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あれ??今年の年末の第九、あったっけ??

2017年12月29日 23時58分02秒 | Weblog

今年の年末、ベートーヴェンの第九をほとんど聞かなかったように思う。毎年、各TV局が番組を組んで、この第九を演奏していたはずが、今年は皆無ではなかったのでしょうか??
 日本では「第九」といえば年末をイメージさせるものですが、国外ではどうでしょうか。もともと「年末に第九を」というアイデアが芽吹いたのは1918年のこと。第一次世界大戦が終わって平和を願う声が高まった頃にドイツのライプツィヒで始まり、その後は名門オーケストラであるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、毎年の大晦日に「第九」を演奏し続けてきました。
 日本では第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が、12月に3日連続の「第九コンサート」を行って絶賛され、年末に「第九」を演奏する習慣へと受け継がれています。恒例となった年末の「第九」には多くの聴衆が集まりましたが、まだ戦後の混乱期を脱していなかった時代ですから、オーケストラにとっては安心して新年を迎えるための臨時収入に。さらには「うたごえ運動」を背景として合唱が盛んになり、アマチュア合唱団が「第九」を歌い始めます。コンサートには合唱団員の家族や友人たちが駆けつけたためチケットが売り切れることもしばしば。こうした状況が功を奏し、年末の「第九」が完全に定着したと言われています。
  この曲がウィーンで発表(初演)されたのは1824年5月7日。当時54歳になっていたベートーヴェンでしたが、ずいぶん前から難聴に苦しんでおり、「第九」の作曲時はほとんど耳が聞こえていなかったといいますから驚きです(ベートーヴェンは耳に当てるラッパのような形の補聴器・集音器を使っていました)。初演の時にもステージには上がりましたが、指揮は他の人に任せたためにやることもなく、曲が終わってもまったく気がつきませんでした。近くにいた女性の歌手がベートーヴェンを客席のほうに振り向かせましたが、彼が見たものは熱狂的に拍手をするたくさんの聴衆でした。
 「第九」といえば第4楽章の「歓喜の歌」がシンボル……ですが、その前に演奏される第1楽章から第3楽章、そして「歓喜の歌」の後に続く第4楽章の後半も、ベートーヴェンが私たちに残した重要なメッセージだと言えるでしょう。
 嵐のようにドラマティックな第1楽章、神々の豪快なダンスを思わせる第2楽章、世界の調和を音楽にしたような第3楽章(皆さん、ウトウトしちゃもったいない!)と続き、第4楽章は新しい社会への期待。第1~第3楽章までを軽く否定しつつ、「私たちの音楽はこれなのだ、さあ歌おう」と始まるのが「歓喜の歌」というわけです。その後でアツく歌われる友愛や勇気にも共感すれば、新しい年もきっといいことがあるはず!


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