今日は楠恭の妙好人を語るを読む。
しゃばのうきよでごくらくもろて
これがたのしみなむあみだぶつ。
など妙好人浅原才市の書きつけたことばには胸を打たれる。
楠恭は柳宗悦の門人だという。
無名の職工が絵皿に何枚も何枚も手早く無心で絵付けしてゆくうちに
作為や無駄がなくなり民芸が清くなる。
これを民芸が成仏すると柳宗悦は呼んだ。
その門人の書を知らずに手に取っていた。
本を読みながらレスリー・ハワードの弾くリスト編冬の旅を聞く。
昨日は平田篤胤の仙境異聞を注文して途中でやめた。
日本の名著平田篤胤というのを持っていて、そのなかに仙境異聞の
抄訳が付録でついていたのである。
抄訳というところが寂しいが、暇もないのでこれでよしとしよう。
今日は友人から電話で夜中の10時に豪徳寺で待ち合わせる(苦笑)。
いつものようにパティヤラパレスに行って談笑した。
チーズとほうれん草のカレーとシシカバブを食べる。
友人は歌人笹井宏之の歌集「えーえんとくちから」を古本店で買って読んで驚愕したという。
帰って聞いたギュンター・ヴァント・ライヴも佳境に入った。
今はベルリンフィルとのブルックナーの実況録音を聞いている。
遠い宇宙の残響が聞こえてくるような音だ。
北ドイツ放送響、ベルリンフィル、どの演奏も甲乙つけがたい。
民芸が成仏すると耳にして宇宙の果ての残響を聞く
インターネットで川村カオリのチャーチとウィードを取り寄せた。
1円だって。送料を浮かして儲けてるんだな。
やはりzooと神様が降りて来る夜と脳内テンションダダダァーンが好き。
ポップスはクラシックとは勝手が違って迷子になりそう。
ユーチューブの音源のほうが迫力あるんですけど…ライヴだから?
同時にトット・テイラーのジャンブル・ソウルも取り寄せる。
これは学生時代、誕生日にLPでプレゼントされた音源。日本のwave発売。
トット・テイラーは洒落ていてふざけたポップ・センスです。
なかなかの名曲揃い。
実は同時に楠恭の「妙好人を語る」と不二龍彦の「日本神人伝」も取り寄せた。
浄土真宗には念仏と一体化した妙好人という人たちがいて、その発言や逸話が読みたかった。
他の本は高いのでした。そこで楠恭の「妙好人を語る」180円中古を買った。
それから出口王仁三郎の伝記を何冊か読んだこともあって、古本屋で見掛けた日本神人伝。
この著者不二龍彦は面白い人で、決定版夢占い大事典を書いていたりする、民間信仰研究家。
天狗に弟子入りした少年寅吉を国学者の平田篤胤が取材した仙境異聞から始まっている。
本格的。ムーの別冊と侮るなかれ。意外と真面目に執筆されているようだ。
話はいつものに戻るけど、ギュンター・ヴァント・ライヴ(ボックス)気に入っている。
小型のボックスにオリジナルジャケットの紙ジャケCDがぎっしり入っている。
録音順に作曲家ごとに収録されているのが混乱がなくて良い。
同じ曲も数回の録音をそのまま収録してあるのも良い。
ヴァントのブルックナーの聞き比べができるのが嬉しい。
こういうのを買うとゲルギエフのマーラー全集SACDハイブリッド10枚組さえ高く感じる。
グレン・グールド・バッハ・エディション値下げしないかな。
脳内の印画紙に濃く焼き付いた昔の歌と本の一行
ギュンター・ヴァント・ライヴ、予想以上に良い。
箱が小さくオリジナルジャケットなのもいい。
北ドイツ放送響のシューベルトのグレイトを聞いて、鈴木淳史のように「おっかさん、これ宇宙ぜよ」と思う。
今日は友人と近くの町のタイ料理店に行く。
早く着いたので古本屋で手に取った司馬遼太郎の「街道をゆく人名地名録」
という分厚い本を800円で買う。
本当は不二龍彦の「日本神人伝」が欲しかったのだが売り切れだった。
司馬遼太郎の本は街道をゆくからの抜粋で凄い読み甲斐がある。
手頃に日本史に親しめる。
友人とタイ料理店でパネーン豚のカレー煮、ナムトック牛肉のサラダ、黒糖ピリ辛太麺と飲み物を頼む。
友人はきゅうりの味噌漬けと二人静を名古屋のお土産にくれた。
司馬遼太郎の本は羨ましい、自分も買いたいぐらいだと言っていた。
新撰組の話になって、大河ドラマ新撰組!は見てた?と訊くと
おいおい本気かよ、おれと何度もその話をしてたじゃないか、
すっかり記憶が抜けてるのかと驚いていた。
話しているうちに堺雅人とか佐藤浩市とか三谷幸喜
とか言われてその当時のことを思い出した。
両親の知り合いで毎日あなたは私の理想の人だ、
