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美術館巡りと古都散策、Jazz & Bossa など・・

スタンダードやボサ・ノバなどを歌って録音したり、美しい景色などを撮影して動画を作っています。美術展にもよく行きます。

マリー・ローランサン展覧会と京都岡崎公園周辺を自由散策

2023-05-28 | 絵画

昨日、マリー・ローランサンの展覧会が行われている京都市京セラ美術館と

平安神宮を訪ねました。

マリー・ローランサンは、独自の作風であるパステル調の優しい色調で女性を

描いたものがほとんどです。

彼女は、20世紀前半のパリで活躍しました。この当時のパリは、国際的な芸術の

中心で新しい芸術が次々に生まれ、ピカソのアトリエ洗濯船に集った前衛芸術家や、

エコール・ド・パリの個性的な芸術家であったブラック、ルソーやアポリネールなど

が活躍し彼らと彼女は交友しました。

他の画家とは違う一目みて彼女の作品だとわかる個性ある作品を多数発表しました。

 

今回、京都市京セラ美術館で開催しているマリー・ローランサンの作品の多くは、

1983年に世界で唯一のローランサン専門の美術館が蓼科高原に開設された

「マリー・ローランサン美術館」が所蔵していたものが殆どでした。この美術館は、

2011年に惜しくも閉館し、2017年にはニューオータニガーデンコート内に美術館を

再開しますが、2019年に再び閉館となりました。もう観覧できる機会がないと思われた

のですが、こうして観覧することが出来 ファンにとっては、ものすごく嬉しいものです。

なお彼女が活躍していた時期のファッション(モード)も貴重な資料とともに展示してあり

実物のドレスなど、すごく価値のあるものが展示されていました。

写真撮影OKな作品も多くあり興奮しました。実に素晴らしい絵画の数々に堪能しました。

 

【白い羽飾りの黒帽子をかぶった乙女】

 

【私の肖像】

 

【マドモアゼル・シャネルの肖像】

 

 

観覧を終え美術館を出て、平安神宮にむかいました。

平安神宮前の岡崎公園では、たくさんのフリーマーケットの出店が出ていて、アンティーク品

などめずらしいものなどがたくさん売られていて、見ていて楽しかったです。



平安神宮の日本庭園「神苑」では、花菖蒲や睡蓮が咲いているのではと期待していましたが、

あと1週間後が見ごろのようで入るのをあきらめましたが、広大な神社の広場を歩いて、

素晴らしい景色を満喫しました。


平安神宮を出て、京都銘菓「八つ橋」の本家本元と言われている「本家西尾八ッ橋」が出店して

いる喫茶店でしばし休憩したのちに帰路につきました。

お天気にも恵まれて、のんびりと京都で過ごせた良い一日でした。


ピカソとその時代 (ベルリン国立ベルクグリューン美術館展)

2023-03-02 | 絵画

ベルリン国立ベルクグリューン美術館は、美術商ハインツ・ベルクグリューン(1914-2007年)の

コレクションを収蔵展示する美術館として1996年に開館しました。

この展覧会は、この美術館のコレクションをまとめて紹介する日本初の展覧会です。

ピカソの初期から晩年までの作品と、同時代に活躍したクレー、マティス、ジャコメッティらの

作品に日本の国立美術館が所蔵する11点を加えた展示会です。来日した作品97点のうち、76点が

日本初公開でそのうち何と《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》1936年《黄色のセーター》

1939年 などピカソの作品のうち35点は日本では今まで公開された事のない作品でした。そして、殆ど

の作品が撮影可能なので、たくさんの作品を撮影出来ました。 

「セザンヌ夫人の肖像 セザンヌ(1885-86年頃)」

「ニースのアトリエ マティス(1929年)」

「多色の帽子を被った女の頭部 ピカソ(1939年)」

「黄色のセーター ピカソ(1939年)」

「本を読む女 ピカソ(1953年)」

 

ピカソの初期作品~晩年作品の画風の変化がよくわかりました。慣れ親しんだデフォルメされた

人物像までいく過程が面白く初期の頃は色彩がダークなのに晩年にいくほど鮮やかでカラフル。

他の画家の作品もたいへん見ごたえがありました。

ベルクグリューン美術館開館以来、主要作品がまとめて国外で展示されるのは初めてです。今回限り

かもしれないと思うと、これはぜひ見たいと云う衝動にかられました。

 

