超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

舞踊の実験作と街の身体

2023-02-28 05:21:04 | 無題
しばらく観ていなかった、ダンス映像が2、3ある。
サーシャ・ヴァルツの前衛集団ダンス三部作。
「ケーパー」「S」「ノーボディ」のセットが一つ。
それから、ヴィム・ヴェンダーズ監督の映画
「ピナ」である。
サーシャ・ヴァルツは女性ダンス・クリエーター。
彼女の舞踊集団を持っている。
「ケーパー」は体がどこまで機能的に動くか、
実験しているような作品で、白塗りで舞踏を思わせる
男女が、体の動きの可能性を限界まで追求する。
組体操的な展開も多く、黒板にチョークを使って
珍しい格好で線を書いたりする。
「S」は性を指しているようだ。男女の近すぎる
性的な掛け合いが、これも体の動きの実験のように
展開される。踊り手たちが、職業とは思えないぐらい
近すぎる距離感で密接して演舞する。
舞台の背景にジャングルのキリンか何かの映像が映されて、
それに合わせて舞り手がゆっくり歩くなどの美もある。
「ノーボディ」は、「もはや体ではない何か」、というテーマで、
演舞者にゴム風船を食べさせたり、空気の入った柔らかい箱に
集団で入ったり、その上で踊ったり、奔放なアイディアの実験。

それに比べて、ヴィム・ヴェンダーズ監督の「ピナ」は
ピナ・バウシュの教え子たちが、ピナの振り付けで
公園や、川岸や、電車内で踊って見せる美しい意欲作。
サーシャ・ヴァルツの三部作とは、対照的な舞踊である。 
また、見直したい映像たちだ。

白塗りの人体たちが演舞する実験作と街の身体


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ルーティン仕事と私の内面

2023-02-27 06:18:28 | 無題
昨日は、嬉しい一日だった。
この空気を今後も持ち続けたい。
今日はルーティンの会議がある。
昨日は、吹雪がひどかったが、近所のドラッグストアで
ガーゼ靴下を買った。夏物だが、履き易い。
専門店街でお茶して、クッキー食べて来る。
小冊子の内容は、ドイツロマン主義、ゲーテ批評、現代メディア考
散歩者と街並み、と多岐に及ぶが、
反応がいいと嬉しいのだが。
個人的には、シュルレアリスム文学の
紹介辺りがいちばん出来がいいと思う。
3月上旬辺りから、ポツポツと反応が出ると思う。
その後のことは、引っ越し以外、未定だが、
ぼちぼち、仕事に手を着けようと思う。
現代ダンス映像とか一時見ていた資料をまた見たい。

風景が見慣れぬものに見えてくる超現実の只中に立つ


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若き友人夫婦とお茶会

2023-02-25 06:57:59 | 無題
今日は、札幌は、結構降っている。
昨日は、本の片づけをして、フルトヴェングラーの
2010年リマスターのベートーヴェン交響曲全集を
聞いて過ごした。
途中、雪の晴れ間に専門店街でお茶して、
裁縫&雑貨店で、喫茶用のトレイを20%引きで
1320円で買って、ホクホクして帰る。
昨日の夜、だいぶ年下の友人からスマホに
電話が来て、今日、近所のスープカレー店で
旦那さんを含めて、歓談することになった。
午前中、用事があるので13時半から、
会食である。フルッサー「写真の哲学のために」を
教えてくれた人で、IT関係の技術職に就いている。
向こうに余裕があったら、自宅に招いて、
本棚やCDを見ながらお茶して頂きたい。
いずれにせよ、楽しみな談笑タイムを味わえそうだ。

ダゲレオの写真機からの数世紀IT時代の記念撮影
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「原始神話学」早わかり

