ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

天職

2009年10月27日 | 中学受験 行雲流水録
『天職』。この言葉の持つ価値が、軽んじられるようになってて久しいように思います。働く者各々が自分の仕事に誇りを持ち、一つの信念の基に励む仕事。父子孫々、脈々と流れる伝統と至高の技術。卓越した識見と一生を懸け全身全霊を注ぐ取り組み。今この思いに沿って日々を送る方が、日本にどれだけいらっしゃるでしょう。

私はこのことが何も時代の変化によるものだとは考えていません。この仕事と決めて一心不乱に取り組めば『天職』となり、見過ぎ世過ぎの方便と考えて働ければただ日々の糧を得るだけの手段となります。その違いは、ただ自身の心の持ちようなのです。しかし、そう生きざるをえない厳しい今という時代が、天職という言葉の価値を無くしているのも、また事実かも知れません。

ヒトは誰もこれは天職だと思って始めるわけではありません。続けていくうちに、その仕事への誇りが培われていくものだと思うのです。おのが仕事への自信と矜持。一朝一夕に得ることのできるものではありませんが、この心根の必要性を子供達に説くべきです。確かに、職業体験としての経験も必要でしょう。しかし、もっと大切なことは働く意義を伝えることだと思うのです。そして、その理念を伝え続けてこそ経験が生きてくると思うのですが…。

経験について面白い文章を見つけたのでご紹介します。出典は故河合隼雄氏の『河合隼雄のこころ 教えることは寄り添うこと』です。

『……森下洋子さんの所属する松山バレエ団が、ある中学校で公演をした。子どもたちははじめて見る、ほんもののバレエに心を奪われていたが、その子どもたちから送られてきた感想の一節に次のような文章があった。「素晴らしい踊りを見ているうちに、私も何か天職と思われるものを探し出し、それに熱中したいと思いました」。この子は、バレエを見て、私もあんな風に踊れたら、などとありきたりのことではなく、バレリーナの姿に「天職」を感じ取り、自分は自分としての「天職」を見いだして頑張りたいと思ったのだ。人の真似をするのではなく、自分には自分にふさわしい職業があるはずだと確信したのである。……』

『……最近全日本のサッカー代表チームの監督をした、岡田武史監督と話し合う機会があった。彼によると、彼がイタリーの有名なサッカーの監督に、よき指導者になるための条件を訊くと、音楽、演劇、舞踏などの一流の芸術にできる限り多く接することと言った。(中略)つまり、一流の芸術に接することによって、自分の心が豊かになることが、結局は指導力につながってくる、というのである。……』

本物に触れると、心が否応なく動かされ、自分作りの肥やしになるということでしょう。また、「指導力」とは「人間力」と置き換えてもいいと思います。これは人と協力していく上で必要な能力です。二つの引用は共に本物に触れる経験の意味を語っています。 

経験には、自分が実際にやってみる「体験」と上記のような受け手としての「体験」の二種類があります。通常私たちは経験というと、自分でする体験を中心に考えます。しかし、目に見えない受動的な体験もとても大切なことなのです。仕事に就いて二・三十年経ったのち、一人でも多くの子供達が自分の仕事を『天職』と呼んでいて欲しいものです。


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