goo blog サービス終了のお知らせ 

美術館巡りと古都散策、Jazz & Bossa など・・

スタンダードやボサ・ノバなどを歌って録音したり、美しい景色などを撮影して動画を作っています。美術展にもよく行きます。

桜咲く中山寺~売布神社~清荒神を散策

2015-04-02 | 散策

3月31日に兵庫県宝塚市にある、中山寺と売布神社(めふじんじゃ)

そして、清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)を散策しました。

桜が見頃を迎えており、暑いくらいの晴天で絶好の桜巡りが出来ました。

12,000歩くらいでしたので、程よいハイキングとなり、日頃の運動不足

解消にも役立ったようです。たくさん、写したので、動画を作りました。

JR中山寺駅から、テクテクと歩きました。

まず、最初に訪れたのは、中山寺。ここの桜はほぼ満開でとても見事でした。

ずっとカメラのシャッターを押しっぱなし(笑)

中山寺は、聖徳太子が創建した我が国最初の観音霊場です。

お墓参りに来られているのでしょうか、平日なのに参拝者が多かったです。

梅林もあり、梅と桜、躑躅も見る事ができました。

2月~5月に咲く花を一度に見れたようです。

境内あるお食事処で蕎麦と炊き込みご飯を頂きました。よもぎ団子も。

美味しかった。

 

次に訪れたのは、とても ひなびた感じで人がまったくいなかった売布神社です。

地元の氏子さん以外は参拝しないかもしれませんが、野鳥のさえずりを聞きながら

この散策を案内して下さった人がコーヒーを持参され、携帯用のガスコンロでお湯を

沸かしてくださいました。散策の途中でのコーヒー・タイムほど有り難いものはない

です。本格的なドリップなので、とても美味しかった。

この神社は、調べたら何と推古天皇の時代(605年)の創建と伝えられています。

中世以降、貴布禰神社や貴布禰明神(貴船大明神)と称していましたが、江戸時代の

元文元年(1736年)に寺社奉行大岡忠相より地誌編纂を命じられた並河誠所の調査に

よってこの神社が式内・売布神社に比定され、以降は売布神社と称しています。

そして、最後は、かまどの神様「荒神さん」で親しまれている清荒神清澄寺に。

参道には、白蛇を飼っている土産物店などもあり休日はとても賑やかなところです。

ここの桜は、ちょっと山の中にあるからなのかまだ満開になっていなく、中山寺と

そんなに離れていないのに不思議でした。

清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の戦争のない平和国家を

祈願するため、勅願寺の一つとして創建されました。

火の神、カマド(台所)の神様としてあがめられ、また各種の現世利益を祈願される

参詣者で賑わっています。

桜をたっぷり鑑賞できた、いい散策ができた一日でした。

案内してくださいました方、一緒に散策して頂いた方に再度お礼を申し上げます。

ありがとうございました。


春の歌 梅林と、菜の花と、そして野鳥

2015-03-26 | 散策

先日、お天気の良いあたたかい日の午前中に奈良の大和郡山にある

「奈良民俗公園」を散策しました。梅林が満開でした。

梅の木にたくさんのメジロ、ヒヨドリなどの野鳥達が、とまっては、

飛び、又とまっては飛び、あちこちの梅の木にいました。

カメラを持っていったので、連写で撮影しましたが、80mmまでの

マクロ付ズームレンズのため、野鳥を大きく写せなかったのが残念でした。

真っ黄色に咲いている菜の花の畑には、ブンブンと小さな蜂達がたくさんいて、

一生懸命に蜜を吸っていました。



この公園には、梅林、菜の花の畑の他には、菖蒲園や蓮池などもあります。

又、この公園には、奈良県内で江戸時代に建てられた古民家が移築されて

展示されています。国の重要文化財に指定されていたり奈良県指定の

有形文化財になっている建物もあります。



家族連れがたくさん来園して子供達と遊んだりお弁当をひろげておられました。

この公園は入園が無料なんです。

公園内をよく歩きましたので、お腹がすき 近くにある手打ち蕎麦店で昼食を

して帰宅しました。少し日焼けしたみたいです(笑) 



