昨日は、妻と映画を見に行った。映画「聲の形」を見て感動していたが、バラエティ番組なんかでは、映画興行収入ランキングや観覧者数ランキングなんかで、常に第一位を継続していた映画『君の名は。』(2016年東宝制作)に、すこぶる興味があった。男女が夢の中で入れ替わる?という、荒唐無稽なストーリーに、本当に面白いのかと、疑問を持ちながらではあったが・・・。鑑賞してみと、最後の方には涙をとめどもなく流す自身がいた。それほど心に響く感動作なのであった。見知らぬ男女の入れ替わり、境遇や環境が全く異なるこの男女を結び付けるのは、主人公の女性が巫女として編み込んだ1本の組紐。組紐の糸には、強い結びつきがあるという。
【作品紹介・ストーリー】
■前作『言の葉の庭』から3年ぶりとなる、新海の6作目の劇場用アニメーション映画。東京に暮らす少年・瀧(たき)と飛騨の山奥で暮らす少女・三葉(みつは)の身に起きた「入れ替わり」という謎の現象と、1200年ぶりに地球に接近するという架空の彗星「ティアマト彗星」をめぐる出来事を描く。新海作品としては初めて製作委員会方式を取っており、前作は東宝映像事業部配給、全国23館だったのに対し、本作では東宝が配給を担当し全国約300館という大規模な興行となった。2015年12月にYouTube上に特報動画が公開され、2016年8月の公開と、主演に神木隆之介、上白石萌音が起用されることが発表された。翌年4月5日には予告編が公開され、劇中音楽すべてをRADWIMPSが制作することと、公開日は8月26日であることが発表された。本作は2016年8月26日(金)の公開後は、途中1週のみ『デスノート Light up the NEW world』に1位を奪われたものの13週目までに渡って12回、週末動員数1位を獲得。12月には興行収入200億円を突破し、宮崎駿監督の『もののけ姫』と『ハウルの動く城』を超え、日本における歴代興行収入ランキング5位(日本映画では2位)となっている。2016年12月9日には劇場パンフレットの第2弾が発売された。2017年1月13日からIMAX上映される。公開を2か月後に控えた6月18日には、映画公開に先駆けて『小説 君の名は。』が発売。小説が映画の公開より先に発売されるのは新海作品としては初めてであった。出版社の作品紹介文では「原作小説」とされているが、脚本の完成後、映画の制作も終盤になってから執筆されたもので新海自身は「小説版」「映画のノベライズ」「どちらが原作なのかと問われると微妙なところ」と、そのあとがきで書いている。映画と小説とで物語上の大きな差異はない。映画公開(8月26日)前ですでに50万部、9月20日時点で102.9万部、11月20日までに119.7万部となり2016年の文庫部門1位(オリコン調べ)を獲得した。12月には小説や公式ビジュアルガイドを含む関連書籍7冊の売り上げは計250万部を突破した。
■東京の四ツ谷に暮らす男子高校生・立花瀧は、ある朝、目を覚ますと岐阜県飛騨地方の山奥にある糸守町に住む女子高生・宮水三葉になっており、逆に三葉は瀧になっていた。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら、知らない誰かの一日を過ごす。翌朝、無事に元の身体に戻った2人は入れ替わったことをほとんど忘れていたが、周囲の人達の反応や、その後もたびたび(週に2~3回の頻度)「入れ替わり」が起きたことによって、ただの夢ではなく実在の誰かと入れ替わっていることに気づく。2人はスマートフォンのメモを通してやりとりをし、入れ替わっている間のルールを決め、元の身体に戻った後に困らないよう日記を残すことにした。性別も暮らす環境もまったく異なる瀧と三葉の入れ替わりには困難もあったが、お互い束の間の入れ替わりを楽しみつつ次第に打ち解けていく。しかし、その入れ替わりは突然途絶え、スマートフォンのメモなどの入れ替わりの証拠も、全て消えてしまっていた。瀧は風景のスケッチだけを頼りに飛騨に向かうことにし、瀧の様子を不審に思い心配していた友人・藤井司とバイト先の先輩・奥寺ミキもそれに同行する。しかし、ようやく辿り着いた糸守町は、3年前に隕石(ティアマト彗星の破片)が直撃したことで消滅しており、三葉やその家族、友人も含め住民500人以上が死亡していたことが判明する。(つまり、三葉は既に死亡している人物であり、瀧は時間を超えて入れ替わっていたことになる。)
