遠州の遺跡・寺社・地名 92 磐田市の澄水山(ちょうすいざん)古墳
久しぶりの「遠州の遺跡・寺社・地名」です。
磐田市のJR磐田駅から真北へ歩いて10分くらい、磐田農業高校の敷地に西から入ると、正面にすこし高まった丘と樹林が見えるのが、澄水山古墳です。
立て看板の説明や『静岡県の前方後円墳 資料編』(静岡県教育委員会、2001年、p53、図はp111)によれば、古墳時代中期前葉の二段築造のホタテ貝式の前方後円墳です。
全長は55mで、前方部の幅は36m、後円部の直径は45m、後円部の高さは5mです。
方位は「Nー60度ーE」ですから、真東から30度北へ傾いています。つまり、祈りと祭りの場としての前方部から後円部を見ると、真冬の太陽が沈む方向に近いということでしょうか。
磐田原台地の南縁部、標高(海抜)14mの位置です。
この澄水山古墳を「円墳」として叙述している文献もあるので(たとえば、『日本の古代遺跡1 静岡県』保育社、昭和57年初版)、注意が必要です。1991年3月に磐田市教育委員会が墳丘測量調査と書いてあるので、そのときに「帆立貝式古墳」であることが発見されたのかも知れません。まだ不明。
日米戦争のとき、1944年(昭和19年)に頂上を防空壕として掘り下げて、頂上の2m下から鉄塊と頭堆大刀(かぶつちのたいとう)が、墳丘の裾から円筒埴輪(Ⅲ型)の破片が見つかりました。その一部は高校の中に保管されているようです。
1970年(昭和45年)に磐田市の文化財(史跡)指定を受けました。
2012年10月9日(火曜)に見学・写真撮影しました(雨宮智彦単独)。
この農業高校敷地の東隅には、丸山古墳という、直径45m、高さ5mの円墳があると説明看板に書いてあります。いま発見したのですが、この澄水山古墳の後円部と、丸山古墳の規格は、直径45m、高さ5mで、まったく同じです。何か、深い意味がありそうですが、今はわかりません。
円墳は、前方後円墳のうち前方部を大胆に省略したものでしょうか?うわ、何という理論!さすがのボクも頭がクラクラしそうです。まさかねえ…。