雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

「雨宮家の歴史 父の自伝『落葉松』「戦後編 第八部 Ⅱー52 ガン雑感」

2017年08月18日 16時53分51秒 | 雨宮家の歴史


「雨宮家の歴史 父の自伝『落葉松』「戦後編 第八部 Ⅱー52 ガン雑感」

52 ガン雑感

 ガンなど無縁と思っていた私に、ガンが発生していたことは、ひと昔前の肺結核みたいなものかも知れない。もっとも私の親戚で、ガンで亡くなった人も何人かは、いる。ガンについてよく知りたいと思って、私は本屋と図書館を廻り、ガンに関する本を読んでみた。借りた本は要点を書き留めておいた。
 「患者よ、がんと闘うな」と医師が書いたのがあると思うと、「がんと闘う・がんから学ぶ・がんと生きる」と患者が書いた正反対の本もある。ガンはこわいかと聞かれれば、こわくないとは言えない。死そのものについては、どのみち、早く来るか遅く来るかということであると考えたいが、私も戦時中は、軍隊で二十五才までの命と観念していたから、八十才まで生きている今日、命があったのが不思議なくらいである。
 人間って身勝手なもので、何才までも生きたいのである。人情ではあるが、ガンなど年をとらねば発生しないと思っていたが、まだ世の中の酸も甘いも知らない子供も、ガンに冒されることを知った。小さな罪のない子供までもガンに罹るのは不公平な世の中だと思う。

 先日放映された「こども・輝けいのち(小さな勇士たち)」は涙なしには済まなかった。東京聖路加国際病院の小児科病棟を一年間に亘って追跡取材したものであるが、この病院は一流病院で、ここに入院して治療出来た子供たちは幸せである、入院出来ずに苦しんでいる子供は、他に大勢いるに違いない。小児科武長の細谷亮太医師の書いた本(『医師としてできること できなかったこと』講談社+α文庫)があるが、彼は自分の専門は小児ガンの治療と決めて、子供たちと共に過ごした。子供のガンは主に白血病であるが、今では化学療法で治る率は多くなってきた。しかし抗ガン剤であるから、子供でも吐き気や、脱毛などの副作用が出て、可哀想に大人と同じように髪の毛が抜けてしまう。女子中学生が、かつらを冠って卒業式に登校することになる。
 「ママ、死ぬのって恐いね、死んだらどうなっちゃうんだろう?」
 私でも思うようなことを、小さな子供に言わせねばならない現実は悲しい。
 「わたし、いつまでがんばればいいの?」と看護婦さんに聞くが「どれくらいがんばればいいかは神様が決めてくれるわ。もうがまんできないと思ったときはきっと楽になるからね」そのようにしてお星様になっていった子供たちの名前をあげて、黄泉路で道を迷わないように祈りたい。
 彩(あや)ちゃん・容子ちゃん・麻衣ちゃん・Sちゃん・真美ちゃん・H君・Y君・サトシ君・ケンちゃん・Kちゃん・みいちゃん・りょうた君・マー君(病院で「お食い初め」をする)・あけみちゃん・洪ちゃん・祐子ちゃん・結実(ゆみ)ちゃん・ユウジ君・タケちゃん・サトちゃんたちの幸せを願って、合掌。
 これら子供たちに比べれば、私のガンなどガンとは言えないかも知れない。しかし、いつの日か、ガンがその本省を現わして、頸をもたげてくるかも知れない。
 「人はなぜ死を恐れるのか。死ぬのをいやがるのか。そんなに生が楽しいのか。生きているのはいいことなのか。苦しみに満ちた生なのに、わたしもなぜ死を恐れねばならないのか。しかし、この時こそ、ガンは始まっていたのだ。」(高見順『闘病日記』より。食道ガンにて死去)

 現天皇が、前立腺ガンの摘出手術を東大付属病院で受けたのは平成十五年の一月であった。歴代天皇(といっても、明治・大正・昭和の三代しかない)が普通宮内庁病院で治療を受け、皇居外に出ることはこれは現天皇の「合理的・機悠的医療」が宮内庁病院では「万全でない」と判断した結果であるが、特に父君、昭和天皇のことがあったからだと私は思う。
 昭和天皇は昭和六十二年九月、腸のバイパス手術を受けられたが、この時、既に「すい臓ガン」であることは専門医の見方で一致していた。しかし、本人にも告知されず、侍従長の発表は「慢性すい炎」で、国民にはガンと公表しなかった。東大病理学教室での組織検査で、ガン細胞は認められていたのである。宮内庁の閉鎖性が戦後も続いていることを証明した。そのため、大量吐血を起こし四ヶ月間も三万CCに及ぶ輸血が続けられた。三万CCという一人の人間の血を十回ぐらいも入れ替えたことになる。放射線治療をすれば延命を期待出来たという説もある。しかし、あくまでもガンを覚られないためであった。
 これらの事実を現天皇は深く認識していたと思う。二、三年前から、血液検査の前立腺に関する項目(PSAであろう)に「やや懸念される数値」が続いた(数値は不明)。そのため平成十四年一月二十四日一泊入院の組織検査(生検)で細胞ガンを認めたのである。これらは陛下の了解を得て発表された。年明けの一月に東大付属病院に入院して、前立腺全部の摘出手術を受けられた。転位もなかったということである。

 しかし、十月頃になってPSAが微増傾向にあることが分った。小数点以下二ケタであるこというが、これはどういうことであろう。前立腺を全部(無論ガン細胞も含まれる)を切ってしまえば、PSAは零になる筈である。私の場合、手術せずにガンが残っているが、内分泌療法でPSAは〇・〇一(最低)が一年半続いている。陛下には、まだガンがどこかへ転位して残っているのではないかと心配する。私より十才も若い。

 前立腺ガンの治療方法も進歩して、健康な細胞を傷つけない努力をしている。静岡県ガンセンターでは「陽子線治療」を始めた。放射線の一首であるが、従来のX線はガンだけでなく周わりの健康な細胞も破壊してしまう。それを避ける方法である。
 東京国立医療センターでは「小線源方法」(前立腺内にチタン針を八十~百個も入れて、針に含まれる沃度125から出る弱い放射線が一年程でなくなる)。その他「超音波方法」(丸山病院)など、何れも副作用の少ないのが特色であるが、まだ保険の効かないものもあって、治療費の高くつくのが難点である。

 私もいつまで内分泌治療が続けられるか不明であるが、これらの方法については、治療費の多寡に関わらず、深い関心を持っている。