たくさん撮影しましたので、動画を作りました。最後に出てくるメジロは、

翌日の早朝に我が家の庭に来たメジロです。ガラス越しに望遠レンズで

撮影しました。朝のおだやかな お日様の光がキラキラして、いい背景に

なりました。



動画のBGMは、メンデルスゾーンの『Spring Song』です。


奈良 生駒ハイキング

2015-02-14 | 散策

我が家の梅の木の花はまだ小さくかたい蕾です。

だいだいは大きくなりました。

さざんかは満開です。

自宅周辺を歩くと春が近づいている事がわかります。

      

お天気が良かったので午前中に生駒山駅から宝山寺までを往復して
歩きました。

宝山寺にはお正月にお参りしたので、立ち寄りませんでしたが、
途中にあるお寺や可愛いケーブルカーなどを撮影しました。

まず、近鉄生駒駅からすぐの鳥居前駅に行きました。

ここのケーブルカーは鳥居前駅から宝山寺駅を経て生駒山上駅までを
結んでいます。この宝山寺線は日本最初の営業用ケーブルカーなんです。

宝山寺までこれで楽に行けます。生駒山頂には、宝山寺駅から山上線に
乗車すれば「生駒山上遊園地」にも行けます。

歩く事を目的にしていましたので、このケーブルカーには乗車せず線路
沿いの道を歩き、犬の「ブル」と三毛猫の「ミケ」のケーブルカーが
出会う踏切で撮影をしました。




犬(ブルドッグ)を模した「プル」は車掌さんの帽子をかぶっています。
三毛猫の「ミケ」は目が双眼鏡のようになっています。


ケーブルカーを撮影後、鳥居前駅に戻り少し歩いたところにあるハイキングコース
の山道を歩きました。

(放し飼いのニワトリがいました)

途中にある大乗瀧寺(だいじょう たきでら)に立ち寄りました。

(狛犬の鬼瓦 ? めずらしいです)



本尊の十一面観音などの仏像が安置されていますが、開帳していないので、
見る事が出来なかったです。

このお寺は、真言律宗で、奈良時代の僧 行基が開創したと伝えられています。

江戸時代に宝山寺を開いた僧 湛海(たんかい)がこのお寺を整備しました。

明治初期には元柳生藩の陽明学者 岡村達氏が招かれ、「広教学舎」を開設し、
青少年教育の普及に努めたと伝えられています。

このお寺から、再びケーブルカーの線路沿いに歩き宝山寺の参道に着き、
インドネシア料理の「摩波楽茶屋 」でランチしました。

今回で3度目ですが、いつも美味しいので満足しています。食材や料理の
名前などを説明して食べさせてくれます。
    

       

 

   

          

宝山寺参道には、古い旅館が立ち並んでいますので、インドネシア料理のお店は、
ちょっと異色なので人気があります。

ランチを終え石段の参道を歩いて生駒駅に戻りハイキングを終了しました。

(生駒駅近くの保育園には、園児が作った作品が飾られていました)



