※私が学生時代に購入した書籍ルイ・カストロ著の「ボサノヴァの歴史」
(500ページもある分厚い本)を参考にして書きました。
昨夜は、蒸し暑くて寝むれないので夜更かしして You Tube を見ていました。
私は夏になると聴きたくなるのが、ボサ・ノバ(ネイティブな発音は、ボサ・ノヴァらしい)
なんです。
ボサ・ノヴァという音楽ジャンルは、どうして出来たのか ?
リオ・デ・ジャネイロの北にあるブラジル北東部のバイーア州は、植民地時代に多くの
アフリカ人が奴隷として連行された事から古いアフリカ系の文化が残り、アフリカ系の
住人達がリオ・デ・ジャネイロ郊外に移住し、サンバと名付けられた音楽が生まれたと
されています。
サンバは、奴隷や労働者達の音楽で、厳しい生活や差別や貧困の苦労、過酷な労働などを
テーマにして歌われてきました。
そのリズムや歌のスタイルは、100を超えるほど、ものすごくたくさんあり総称してサンバ
と単に云われています。
日本ではリオのカーニバルで踊っている陽気なリズムだけがサンバだと勘違いしている人が
多いです。
このサンバに中産階級の白人、特に学生達を中心に比較的穏やかなリズムで恋愛や人生などを
歌うサンバ・カンサゥン(Samba Canção)が生まれました。
このサンバ・カンサゥンのリズムをさらにシンプルにし、1950年代後半~1960年代前半に
アメリカのジャズなどの音楽と融合させた「サンバ・ボサノヴァ」と云う新しい音楽ジャンル
が生まれたのです。
音楽のジャンルとしての「ボサ・ノヴァ」という言葉が生まれたのは、ジョアン・ジルベルト
やナラ・レオンのアパートに集まるアマチュア・ミュージシャン達が参加した大学での
コンサートでの事です。
そのコンサートの看板に書かれた言葉「ボサ・ノヴァ」が若者達の間で広まったとされています。
ジョアン・ジルベルト(João Gilberto)は、バイーア州ジュアゼイロの出身。
彼は、シンガー・ソングライター、ギタリストで、作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライスや
作曲家兼シンガーのアントニオ・カルロス・ジョビンなどと共に、ボサ・ノヴァの創始者です。
(ナラ・レオンやルイス・ボンファもボサ・ノヴァ創造にかかわっていると云われています)
そして、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲し、ヴィニシウス・ヂ・モライスが作詞した
シェカ・ジ・サウダージ(Chega De Saudade) 「想いあふれて」は、 最初のボサ・ノヴァ曲
と言われています。
1959年にジョアン・ジルベルトがこの曲をギターで弾き歌って録音したレコードが、
リオ・デ・ジャネイロを中心に大ブレイクし、その後世界中でヒットして広まりました。
ジョアン・ジルベルトが28歳の時です。
その後、1963年にスタン・ゲッツを迎えてリリースしたレコードアルバム、
ゲッツ/ジルベルト (Getz/Gilberto)は、「イパネマの娘」や「コルコバード」を当時
ジョアン・ジルベルトの妻アストラッド・ジルベルトが英語でも歌い世界中で大ヒット
してボサ・ノヴァというジャンルを世界が認める事となりました。
しかし、今や本場のブラジル、そしてアメリカでは、ロックに押されボサ・ノヴァは
衰退しています。
フランスでは、ミュージシャンで俳優であったピエール・バルーがボサ・ノヴァを
広めたことで、今も根強い人気がありますし、日本でも人気のある音楽なのに残念です。
次回は、私が必死になって探して収集したジョアン・ジルベルトのレコードと彼について
書く予定です。
では、ボサ・ノヴァの Good な動画をご紹介します。
イギリスのジャズヴォーカリスト、ステイシー・ケントのスタイリッシュで心地良い
ボサ・ノヴァを聴いてください。曲は、アントニオ・カルロス・ジョビンか作曲し、
ニュートン・メンドンサが作詞したボサ・ノヴァを代表する曲で「ワン・ノート・サンバ」です。
鮮明なライブ映像です。
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次の You Tube 動画は、数年前に私がギター弾き語りして録音したものです。
曲は、アントニオ・カルロス・ジョビンの"Meditation"です。
ギターも歌もかなり下手ッピです(^_^;)