美術館巡りと古都散策、Jazz & Bossa など・・

スタンダードやボサ・ノバなどを歌って録音したり、美しい景色などを撮影して動画を作っています。美術展にもよく行きます。

My Record Collection (ジョアン・ジルベルトの三部作)

2018-07-28 | Bossa Nova

まず、最初にジョアン・ジルベルトのお話しを。

ボサ・ノヴァと云えば私的には、やはり何と言ってもジョアン・ジルベルト。

(以下、「ジョアン」と書きます)

ジョアン (João Gilberto 1931年6月10日 - )は、バイーア州ジュアゼイロ

の出身。

彼は、シンガー・ソングライター、ギタリストで、作詞家の

ヴィニシウス・ヂ・モライスやアントニオ・カルロス・ジョビンなどと共に、

ボサ・ノヴァの創始者です。(ナラ・レオンやルイス・ボンファもボサ・ノヴァ創作

にかかわっていると云われています)

アントニオ・カルロス・ジョビン(以下、「ジョビン」と書きます)が作曲し、

ヴィニシウス・ヂ・モライスが作詞したシェカ・ジ・サウダージ

(Chega De Saudade)「想いあふれて」は、 最初のボサ・ノヴァ曲と言われています。

1959年にジョアンがこの曲をギターで弾き歌って録音したレコードが、

リオ・デ・ジャネイロを中心に大ブレイクし、その後世界中でヒットして広まりました。

ジョアンが28歳の時です。

シェカ・ジ・サウダージは、彼のレコーディングの前に、1958年に女性歌手で

エリゼッチ・カルドーゾが歌ってレコーディングしています。その時にジョアンが

ギターを演奏していますが、エリゼッチの歌い方はジョビンやジョアンがイメージ

するものとは異なっていて、そこでジョビンがレコード会社を説得してジョアンが

歌って録音し発売されたのでした。

1960年代に入るとボサ・ノヴァの人気がじわりと出始め、アメリカのポップス系、

ジャズ系のアーティストは、ボサ・ノヴァを取り上げるようになりました。

1962年には、ニューヨークのカーネギー・ホールにボサ・ノヴァを歌う・演奏

するアーティストが集まり歴史的なライブが行われ、いよいよその人気は頂点に

達しました。

その後、1963年にスタン・ゲッツを迎えてリリースしたレコード、

ゲッツ/ジルベルト (Getz/Gilberto) は、「イパネマの娘」や「コルコバード」を

当時 ジョアンの妻アストラッド・ジルベルトが英語で歌い世界中で大ヒットして

ボサ・ノバというジャンルを世界が認める事となりました。

このLPでは、「イパネマの娘」はイントロからすぐにジョアンがポルトガル語で

歌い間奏後アストラッド・ジルベルトが英語で歌っている5分超のが収録されて

いますが、プロデューサーのクリード・テイラーは、ラジオで放送可能な長さに

無断でカットしてシングル・レコードでも売り出しました。

こうして、ジョアンのヴォーカル・パートが消され、アストラッドのヴォーカルが

「イパネマの娘」の声として、世界中に広まることになったのです。

ジョアンはたいへん怒ったそうです。

※ジョアンが創作したボサ・ノヴァのギター演奏スタイル

ジョアンが何日もずっとバスルームにこもってボサ・ノバをギターで弾く練習

をして、そのリズムをあみだしたと云われています。彼が作ったボサ・ノバ独特

のリズムパターンは、バチーダと云われるギター奏法で弾かれます。

基本、親指で6弦から4弦のベース音を弾き、小指を除くその他の指で1弦から3弦

を弾きます。1弦をまったく弾かない場合が多くあります。

4/4拍子で2小節を一つのリズムパターンにしています。リズムの刻み方は数種類あります。

前の1小節と後ろの1小節をつなぐ時のつまづくようなリズムをシンコペーションと

ボサ・ノバではいいます。

現在も彼が作ったこのリズムの取り方を殆どのミュージッシャンが踏襲しています。

なお、ジョアン自身は、「ボサ・ノヴァを歌っているとは、少しも思っていない。

自分が歌っているのはサンバだ」と常々言っているそうです。

ボサ・ノヴァの創始者の1人であるジョアンは、自身ではまったくそのことに

こだわっていません。

ボサ・ノヴァ以前の古い曲から、若いミュージシャンの曲まで取り上げて歌い

続けています。

では、私のジョアン・ジルベルトのレコードコレクションのお話しを。

私が収集したジョアン・ジルベルトのレコードのなかで、どうしても収集

したかったジョアン・ジルベルトのLPレコードの三枚。

(再発盤ではなく初版製造のオリジナル盤)

現在では、ジルベルトの初期三部作と云われています。彼が28歳~30歳の

時の録音です。

これらのオリジナル盤は、現在では、かなり入手困難で希少です。

● Chega De Saudade (日本でのタイトル「想いあふれて 」)1959年作品 
  Brasil ODEON MOFB 3073 MONO



ジョアンのデビュー・アルバムにして、ボサノヴァ作品の記念碑的レコードです。

22歳の時にブラジルを旅行してレコード店で購入しました。

● Amor, O Sorriso E A Flor (日本でのタイトル「愛と微笑みと花」)1960年作品
  Brasil ODEON MOFB 3151 MONO


 
「One Note Samba」「A Hug for Bonf'」「Meditation」「Corcovado」など、

ボサノヴァの代表曲が収録されています。

大阪にあったボサ・ノヴァなどラテンアメリカのレコードを専門に扱うお店で

探してもらうようにお願いして入手しました。

● João Gilberto (日本でのタイトル「ジョアン・ジルベルト」)1961年作品

  Brasil ODEON MOFB 3202 MONO



「Saudade da Bahia(バイーアの郷愁)」や「Insensatez (お馬鹿さん)」など

素晴しい出来です。正に名盤と呼べるアルバムです。

東京のジャズレコード専門店で入手しました。

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これら三部作の全曲と、シングルのみの作品を収録したCDアルバムをジョアンの許諾を

得ずに、レコード会社が発売しました。

タイトルは、JOAO GILBERTO / "THE LEGENDARY JOAO GILBERTO" (1990)



ベスト盤として各曲を途中でフェードアウトしたりして短くして発売したことを

ジョアンが怒り提訴し、廃盤になっています。

そして、現在Warm World Of Joao Gilberto - Complete Recordings 1958 - 1961

というCDが発売されています。

このCDは、ジョアン・ジルベルトの最初期1958-1961年に録音されたコンプリートな

録音全39曲を24ビット・デジタル・リマスターで蘇らせた新編集盤です。

Chega de Saudade(1959)"、"Joao Gilberto(1959年の33回転シングル)"、

"O amor, o sorriso e a flor(1960)"、 "Joao Gilberto(1961)"の4枚の

アナログから全曲に、オリジナル・アルバム未収録の1曲をプラスしています。

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最後にジョアンの映像を。娘のベベウ・ジルベルトと一緒に歌っているライブ映像で、

曲は、Chega De Saudade。

ベベウ・ジルベルトは、ジョアンがアストラッドとの離婚後、歌手のミウシャ

(シコ・ブアルキの実姉)と結婚して生まれた娘さんで、現在も歌手活動しています。

コメント (4)
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