この展覧会は序章を加えて7つの章で構成されていました。

ピカソを通して20世紀美術の流れがわかる構成でした。

序 ベルクグリューンと芸 術家たち

Ⅰ. セザンヌ― 近代芸術家たちの師

Ⅱ. ピカソとブラック― 新しい造形言語の創造

Ⅲ. 両大戦間のピカソ― 古典主義とその破壊

Ⅳ. 両大戦間のピカソ― 女性のイメージ

Ⅴ. クレーの宇宙

Ⅵ. マティス―安息と活力


奈良公園紅葉巡り

2022-11-17 | 散策

先日の15日は、とてもお天気が良かったので一人で奈良公園に行き紅葉と

色づいた銀杏を撮影してきました。

東大寺の裏にある銀杏の大木が毎年この時期になるとものすごく黄色くなり、

それはそれは大変綺麗なのです。

お目当ての銀杏の大木数本は、確かにすごく綺麗に色づいていましたが、なんと

一番メインに思っていた銀杏の木で何と結婚式の前撮りを若いカップルがしていました。

もうすぐ終わるだろうと他のところを撮影して1時間後に戻ってみると、まだ撮影して

いるではありませんか・・・トホホ

でも、その二人とカメラマン達が映り込まないように動画撮影と写真を撮りました。

東大寺~二月堂~手向山八幡宮~若草山の前を歩いて春日大社に行き、全部で300枚くらい

撮影しました。

七五三のお参りで春日大社はすごい人でした。

さすがに疲れが出て、浮御堂や興福寺も行く予定をしていましたがパスしてしまいました。

動画を作りました。

【奈良公園紅葉巡り】


滋賀県 大津市 比叡山坂本~三井寺 紅葉巡り

2022-11-10 | 散策

昨日、滋賀の大津市で紅葉を撮影しました。

まずは、JR湖西線の比叡山坂本駅から徒歩で日吉大社を訪ねました。

日吉大社は、比叡山の麓に鎮座し、約2100年前に創祀された全国3800余の

分霊社の総本宮です。平安京遷都の折にはこの地が都の鬼門にあたることから

都の魔除・災難除を祈る社に。また伝教法師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは、

天台宗の護法神として多くの方より崇敬を受け、今日に至っています。

次は、西教寺に。

『天台真盛総本山 西教寺』聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために

創建されたと伝えられています。

久しく荒廃しましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。

そして、西教寺は、戦国武将 明智光秀ゆかりのお寺としても有名です。

元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際、このお寺も災禍を被りました。

その直後に築かれた坂本城の城主となったのが明智光秀でした。

光秀は西教寺の檀徒となり、このお寺の復興に力を注ぎました。

総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は光秀が寄進した坂本城の陣鐘です。

光秀と妻の熙子や一族の墓がこのお寺にあります。

昼食後に京阪電車・石山坂本線に乗車して三井寺に向かいました。

三井寺は、正式名称を「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。

672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子

(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に

敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を

寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりと

されています。

平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚により、天台別院として中興されました。

以来今日まで続く千二百年以上の歴史の中で、源平の争乱、南北朝の争乱等による

焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられた

人々により、苦難を乗り越えてきた様から、「不死鳥の寺」としても知られています。

昨日は、まだ紅葉のピークにはなっていませんでしたが、綺麗な紅葉をたくさん撮影出来て

楽しめました。

動画を作りました。


モディリアーニ展 ~愛と創作に捧げた35年~ (大阪中之島美術館)

2022-07-07 | 絵画

モディリアーニ展を観たいと思い、大阪中之島美術館に行きました。



モディリアーニは、35歳で亡くなっているため、彼の作品は、それほど

多くは ありませんが彼が残した作品は、ものすごく価値があります。

《少女の肖像(ジャンヌ・ユゲット)》

《小さな農夫》

《おさげ髪の少女》

《ルニア・チェホフスカの肖像》



今回展示されている『髪をほどいた横たわる裸婦』は、現在のところ

日本にあるモディリアーニの裸婦画はこの一点のみです。

1989年に大阪市が19億3千万円で購入したと伝えられています。購入当時、

大阪市民から集めた税金で超高額の絵画を購入する事にすごく批判が

ありましたが、現在モディリアーニの裸婦画は、200億円前後で取引されて

おりかなりの価値があります。

その『髪をほどいた横たわる裸婦』は、前回の開館記念展にも展示されて

いましたが、何と今回は撮影が許されていました。(↓ 私が撮影した写真です)

興奮して何度もシャッターをきりました。

20世紀前期のパリで活動したモディリアーニは「エコール・ド・パリ」の一員

として、ピカソやシャガール、藤田嗣治などと同世代です。今回の展覧会では、

モディリアーニと交流のあった画家ジャン・コクトー、ピカソ、マリー・ローランサン、

アンリ・ルソー、ルノワール、キスリニグ、シャガール、ユトリロ、藤田嗣治などの

多くの絵画なども展示されていて、たいへん見応えがありました。

世界初公開の肖像画を含め、フランス、イギリス、ベルギー、デンマーク、スイス、

アメリカなどから集め、さらに国内の美術館等が所蔵する油彩画や水彩、素描が

一堂に集められていました。なかでも、スウェーデン生まれの伝説的ハリウッド女優、

グレタ・ガルボが生涯にわたって愛蔵した《少女の肖像》は世界初公開でした。

(↓ 私が撮影した写真です)



少しだけ、モディリアーニについて。(中之島美術館の解説とウィキペディアより)



イタリア出身のアメデオ・モディリアーニ(1884-1920)はフランスに渡り、

エコール・ド・パリの一員としてピカソや藤田嗣治などと共に活躍しました。

モディリアーニによる人物像は瞳のない塗りつぶした眼のものが多く、そして

細長い首をしていたり、その容姿がやや異様な事から内面的な本質を鋭く

捉えているように思えます。

彼は亡くなってから評価されましたが、生前は売れない画家で貧困と

生来患っていた肺結核に苦しみ、飲酒などの不摂生で荒廃した生活の末、

35歳で結核性髄膜炎により死亡しました。

亡くなったのは、ジャンヌ・エビュテルヌに結婚を誓約した翌年でした。

妻のジャンヌもモディリアーニの死の2日後に後を追って自宅から飛び降り

自殺しています。この時、妊娠8ヶ月だったとの事です。

何て悲しい、不遇な人生だったんでしょう。

私は、そんな事を知ってからは彼の作品は神秘的なものに思えてなりません。