3時間程度のハイキングでしたが、これで少しはダイエット出来たかなぁ(笑)。


奈良 若草山 花火と山焼き

2015-01-26 | 散策

先日の24日夜に奈良の若草山で行われた山焼きを見物しました。

奈良の若草山は標高342m、3つの山が重なっていることから、

三笠山とも言われています。

その若草山の山焼きの行事は、 山に火を入れ山全体を燃やして

しまうという古都奈良の新年の祭礼です。

若草山焼きの起源には色々諸説があるらしいですが、山にある鶯塚古墳の

霊魂を鎮めるため、江戸時代末期頃に誰彼となく火を付けたのが始まりと

伝えられています。

奈良の冬の風物詩になっていて、全国からたくさんの観光客が来られます。

以前は、成人の日に行われていましたが、現在は1月の第4土曜日に行われています。

午後6時すぎから若草山の頂上から花火が打ち上げられ、花火が終わると若草山に火が

つけられます。

奈良市の消防団員約300人の人が近くの春日大社から運んだ火を枯れ草に一斉に点火して、

炎は勢いよく山上を駆け上がるように燃え広がり、とても綺麗で、寒さを忘れ見入って

しまいました。

東大寺の近くの奈良県新公会堂付近が一番よく見れるとの事でしたので、そこに行って見物

しましたが、普段は、人が少なく静かな奈良公園なのに すごい人でした。

最初に花火が打ち上げられました。鹿と羊の花火が上がると かわいい~ すご~い !! 

の大歓声が上がりました。

ビデオ撮影して動画を作りました。

臨場感を出すのには、ビデオ録画の音声を使った方がいいのですが、近くにいる大勢の人の

声が大きく入っており、音声をブラームスの子守歌にしました。ちょっとミスマッチでした。

三脚を持っていかなかったので、映像に「揺れ」がありますが宜しければ、ご覧くださいね。


奈良・生駒の宝山寺にお参り

2015-01-06 | 散策

奈良の生駒市にある「生駒聖天(いこましょうてん)さん」

と呼ばれ地元に親しまれている宝山寺(ほうざんじ)にお参り

しました。

たくさん撮影しましので、動画を作りました。

BGMは、ビバルディの四季「冬」です。

(Vivaldi - Four Seasons "Winter": Largo)



宝山寺は平安時代初頭に弘法大師が開いた仏教の宗派で、中国から

取り入れた密教を下地にした真言宗のお寺ですが、入り口には石造り

の大きな鳥居があります。これは、神仏混合の寺ということを意味しています。

時代の流れとともに様々な思想や宗派を取り入れてきた神秘的な歴史を

感じさせます。

江戸時代に湛海律師(たんかいりっし)が再興し、歓喜天を祀りました。

この時が事実上の開山と伝えられています。

本堂の背後には、高くそびえる「般若窟」(はんにゃくつ)と呼ばれる

窪みをもったたいへん大きな岩山があります。

       

奈良時代に修験道の開祖の役小角(えんのおづの)や、空海(弘法大師)が

若いころに修業した場所と伝えられています。

般若窟の窪みには弥勒菩薩像が安置されています。

湛海律師は、生駒山の中腹にそびえ立つ巨大な岩山を仰ぎ見て、入滅する

までの四十年間、一度も山を降りることなく、ひたすら信仰に励まれたようです。

宝山寺には、この他にも修行地があり独特な景観が見られます。

江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めた事から、

現在でも、商売繁盛のために商店主や会社の人などがお参りしておられます。

また、宝山寺へと続く参道は風情のある坂道の石畳が連なり見晴しがたいへん

いいです。春には桜、初夏には新緑、秋には紅葉が楽しめる美しい場所です。

お正月なので参拝者が多く、たいへんな賑わいでした。

東大寺や薬師寺、唐招提寺といった奈良のお寺とは、又違った趣があります。

奈良に来られたら生駒まで足を伸ばして、神秘的な信仰の世界を感じてみる

のもいいと思います。


京都 嵯峨野を散策

2014-12-03 | 散策

先月の28日に京都の嵯峨野を散策しました。

紅葉が最高に見事でした。

京都の紅葉は、なぜこうも綺麗なのかと・・・

渡月橋を渡り、まずは「湯豆腐の嵯峨野」で美味しい

湯豆腐を賞味しました。

このお店の庭がとても綺麗でした。



        

昼食を終え、すぐそばにある宝厳院(ほうごんいん)に入り、

素晴らしい紅葉に彩られた庭を歩き、たくさん撮影しました。

ここの紅葉は圧巻でした。

素晴しい・・・溜息が出るとは、この事でした。

        



