超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

管弦楽と心の湧き水

2020-03-22 23:25:53 | 無題
今日は近所の雪解け水が流れる月寒川を見て、カフェラテ飲んで帰宅した。
帰って、デンオンのドヴォルザーク・コレクションを聞いて、
鈴木禅師の「禅八講」の本文を読む。
固有名詞は知らない人物ばかりだが、訳文が判り易い。
「禅は不可得という仕方で、自己に目覚めさせる」という
題が、「禅八講」の連続講義の頭についている。
不可得というのは聞き慣れない言葉だが、要は
論理法則を越えたところで、という意味である。
禅というのは、論理法則を越えたところで、
本来の自己に目覚めさせることだ、というのである。
論理法則を越えたところで、というのが西洋人や現代人には
分かりにくいかも知れないが、日本に住む人には
納得の行く話だと思われる。
思慮分別を離れたところに湧き水のような心の本体が働いている。
それは仏性と別物ではないが、言い当てようとすると逃れてしまう。
鈴木禅師の最終講義がこれだと言うことで、よほどの要諦だと察せられる。


三月に町を流れるせせらぎは心の綾と無縁ではない
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禅の本を読む

2020-03-22 05:54:57 | 無題
昨日は快晴のなか、結構寒かったが、専門店街に行き
スープを飲んで、春服を見て、雪解け水の流れる月寒川を
橋から見て、伸びをして歩いて帰る。
そのあと、デンオンのドヴォルザーク・コレクションの
管弦楽・協奏曲編を2枚ほど聞く。チェコのボヘミアの
ひなびた趣きが存分に味わえる、佳曲ぞろいの名盤集。
ドヴォルザークを聞きながら、鈴木禅師の「禅学入門」を読んだ。
用語も内容も難解で、ことばも古く読みにくい。
あとで分かったが、これは和訳者の癖なのだ。
書いてあることは、禅とは、あれではない、これではないなど
否定神学のような書き方だ。
それでも肯定的な例をいくつか挙げる。
「禅とは心の本体をつかむことである。
 禅とは、心の主となることである。
 禅には組織的な修行法がある。
 禅は東洋の東の精髄である。
 断定すべきものを取り去ったとき、仏陀が自ずと顕れる。」
夜は、送られてきた作文を穴の空くほど、読む。
今朝、「禅学入門」を閉じて、「禅八講」を読み始めたら、
驚くほど読みやすい。これは、和訳者に当たり外れがあるのだ。
持っているのには目を通すが、なるべく当たりのを読みたい。
今日も流水を眺めに行こう。

魚や木や鳥は迷妄などしない ただそのように無心に帰る
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