ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

山ノ上

2016年03月23日 | 中学受験 行雲流水録

山ノ上

ムカフ ノ 山 ニ ノボッタラ、
山 ノ ムカフ ハ 村 ダッタ。
タンボ ノ ツ ヅク 村 ダッタ。
ツヅク タンボ ノ ソノ サキハ、
ヒロイ ヒロイ ウミ ダッタ。
青イ、青イ ウミ ダッタ。

小サイ シラホ ガ 二ツ 三ツ、
青イ ウミ ニ ウイテ ヰタ。
トホクノ ハウ ニ ウイテ ヰタ。

これは、戦前、尋常科用・小学国語読本に掲載されていた「山ノ上」という詩です。最近、目にすることがありました。この詩に触れたとき、忘れていた記憶が甦りました。それは、まだ小学校に上がる前のこと、同年代の近所の子数人と三輪車を駆り、丘の上の我が家から町のはずれの港まで2、3時間かけていったことです。

丘の上から港は見えません。段々畑を下り、小川を渡り、牛の放牧場や竹藪の中を抜けて進みます。常はバスで通り過ぎるだけ。その時、山積みの養殖カキの空き殻を見ていました。何を思い立ったのか、4、5人が隊を組み一度も歩いたことのない道を進みました。それは好奇心と高揚感と少しの不安が入り混じった、えも言えぬ気持ちでした。もう、ついぞそんな感覚を味わったことはありません。あれが私たちのstand by meだったののかもしれません。到着後、当然の如く記念に牡蠣の殻を拾ったのは言うまでもありません。

この小旅行には落ちがあります。丘の上から下ったまではいいのですが、帰り道は全てが上りになります。みんな、来るのに必死で帰りの行程は考えていません。なんせ就学前の児童なんですから。そんなこんなで暮れかける田舎道を意気消沈の態でトボトボ三輪車を押していると、見慣れたマツダのオート三輪が向こうからタッタッタとやってきます。隣の米屋のおっちゃんの配達車でした。聞けば、心配で迎えに来たとのこと。まさに地獄に仏。あとは快適なドライブとなりました。

そんな幼馴染もいま田舎に残るのは2人だけ。優しかった米屋のおっちゃんも亡くなり、三輪車も牡蠣の殻もどこにいったのか、今はもうありません。私のそんな「山ノ上」のお話でした。



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