その後は、

天龍寺~清涼寺~宝篋院~落柿舎~常寂光寺~野宮神社~竹林の小径を

散策し嵐山駅に戻りました。



よく歩きました。平日を選んだのに、結構 観光客は多かったです。

これで、今年の紅葉は見納めにしょうと思っていたので、とても

満足しました。

 

※宝厳院の庭でたくさん撮影しましたので、動画を作りました。


生瀬~武田尾 廃線跡 ハイク

2014-11-23 | 散策

兵庫県にある旧国鉄の福知山線にあった生瀬駅~武田尾駅間には、

ディーゼル機関車と蒸気機関車が走っていましたが、福知山線が電化

となり、この線路は廃線になりました。

先日、この武庫川渓谷沿いの廃線跡をハイキングしました。

事前に調べたら真っ暗なトンネルが途中6か所もあるとわかり

懐中電灯を持って行きました。

JR生瀬駅から歩きました。

駅を出て右に進み国道176号線に出て左折し、しばらく歩くと「木ノ元地蔵尊」の

看板が左手に見えたところで道路を横切り、川の方に降りる道を進みました。

ものすごく大きな岩がたくさんある武庫川渓谷が見えてきました。

きれいな大きな川で素晴しく景色が綺麗な渓谷です。

更に少し歩いたところで、いよいよ廃線跡に着きました。

土に埋もれている枕木がずっと続いていました。

雄大な渓谷と山々にある松の緑と赤くなった桜の葉、そして赤や

黄色に色づいたモミジなどの景観を見ながらゆっくりと歩きました。

やはり、調べた通り照明のない真っ暗なトンネルがありました。

懐中電灯を頼りにかなりスローな歩調で歩きました。

土砂崩れしているところもありました。

      

途中にあった赤さびた鉄橋跡は、下を覗くと怖いくらいの高さがありスリル満点。

さすがに枕木の上は歩けませんので鉄板が敷かれた横の通路を渡りました。

鉄橋を後にして、しばらく歩くと展望広場がありました。

たいへん見事な紅葉が見れました。ここで休憩しましたが、さほど疲れては

いませんでした。

         

この休憩場所から、ひとつトンネルを超えたら武田尾でした。

武田尾温泉があります。

JR武田尾駅は無人の駅でその付近は、商店もなく、昼食が出来なかったので、

高槻行の普通電車に乗り梅田で昼食をして帰路につきました。

 

生瀬~武田尾の廃線跡には、トイレがありません。武田尾について、やっと簡易

トイレが一ヵ所設置してあるだけです。

又、生瀬駅、武田尾駅周辺にはコンビニもなく、昼食するところもないので、

午前中からハイクするには、弁当を用意した方がいいと思いました。 

でも、きれいな澄んだ空気をいっぱい呼吸し、とても綺麗な紅葉を楽しめ

ました。約7.5km 2時間40分のハイキングでした。

※たくさん撮影しましたので、動画を作りました。


京都 紅葉に染まる宇治を散策

2014-11-19 | 散策

昨日、サークルで京都の宇治を散策するオフ会をしました。

山と清流の美しい自然に恵まれた宇治で綺麗な紅葉を満喫しました。  

たくさん撮影しましたので、動画も作りました。

BGMには、ヘンデルの Water Music Suite No. 1: Air を使いました。

 

散策したコースは、

平等院~興聖寺~宇治上神社~黄檗山萬福寺でした。 

曇り空でしたが、綺麗な紅葉もたくさん撮影でき、そして色々会話

しながらの楽しい散策になりました。 

 

まずは、平等院鳳凰堂を訪ねました。

平安時代後期の天喜元年(1053)に、藤原頼通が建立した阿弥陀堂です。

華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、

貴重な建築です。

最も大きな特徴は池の中に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に

浮かぶ宮殿ように、その美しい姿を水面に映しています。

約10年振りに訪れましたが、平成の大修理が終り、すごく綺麗になって

いました。

 

 

 