2023-02-24 07:00:22 | 無題
文化の古い形が残っている、オーストラリアとニューギニア先住民の神話の特徴を、この「原始神話学」で、レヴィ=ブリュルはとらえようとする。ギリシャ神話と違って、ここでは目立つ神や女神は活躍せず、神話は秩序だっていない。ここには神話同士の矛盾に無関心でさえある。
「融即律」と矛盾についての無関心が、原始的な心性の特徴だとレヴィ=ブリュルは言う。融即律とは、「別個のものを区別せず同一化して結合してしまう、心の原理」のことである。たとえば、トーテミズムでカンガルーをトーテムとする人物が、「私はカンガルーです」と言うようなとき、人間とカンガルーという別の区別にあるものが、直に同一のものととらえられている。これを融即律と言い、原始的な思考の特徴だとする。この考えは納得する点も多いが、レヴィ=ストロースのような、現代に近い人類学者は、別個のものを同一化することは現代人にもあるし、特に原始的思考特有のものと言うまでもない、と批判している。原始社会の神話が論理を欠いている、というのもレヴィ=ストロースは批判している。神話は全体として見ると、ひじょうに高度な論理を持っている、ただ、扱っているものが「あり合わせ」の、具体性の論理なのだ、と言っている。
それにもかかわらず、レヴィ=ブリュルの神話学が面白いのは、出てくる神話の具体例が、ひじょうに興味深いというのがある。ニューギニアでは、祖先の神話を「デマ」という呼び名で表している。この祖先の神話から、呪文、祭り、伝承が生まれたとされる。また、オーストラリア人は、遠い先祖のことを「ブガリ」と言うが、この言葉は、夢も差す。先祖の時代は、夢や神話やしるしを通して、何かを教えてくれるという。ニューギニアのセンタニ湖畔で先祖の時に当たる事柄をウアロボと呼び、通俗的な事柄を、プジャカラと呼ぶ。オーストラリアの夢の時、ブガリとニューギニアのセンタニのウアロボという聖なる時空は似ている。現実の背後に見えない先祖の時空があって、今を生きる人たちに何かを教えてくれるとする。
また、カンガルーや蛇などのトーテムは、そのトーテムを持つ人物の神話的祖先である英雄が旅して、何か偉業を行った場所と結びついていて、このような場所をトーテム・センターと呼ぶ。トーテム信仰は具体的な土地と結びついた、地縁的なものだとわかる。オーストラリアやパプア人の神話では、偉大な祖先または英雄を同時に人間であり、動物でもあると考えている。すべての土地や動植物は物語を持ち、神話的由来を持っている。神話的人物である文化英雄、創造者は、半分ひと、半分動物で、呪力を備えている。ひとは、その神話的な時や先祖の力と、夢や祭りや言い伝えで交流することができる。また、夢の時ブガリやアルチェラの祖先が宿り、お守りチュリンガのなかに留まっている。神話的祖先であるココナッツやカンガルーは、現在でも場合によっては人間化する能力があると信じられている。神話を口で唱えるのは、祖先の力を引き戻す行動である。また、祖先を呼び出すために、夢の時の再現劇を上演する。彼らが神話を再現するのは、「祖先がそれを命じるから」である。
真似ることによって人は神話的英雄と同一化できるとされる。完全に模倣することで祖先と「私」は同一化する。模倣によって、そのモデルと同一化し、よき前例と同様に成功するという信仰は、オーストラリアやニューギニアだけでなく、北米の先住民にも見られる。一般に何か異様なものが現れると、超自然の祖先の世界が現実の流れに介入し、干渉すると考えられる。呪術師が治療をするときも、祖先のまじないが手を貸して、治療を成功させるとされる。このように、祖先の模倣は、神話的時空との同一化を招き、よき先例に倣うことで物事が成就する、と先住民は考える。
このように、レヴィ=ブリュルの「原始神話学」は、ひじょうに具体例が豊富で、納得できる内容となっていて、今でも有益だと言える。

神話的祖先の次元「夢の時」ブガリが人の今に手を貸す
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フルトヴェングラー音源論争!

2023-02-23 05:53:24 | 無題
フルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲全集が、タワレコの予約ランキングで上位に入っていた。8600円以上する。1950年の録音の運命のライヴ録音とか、珍しい音源も入っていて、2021年から2023年の最新リマスターで、SACDハイブリッド6枚組。
まぁ、珍しい音源もあり、SACDハイブリッドであり、最新リマスターということで、高いのもわかるし、欲しい人がいるのもわかる。
 ただ、そういうこだわりがないなら、ワーナーになって出した、2010年リマスター、2016年発売の一般的な全集なら1500円弱で買える。
 私は、ワーナーの2010年リマスター録音全集1500円を2016年発売当時買って持っているので、改めて引っ張り出して、聞き直した。
唯一これしかない2番のヒドい録音は、どうやっても修復できないみたいだから、申し訳程度に入っている。
 あと8番も問題のある録音。けれども、その他は、割と鮮明で、雑音もほぼなく、いい音で聞ける。リマスターが新しく出るたびに買い替える人もいるが、2010年リマスターの時点で、リマスターの技術は十分完成している。
また私は、SACDというのに興味がない。CD店は有名盤のSACD(多くはハイブリッド)で儲けているが、私は半額以下の、通常CDで構わない。
SACDに買い替えるぐらいなら、オタケンの未使用LP音源のCDとか、エレクトローラ社原盤の疑似ステレオ録音のLP音源のCD化のほうが、よほど面白い。
古い音源をSACD化して再収益する今の商法には全く乗れない。元々ベートーヴェンの普及版はリフェランス盤とART盤のどちらがいいかという問題もあった。
私は2010年リマスターの1500円の全集で、十分楽しめる。(これは2011年発売のグレイトEМIレコーディングス用にリマスターされた音源である。)

あれこれと有象無象の音源が手口を変えて手招きをする

コメント (2)
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