーのショパン聞いた。
ギーゼキングの平均律クラヴィーア聞いた。
淡泊で優しいところが素晴らしい。
ギーゼキング・ポートレートどれも聞き甲斐がある。
バーリアル飲んで憩っている。
エルガーとかディーリアス、たまに聞くといい感じ。
クレツキ&チェコフィルのベートーヴェンも木目調の稀有な演奏。
英雄の最初の2音が短気だが全体的には渋いベートーヴェン。
ドヴォルザークの後期交響曲のよさも
ビエロフラーヴェクでわかる。
6日間ぐらいでヴェネツィア盤のフェインベルク来る予定。
しばらく休んでからフォークロアと倫社のメモ書きするつもり。
名盤を繰り返し聞き小休止 力が出れば行けるまで行く
今日は創造性を思い出すように夢が語りかけてきた。
子どもの頃描いた独創的な絵がたくさん出てきた夢だった。
ヴェネツィア盤のフェインベルク、買って後悔はしないだろう。
アルト盤のリヒテルはRCA盤と同録音なので辞めた。
クレツキ&チェコフィルのベートーヴェン聞く。木目調のいい感じ。
強い子のミロ飲む。
近所の川辺を散歩する。花が綺麗。
午後近代の哲学者の存在論メモ書きする。やっと終わった。
5時間掛かる。ヤマザキのパイシューとかりんとう食べる。
かりんとうは地元のソウルフードだと言う。
タワレコからアーベントロートのプレスミスの代替盤送付されてくる。
ブックオフからラカン3冊来る。
あと、アレントのまとめが残っている。
晩ご飯はホッケのみりん干し。
友人がカザルス聞いて一休みとは宮沢賢治的暮らしだと言っていた。
最近はマーラー全集を数種引っ張り出して聞き比べしていると言う。
中でも意外にシノーポリの七番が満足できる美感があると言う。
私も今シノーポリのマーラー七番を聞いている。
確かに曲の耽美性の物足りなさを感じさせない演奏だ。
私のエッセイは抒情的だと言って貰った。
忙しい中、付き合わせて恐縮である。
生まれ月だが今年は雨が降っていない。
明日はインド料理食べてケーキも食べるつもり。数日中にメモ書き着地したい。
珍しい植生の花に救われる一日である。
信号がまた青になり歩き出し違う景色が見える幸せ
ヨゼフ・カイルベルトのベートーヴェン1-8番を聞いている。主にバンベルク響。
第九がないのは惜しい。第九はN響盤しか売ってない。
veniasの廉価盤ボックスでかつて買った物である。
バンベルク響はバイロイト祝祭管弦楽団の主要メンバーだったという。
フルトヴェングラーのバイロイトの第九を弾いているのはこの人たちなのだ。
往年の古き良き演奏をいい音で聞きたい。
戦時中から活躍していた往年の指揮者の演奏スタイルをいい音で聞きたい。
録音はモノラルで音は古いがマタチッチのベートーヴェンなど趣きがある。
名盤と呼ぶにはマイナーである。
ジョルジュ・ジョルジェスクのベートーヴェンは旧スタイルで何とステレオ。
これも名盤と呼ぶには余りにマイナーである。
そこで今日はカイルベルトに登場してもらった。
カイルベルトは早逝したが録音運に恵まれている。
指環の世界初ステレオとかベートーヴェン、ブラームスの好録音とか
早い時期に録音させてもらっている。
ワルターは好きだが他の名指揮者の旧スタイルの名盤をいい音で聞きたい。
もうすぐカイルベルトのモノラルの指環がメンブランから出る。1900円。
私は基本ヒストリカルも好きで、仕事の合間にサンスイのステレオ・システムで
パブロ・カザルスのバッハの無伴奏チェロを聞いて心を落ち着かせている。
カイルベルトは力みすぎだがバンベルク響のドイツ的な響きを味わえる。
力まないヨッフム辺りが好みだが、たまにはカイルベルトもいい。
週末は程よく休み、無事メモ書きを着地させたい。
往年の古き良き日の演奏をいい録音で聞けるひととき
今日は夏至だから夜は明かりを消して
キャンドルナイトをやろう!と町の蝋燭屋さんが呼びかけていた。
私のうちもキャンドルナイトやっている。
と言っても蝋燭は危ないのでランタンをつけて
薄明りのなかでアンセルメのベートーヴェンを聞いて、文章を書いている。
このところ何を聞こうかと思ったときに
現代の録音にするか歴史的録音にするか決めかねていた。
そこでエルネスト・アンセルメの登場である。
アンセルメはフルトヴェングラーより1歳年上である。
けれども大分長生きしたのでステレオ録音を多く残した。
フルトヴェングラー世代ということは古い様式の
ドイツ物の大時代的な演奏をよく知っているということである。
フランス物、ロシア物ではモダンな演奏で知られている。
だがドイツ物ではフルトヴェングラー世代の癖が演奏に出るのである。
運命とか大分大時代的な演奏である。
古き良き時代の演奏様式をステレオで聞く。
ワルターやクレンペラーでしか叶わない夢を、
フルトヴェングラー世代のアンセルメのステレオ録音が叶えてくれる。
(と言ってもだいぶモダン化してはいるが)。
せっかくキャンドルナイトで明かりを暗くしているので、
ミヒャエル・エンドレスのシューベルトや
イーヴ・ナットのベートーヴェンのピアノソナタをひっそりと聞こうか。
週末は残りのメモ書きに手をつけたい。首尾よく行きますように。
ランタンの薄明かりでも部屋中にソナタが響く夏至の窓辺に