次は、興聖寺です。

本堂は伏見城の遺構と伝えられています。参道は、脇を流れる谷川の

せせらぎが琴の音に似ていることから琴坂とよばれています。

紅葉した綺麗なモミジを見る事ができました。

琴坂を通り過ぎると、竜宮造りの山門(楼門)、続いて薬医門を

くぐると石組みの庭園があり、法堂(本堂)前庭となっています。

このお寺は、宇治十二景の一つに挙げられています。

 

宇治上神社

祭神は、応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)及び兄の

仁徳天皇とされています。

本殿は、平安時代後期に建てられた現存するわが国最古の神社建築です。

境内にはその他、鎌倉時代に建てられた春日神社などの摂社や、宇治七名水

のひとつ「桐原水」がこんこんと湧きでていました。

本殿が修理中であったため撮影はしていないです。

 

この神社を拝観したあとで昼食し、その後に抹茶団子とお茶のセットで

休憩しました。

お土産に抹茶団子と抹茶ういろう のセットを買い求めました。

 

最後は、黄檗山萬福寺を訪れました。

京阪宇治駅前から歩きましたが、かなりの距離がありました。

このお寺は、中国の僧隠元(いんげん)が1661年に開山した

禅宗のお寺です。

広大な境内は、東西に並立した伽藍の配置で中国の明末・清初時代の

特徴を持ち、異国情緒の漂うお寺です。布袋和尚像、十八羅漢像、

観音像などの仏像がたくさんあります。

以前から観たかった木魚の原形と言われている開版(魚の形をしています)を

観る事ができました。現在も時を報ずるものとして使用されています。

     

 

たいへんよく歩きました。

自宅を出る時から帰宅までの歩数を万歩計をつけて測りましたが、

なんと21,663歩も歩いていました。すごい ! 

綺麗な紅葉も見て有意義で楽しい一日になりました。 

ご一緒して頂きました皆様、ありがとうございました。


奈良 大宇陀を散策

2014-11-06 | 散策

先日の連休に、奈良の大宇陀(市町村合併により現在は宇陀市)にある

「宇陀松山伝統的建造物群保存地区」と「うだアニマルパーク」を訪ねました。 

どちらも再訪ですが、特に松山地区については、前回行かなかったところも

見てきました。

宇陀松山地区は、戦国時代に「宇陀三将」と呼ばれた一人、秋山氏の築いた

城の城下町として発展してきた町です。江戸時代から明治時代の商家が数多く残る

中心街は宇陀松山伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区

として選定され、歴史的な伝統建造物がたくさん保存されています。

この地域を散策するとタイムスリップしたような感じになります。各住居・商店には、

今も実際に居住されています。

 

文化財史跡 森野旧薬園(森野吉野葛本舗)

吉野南朝に仕えた時代から現在まで吉野葛を製造販売しておられます。

又、ここでは昔から薬草の栽培・研究を続けており古くは将軍吉宗にも

当主が仕えたとの記録があります。昭和天皇も行幸され薬園内を見ておられます。

 

      

 

      

 

奈良漬や甘酒を自家製造して販売しておられる酒屋さんで、年配の奥様が熱心

に商品の説明をされました。瓜の奈良漬をお土産に買いました。

 

国の史跡 松山城西口関門

旧松山城西口門で1600年代初めに建築されたもの。

建築当時から移築もされず現在も当時のままこの場所に保存されています。

      

 

松山地区には、造り酒屋の区画があり、地酒の製造元工場がたくさんあります。

しかも、建物が昔のままで現在もお酒を造っているところが多くありました。

私は、久保本家酒造に行き「大和どぶ」という昔の製法で今も醸造している

「にごり酒」を買い求めました。

 

           

 

                   大宇陀の地酒

 

次に、「うだアニマルパーク」に行きました。

この施設は入場料が無料です。

生き物と触れ合う事により、「いのち」のたいせつさを幼い時から学んでもらおうと

色々なイベントをしています。

パーク内には、羊、やぎ、牛、ポニー、ミニぶた、うさぎ、モルモット、鶏、などの

かわいい動物がいて、大人も楽しめる施設です。

 

