超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

フーコーを疾走する

2021-03-13 05:13:14 | 無題
昨日は、無事雪靴が届く一方、自由作文が今一つ不評だった。
それでも、「そうだったのか現代思想」のフーコー読む。

ルネッサンスまでは、類似性で物事がつながっている世界観。
続く古典主義は物事を人が分類して眺めている世界観。
ベラスケスの絵「侍女たち」には鏡に映った王様という、
不在の中心が描かれている。王や神は記号体系から締め出され、
絵を外から見ている。

こういう、その時代特有の物の見方、頭のなかの地図の描き方
をエピステーメ=知の様式と呼んでいる。
目に見えないその時代の物の見方が、人々の背後で常に
働いている。(「言葉と物」)

それからフーコーに「狂気の歴史」、「監獄の誕生」という本がある。
狂気の人は古典主義時代から、隔離され矯正される者
として扱われる。

犯罪者も牢獄に閉じ込められて、中心の塔で監視されて、
自分の中に見張り塔を作る。そうやって異物を締め出して、
理性的な「人間」というのが成り立っている。

晩年「性の歴史」にフーコーは取り組むが、
古代には近代とは違う、自発的な自制術があったと結ぶ。
この話は過去に読んでいたのでスムーズにわかった。

内側に自分を見張る塔を建て監視を迫る見えぬ権力
コメント (2)
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