瀧は以前三葉と入れ替わった際に参拝した、山上にある宮水神社の御神体へ一人で向かい、もう一度入れ替わりが起きることを願いながら、3年前に奉納された三葉の口噛み酒を飲み下す。
再び(隕石落下前の)三葉の身体に入った瀧は、三葉の友人である勅使河原克彦、名取早耶香の2人とともに、住民を避難させるために変電所を爆破し町一帯を停電させ、町内放送を電波ジャックして避難を呼びかけるという作戦を画策する。しかし、その計画の要である三葉の父(糸守町長)の説得に失敗、父親には三葉の姿をしている別人だと見破られてしまう。
瀧の身体に入った状態の三葉に会うため、瀧(身体は三葉)は御神体がある山を登る。生きている世界には3年の時間差がある2人だったが、なぜか互いの声だけは聞こえており名前を呼び互いの姿を探す。お互い近くにいるのは分かっていながら、見ることも触れることもできない2人だったが、黄昏時(本編中では架空の方言「カタワレ時」と呼ばれる)が訪れると、入れ替わりが元に戻ると同時に互いの姿が見え、初めて2人は直接会話することができた。
三葉は瀧から住民を助ける計画を引き継ぎ、下山する。計画通りに町を停電させ、避難指示の放送を流すが、その電波ジャックもしばらくしたのち町の職員に見つかり訂正の放送を流され、避難は進まない。三葉は改めて(三葉に入れ替わった瀧ではなく三葉本人から)父(町長)を説得するため町役場に向かう。
瀧が「入れ替わり」という不思議な出来事に遭ってから5年後、そして「奇跡的に住民が避難訓練をしており死者が出なかった」糸守町への隕石衝突から8年後へと舞台は移る。瀧は依然として東京で過ごしているが、三葉も東京に引っ越していた。過去を変えた代償として「入れ替わり」の事も、入れ替わった相手の名前も忘れていたが、漠然と「誰かを探している」思いだけが残っており、ときおり町中でその相手の気配を感じることがあった。
さらに月日が流れたある日、並走する電車の車窓でお互いを見つけた2人は、それぞれ次の駅で降り、お互いの下車駅に向かって走り出す。ようやく住宅地の神社の階段で互いを見つけた三葉と瀧は、それぞれ歩み寄っていく。すれ違ったところで瀧が話しかけ、互いに探していた相手だと分かった2人は涙を流し、同時に名前を尋ねた、「君の名は?」と。
この作品を見終わって、何を意味した作品かを考えてみた。幸せな普通の生活をしていた場所が、彗星の剥離分解という事象が生じ、その隕石が村に落ちたことで、それまでの生活が一変してしまう。今回のように、村が破壊されてしまうという大惨事が起きる。これは、3・11東日本大震災や熊本大地震等に見られる状況と同じである。日々の生活が根底から破壊され、多くの人命が失われてしまう。友人や親や親戚・・。このような辛い出来事があっても、頑張って生きていくことに人間としての純粋な生への営みがあるんだという思いが伝わってくる。全く関係のないような男女でも、組紐の糸に導かれ、その時に何かをしなければならないことを一生懸命にやり遂げようとする。ここに天災に負けない、人間の生き様があるのかもしれない。しかも、その中に純真な恋で結ばれた男女がいた。涙なくして見れない、素晴らしい作品だったと思う。
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