今の生徒たちは、全員平成生まれだと思います。平成の前は、昭和、大正、明治。そして、明治の前は慶応。このころが、江戸時代の最後、いわば幕末と言われる時代です。
江戸時代と明治時代の違いは、まず一番は見た目。ちょんまげや刀、着物を身に着けた侍がいたのが江戸時代。侍がいなくなったのが明治時代です。けれど、慶応から明治に年号がかわったからと言って、いきなり全員がすぐに考え方が変わったり、暮らし方を変えるということはありません。江戸からひきついだ暮らしが、ゆっくりゆっくり変化していったと思われます。
しかし、そんな江戸の風情がいちどきになくなったときがあります。始めが、大正12年の関東大震災。ここで、たくさんの家や人がなくなりました。次が、昭和20年の東京大空襲。ここで、さらに家や人がなくなり、決定的なものとなりました。江戸から流れていた時間が、ぷっつりと切れてしまいました。それはまるで、大木が根元からざっくり切られて倒されたようなものだった、と推測できます。
ところで近頃、江戸の暮らしがまた見直されているそうです。江戸時代を描いた小説が人気を得、若手の作家がたくさん出ています。私も山本一力の江戸庶民物や畠中恵の『しゃばけ』シリーズなど好きです。山本周五郎から続く世話物の世界が、ほのかなペーソスとともに読むヒトの心にしみ込みます。
江戸の町はたいへんにエコで環境にやさしい町だったとか。ごみは、灰やはなをかんだ紙、はてはぬけ毛まで専門に集める人がいて、それを再度利用する人に売っていたそうです。究極のリサイクル・リユースです。また、江戸の人情というものも近年見直されています。「江戸しぐさ」という本が何冊か出ていて、道のゆずりあいや、人との対し方など、江戸の町の人たちはたいへん高度な公衆道徳、マナーをもっていたのが伺えます。
実はこのマナーの高さというのは、文明の高さを表す尺度の一つのようです。それ故、幕末、日本に来た欧米人は、江戸の町の清潔さ、人々のマナーの高さ、子どもに対する愛情深さに深く感銘を受け、そのことが、その後の関係構築の一助になったともいわれています。このような点を改めて見直そう、という動きが出ており、東京の街に江戸のなごりを見るという観光1日ツァーなどの催しが、たくさん企画されているとのことです。
私たちには「江戸」を手軽に感じることができる機会として、歌舞伎や落語に接するときがあります。特に、歌舞伎座の中に入ると、江戸時代から続いている伝統が場内になんともいえず不思議な空気を醸しだしていて、幕が引かれる前からもう、江戸という町にタイムスリップしたような感覚になるそうです。京都でも、南座にその一端を味わうことができますし、讃岐の琴平座、熊本山鹿市の八千代座等、一度足を運び、江戸の空気を感じてみたいものです。
そういえば、江戸時代と同じ芝居小屋を建て興行する、中村勘三郎主催「平成中村座」という催しがありました。海外公演も行っています。テレビで見ましたが、ナカナカ感動的でした。歌舞伎が芸術などという堅苦しいものではなく、江戸の庶民とともにあった娯楽であることがよくわかります。でも、「平成中村座」は一番安い席でも1万円以上。江戸の町行きタイムマシンの乗車料としては、高いのでしょうか?安いのでしょうか?チョット悩むところです。
江戸時代と明治時代の違いは、まず一番は見た目。ちょんまげや刀、着物を身に着けた侍がいたのが江戸時代。侍がいなくなったのが明治時代です。けれど、慶応から明治に年号がかわったからと言って、いきなり全員がすぐに考え方が変わったり、暮らし方を変えるということはありません。江戸からひきついだ暮らしが、ゆっくりゆっくり変化していったと思われます。
しかし、そんな江戸の風情がいちどきになくなったときがあります。始めが、大正12年の関東大震災。ここで、たくさんの家や人がなくなりました。次が、昭和20年の東京大空襲。ここで、さらに家や人がなくなり、決定的なものとなりました。江戸から流れていた時間が、ぷっつりと切れてしまいました。それはまるで、大木が根元からざっくり切られて倒されたようなものだった、と推測できます。
ところで近頃、江戸の暮らしがまた見直されているそうです。江戸時代を描いた小説が人気を得、若手の作家がたくさん出ています。私も山本一力の江戸庶民物や畠中恵の『しゃばけ』シリーズなど好きです。山本周五郎から続く世話物の世界が、ほのかなペーソスとともに読むヒトの心にしみ込みます。
江戸の町はたいへんにエコで環境にやさしい町だったとか。ごみは、灰やはなをかんだ紙、はてはぬけ毛まで専門に集める人がいて、それを再度利用する人に売っていたそうです。究極のリサイクル・リユースです。また、江戸の人情というものも近年見直されています。「江戸しぐさ」という本が何冊か出ていて、道のゆずりあいや、人との対し方など、江戸の町の人たちはたいへん高度な公衆道徳、マナーをもっていたのが伺えます。
実はこのマナーの高さというのは、文明の高さを表す尺度の一つのようです。それ故、幕末、日本に来た欧米人は、江戸の町の清潔さ、人々のマナーの高さ、子どもに対する愛情深さに深く感銘を受け、そのことが、その後の関係構築の一助になったともいわれています。このような点を改めて見直そう、という動きが出ており、東京の街に江戸のなごりを見るという観光1日ツァーなどの催しが、たくさん企画されているとのことです。
私たちには「江戸」を手軽に感じることができる機会として、歌舞伎や落語に接するときがあります。特に、歌舞伎座の中に入ると、江戸時代から続いている伝統が場内になんともいえず不思議な空気を醸しだしていて、幕が引かれる前からもう、江戸という町にタイムスリップしたような感覚になるそうです。京都でも、南座にその一端を味わうことができますし、讃岐の琴平座、熊本山鹿市の八千代座等、一度足を運び、江戸の空気を感じてみたいものです。
そういえば、江戸時代と同じ芝居小屋を建て興行する、中村勘三郎主催「平成中村座」という催しがありました。海外公演も行っています。テレビで見ましたが、ナカナカ感動的でした。歌舞伎が芸術などという堅苦しいものではなく、江戸の庶民とともにあった娯楽であることがよくわかります。でも、「平成中村座」は一番安い席でも1万円以上。江戸の町行きタイムマシンの乗車料としては、高いのでしょうか?安いのでしょうか?チョット悩むところです。