結婚して下さいと妻に求婚してた人がいると話す。
その妻にしてみれば、悲しい話だ、
何十年積み上げてきた思い出が振り出しに戻るのだからと話す。
私は相変わらず川村カオリの「脳内テンションダダダァーン」が凄いなどと話す。
帰って、不二龍彦の「日本神人伝」を注文する。
グレイトに宇宙を聞いて外出し古書と妙味に恍惚となる
昨日は9時15分豪徳寺で待ち合わせる。
駅併設のサンマルクカフェでメモを取る。「仕事上手く行くか、ギュンター・ヴァント・ライヴ欲しい、
シノーポリのブルックナー選集欲しい、」などと走り書きする。
それにしてもインターネットエクスプローラ9にしてからすぐ文字がローマ字に文字化けする。やめてほしい。
昨日は友人と会って豪徳寺パティヤラパレスに行く。
ほうれん草のカレーとチキンカレーとナンとシシカバブ注文。
豪徳寺パティヤラパレスのシシカバブは最高に旨い。
友人と表現主義と原色の裸婦の話、川村カオリの若い頃は尋常じゃなくきれいという話、川村カオリのブログを読んだ話、92年のスタジオライブのZOOは半端じゃなく輝いているという話、仕事の話をする。
友人が、表現主義を書くのはいいが裸婦像の話は少ししか出て来ないじゃないか、コピーで人を集める気か、と言っていた。
カレーとナンとシシカバブと飲み物で二人で計四千四百円。
ここのシシカバブは群を抜いて旨い。
友人は千駄木と名古屋と大阪でライヴをしてきた、その間個人的に色々あったと言って、個人的な話を滔々と喋っていた。パティヤラパレスの店主とは顔馴染みになった。なかなかないカレー店である。
帰って平井正の「表現主義・ダダを読む」のダダの始まりの所まで熟読する。
ダダは表現主義の乗りこえを訴えていた。既存の価値に否定をつき付けるダダは過激だが勝手だ。
その感覚の斬新さ、表現の突飛さで他を凌駕したダダは芸術の異端児である。
その路線で20世紀前衛の先陣を切った馬力には感嘆する。
本を閉じて、前衛芸術の時代に思いを馳せる。こういう趣味は私の一部となって性格を形作っている。
ダダの本を読んだ後、ギュンター・ヴァントのブルックナーを聞き眠る。
前衛の旗振る町を後にして昔の思い書きつけてみる
ギュンター・ヴァント・ライヴというボックスセットが出て魅かれるのだが、私はギュンター・ヴァントのライヴ盤をこつこつ集めて結構持っている。
北ドイツ放送響のブルックナーの代表曲のライヴ盤も持っている。
そんななか久しぶりにブルックナーの交響曲第九番を北ドイツ放送響盤で聞いてみた。
緻密だが雄大な巨匠感覚のブルックナーである。
ブルックナーの交響曲では九番四番五番七番が好き。八番は一枚なら好き。
最近許光俊と鈴木淳史のクラシック名盤バトルを読んだ。やはりヴァントとチェりビダッケは別格だという。ブルックナーの交響曲では鈴木淳史がシノーポリの選集を挙げていたのが意外だった。
シノーポリのブルックナー選集が少し前再販されたときに、シノーポリのブルックナーは余り良くないと評判だった。
だが鈴木淳史はマーラーの精神病理をじわじわと解剖して聞かせたシノーポリのブルックナーが、意外といいと言う。これが嫌いならブルックナーが嫌いなのではと思ってしまうと言う。
シノーポリのブルックナーは聞いてないので何とも言えないが、ブルックナーなら私はギュンター・ヴァント。他にオイゲン・ヨッフム、ベルナルト・ハイティンクなどが好きである。
デフォルメの激しいフルトヴェングラー盤も聞けるし、ハンス・クナッパーツブッシュのライブ盤もいい。シューリヒトのライヴ盤にも一時期凝った。シューリヒトの昔のライヴ盤は何じゃ?こりゃーという
怪物的な演奏が聞ける。バランスのとれた深みのある録音にリッカルド・シャイーの全集がある。録音はこれがぴか一だろう。古い録音ではフォルクマール・アンドレーエとウィーン響の全集が厳格な音を聞かせる。これがモノラルながら結構美しいのである。
マーラーが対位法の絶壁を苦労して登っている一方、ブルックナーは絶壁の上で花に水をやっている、ぐらいに対位法の習得度がブルックナーは高いと誰かが言っていた。
私はブルックナーの深淵を覗いてしまった感覚、聖なるものに触れた畏怖の感覚が好きで、ブルックナーをたびたび聞いている。大げさと言われようと冗長と言われようと、構わない。大のブルックナーファンである。
深淵を覗いたような感覚が臓腑に沁みる天の恩寵