     うさぎ のディジーちゃん。ライオンロップと云う種類で女の子です。

 

お土産に買った宇陀市のマスコット「ウッピー」ちゃんです。


奈良 古刹巡り

2014-10-21 | 散策

奈良の斑鳩町にある法起寺と奈良公園にある興福寺を散策しました。

法起寺は、法隆寺と同じ斑鳩町にあり、国宝に指定されている飛鳥時代に

建立された日本最古の三重塔があるお寺で、世界遺産にも指定されています。

このお寺は606年に聖徳太子が法華経を講説されたという岡本宮をお寺に改め

たものと伝えられており聖徳太子が建立した七ヶ寺の一つであります。

 ちょうど今、このお寺の周りの畑に植えられているコスモスが最盛期なので、

一眼レフと広角やズームレンズ、そして三脚を用意して撮影しました。 

夕焼け時にも、すごい数のカメラマンが来るそうですが、私は遅い時間は

苦手なので平日の午前中を選びました。100枚以上撮影しましたが、

満足できる写真はなかったです。

 

 

次は、興福寺です。

 

何と日本全国にある国宝の17%が興福寺にあるそうです。

私は、自宅から近いので、いつでも観れると先延ばしにしていた阿修羅像を

やっと観ようと決心(大袈裟)して、興福寺の国宝館に入館しました。

 

乾漆八部衆立像(かんしつはちぶしゅうりゅうぞう)が立ち並ぶ中央に阿修羅像が置かれていました。

少年のような顔立ち、像高 が153.4cmと小柄で3面あるお顔はそれぞれ表情が異なります。

奈良時代に脱活乾漆造で制作されたもので、もちろん国宝。

ずっと見とれてしまいました。 

   

興福寺の解説によると、阿修羅は、

インドでは熱さを招き大地を干上がらせる太陽神として、常にインドラ(帝釈天)と戦う

悪の戦闘神になります。仏教に取り入れられてからは、釈迦を守護する神と説かれる

ようになります。

像は三面六臂(さんめんろっぴ)、上半身裸で条帛(じょうはく)と天衣(てんね)をかけ、

胸飾りと臂釧(ひせん)や腕釧(わんせん)をつけ、裳(も)をまとい、板金剛(いたこんごう)を

はいています。

 

興福寺には、ものすごい数の仏像が安置されいます。 

 

※興福寺の歴史について、興福寺のホームページとウィキペディアより 

法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、

さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。

藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、

天智天皇が669年に山背国の山階(現京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)

が起源と伝えられています。壬申の乱のあった672年に、山階寺は藤原京に移り、

地名の高取郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称しました。

和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の

現在地に移転し「興福寺」と名付けました。この710年が実質的な興福寺の創建年と

云われています。

興福寺は、創建以来たびたび火災に見まわれたが、その都度再建を繰り返してきました。

中でも治承4年(1180年)、治承・寿永の覧(源平合戦)の最中に行われた平重衡の

南都焼討による被害は甚大で、東大寺とともに大半の伽藍が焼失しています。 

江戸時代は21000石の朱印を与えられ保護された興福寺でしたが、慶応4年(1968年)

に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こし、子院はすべて廃止、寺領は

1871年(明治4年)の上知令で没収され、僧は春日社の神職となりました。

境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまいました。

一乗院跡は現在の奈良地方裁判所、大乗院跡は奈良ホテルとなっています。

一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末でした。

五重塔は買い手がつき、買主は塔自体は燃やして金目の金具類だけを取り出そうと

したらしいですが、延焼を心配する近隣住民の反対で火を付けるのは取りやめに

なったと云われています。

行き過ぎた廃仏政策が反省されだした1881年(明治14年)、ようやく興福寺の再興が

許可されました。1897年(明治30年)、文化財保護法の前身である「古社寺保存法」が

公布されると、興福寺の諸堂塔も修理が行われ、徐々に寺観が整備されて現代に至って

います。しかし、現在でも、塀が無く公園の中に寺院がある状態が続いています。